意見の分断は人間関係の分断ではない。『ネット右翼になった父』(鈴木大介・講談社現代新書)の感想
この本は、ライターである著者が、晩年にネット右翼的発言が目立つようになった父を看取った後、父とのやりとりを深く検証してその実像に迫った結果、驚くべき結論に至るまでの経過を記録したものです。
”泣ける新書”
小説や漫画で泣くことはたまにありますが、新書を読んで泣くという経験はこれが初めてでした。書いてあることは事実とその検証だけなのに、読んでいくほど等身大の父の姿が見えてきて、それを見ようとしなかった著者のやりきれなさ、申し訳なさを痛いほど感じます。
自分とは相容れない思想を持つに至った父に対し感じていた失望や軽蔑が、細かい検証や家族への聞き取りを通して徐々に裏返っていき、失われていた父との記憶が蘇ってくる項は涙無しには読めません。
意見の分断を超えて
この本は、父のネット右翼的思想との分断がテーマになっていますが、「異なる意見を持つ人との関係性」という観点はもっと広く明日からの生活に活かしていくべきだと思います。
例えば、友達や同僚、家族があるトピックについて自分と違う意見を持っている(と見られる)発言や投稿をしているのを見た時、「あっ(察し)」となって、勝手に今後の関係性をフェードアウトさせようと思ってしまう時があると思います。でも、そうしてしまう前に1度立ち止まって、
「その発言や投稿は、本当にその人の思想の発露なのか」(何か別の文脈は無いのか)
「仮にその分野で自分と意見が違っていたからといって、それは関係性を維持する上で致命的なものなのか」
「意見の相違があったとしても、それ以上に共通点があるのではないか」
「1つの発言だけをもって、その人をステレオタイプ(ネトウヨ、アベガー、などなど)に嵌めていないか」
といったような事をしっかり考える必要があるなと思いました。
なぜ私たちはオヤジとうまく話せないのか
ところで、父とうまく関係を構築できない成人の息子というのは日本における普遍的テーマの1つだと思います。かく言う私も、父とは悪い関係では無いのですが未だに2人きりになるとうまくコミュニケーションすることができません(一言で言ってしまうと、ほんの少しだけ“気まずい”)。
この本では、著者が父親と関係性を構築できなかった原因を、世代論に求めています(団塊世代の親世代に家父長に代わる“良き父親“のロールモデルが無かった)。しかし私は、世の中の息子と父親にディスコミュニケーションが生じる原因は世代論ではないもっと深い部分にあるのではないかと思います。
ここで詳しく説明するほど固まってはいないのですが、これは、父子関係だけでない、男性対男性の日本的なコミュニケーションスタイルの弊害なのかなと思っています。
以上、雑な感想で失礼いたしました。
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