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「武道ガールズ」 5 桜演舞

5 桜演舞

「お花見終わっちゃった」
 制服に着替えたさくらは、だれもいなくなった桜の木を見て残念そうに言う。
 とうとう1球もラケットに当たらなかった。あんな恥ずかしい思いをして、花見もできず、惨めすぎて今にも涙がでそうだ。
 全部この娘のせいだ、とヒナコを軽くにらむ。

 練習が終わり、他の新入生達が楽しそうにテニス部への入部を決めるなか、さくらとヒナコだけが先に部室を出た。もうヒナコとは関わりたくなかったが、なりゆき上、とりあえず自転車置き場までと思い、一緒に歩く。
「ねえ、知ってた? どんなに頑張ってもウインブルドン行けないんだって」
 さくらの落ち込みを知ってか知らずか、ヒナコは普通に話しはじめる。 
「なんかおかしいとは思ったのよね。ボールがあんな柔らかくて、あれ、ゴムボールじゃない。私の知ってるテニスボールは黄色くて、もっと硬いもん。まさかテニスに軟式と硬式の二種類あったとはね。しかも、知ってた? 軟式ってシングルスないんだって。必ずダブルスだって。しかも、前と後ろを最初から決めてて、一度決めたらずっと後ろとか。知らなかったよ、私。だからちょっとどうしようかなって」
 淡いオレンジ色の西日が木々を照らし、テニスコートに長い影ができる。ここから急速に暗くなる時間帯だ。 
「本当にあの木がこの学校で一番の桜なのかな」
 さくらがつぶやく。
「だってテニスをやるからには目指すのはウインブルドンじゃない。でもどうかなあ、ちょっと向いていない気はした、自分でも」
「あの人たちはどこに行ったんだろう?」
 おかしなポスターを持って、テニスコートわきを歩く「お花見同好会」の面々を思い出す。大筆で書いたであろう、あの「武」という一文字は一体何だったんだろう。
「そもそも部活の選択肢が少ないんだよ。高校だよ。青春だよ。インターハイでしょ、甲子園でしょ、花園でしょ。ウインブルドンだよ」
「絶対無理。本当無理」
「あ、聞いてた? よかった。無視されてるのかと思った」
 グラウンドの端を一緒に歩く。

「嘘、まだやってる・・・」
 先ほどのいけていないカップルがまだ桜の木の下で、ふざけあっている。
「だっさ。落ちてくる花びらを彼女の目の前でキャッチすると、二人は幸せになれるっていう、都市伝説的な」
「へー。そんな難しいのかな、花びらキャッチするのって」
「あ、あれ、さっきの人じゃないかな」
 唐突にヒナコが言う。
「ほら、あのでかい人」
 彼女の視線の30メートルほど先で、大男の山田一が両手に段ボールを抱え建物に入っていった。
「え、どこ?」
「今、あそこ入ってった」
 一秒ごとに濃くなっていく夕暮れが、校舎をオレンジ色に染めていく。
「あれ? あの人も?」
 再びヒナコが言う。
 先ほどテニスコートで、部長の杉山を打ち負かし一人で出ていった高遠彩(サヤカ)がそこにいた。サヤカは建物全体をゆっくりと見渡す。年季の入った古い大きな木札に「武道場」と力強く書かれている。サヤカは意を決したかのように一度うなづき、建物に入っていった。
「あ!」ヒナコが声をあげた。
「あ!」さくらも声をだした。
 テニスコートでみた、「武」の筆文字がフラッシュバックした。
「武!!」
「武道場!!」
 そのときさくらの目に別のものが飛び込んできた。
「え?」
 武道場の屋根の上にピンク色がみえた。こんもりと山のように武道場全体を覆っている。
 オレンジ色に染まる校舎と、濃い影で急速に暗くなっていくモノトーンの時間のなか、武道場を覆うピンクの花々がざわざわと揺らめいている。
 心臓の鼓動が早くなる。
 天を仰ぐ。
 武道場は普通の建物の三階以上はある。それを丸ごと覆う花びらって、一体どんだけでかいんだ。
「見つけた・・・」 
 花々からでているオーラに引き込まれるように、さくらは武道場へと歩く。
「あの木だ・・・」
 嬉しいのか悲しいのか、目は潤み、口元はワナワナと、今にもあふれそうな感情を必死に抑えている。

 武道場の前に立ち、さくらは左右を見渡した。
 どこだ? どこから行ける?
 この建物の向こうにある大樹。しかし、武道場のわきには子供がやっと通れるほどの隙間しかなく、そのわずかな隙間は草木が生い茂っていて入れそうにない。だから気づかなかったんだ。テニスコートに行く前にもここは歩いたが、武道場と校舎とに挟まれて、大樹が見えないようになっている。
「正面突破」
 ヒナコが言う。

 武道場の扉をそっとあけ、広い土間に入る。しんと静まりかえった土間は塵ひとつなくきれいに整えられ、一足の靴もない。先に入った山田の靴も、サヤカの靴も見当たらなかった。
「失礼しまーす・・・」
 靴をきちんと揃え、靴下のままそろそろと土間をあがる。
 だれもいない。
 静謐な空気に胸の鼓動が高鳴る。
 古いのにピカピカに磨きこまれた木の廊下を歩く。額に入った賞状やセピア色の写真が、壁の上部に何枚も飾られている。いつの時代のものだろう、黄ばんだ賞状には、柔道部、剣道部、優勝、準優勝といった文字が並ぶ。
 ヒナコが目を細めて一枚の賞状を見つめる。昭和何年、全日本高校体育大会、剣道部優勝。
「昭和だって。まだ生まれてないし」
 短い廊下の先に、両開きの大きな扉があった。年季の入った昔ながらの木の引き戸だ。凛とした空気に気圧されながらも、ヒナコが扉に手をかけた。
「あけるよ」
 そっとそっと、ヒナコが引き戸をあけ、数センチの隙間から目だけで中をのぞきこむ。ヒナコはしばし固まり、扉を閉めると後ずさりした。
「やばいよ」
 目を大きくして、小声で言う。そしてさくらにも見るようアゴで扉をしめす。
 おそるおそる、さくらが扉の向こうをのぞきこむ。
 目が大きく見開かれ、肩が震える。
「本当だ、まじやばい」
「あけよう」
 緊張した声でヒナコが言う。
 ヒナコが右の扉を、さくらが左の扉を、ゆっくりとあける。きしみや歪みや音もなく、思いのほか滑らかに、古い木戸は左右に開かれた。
 その瞬間、全面の桜が、紅色が、目に飛び込んできた。
 自分達が開け放した扉から、風が勢いよく流れ込み、枝が、花々が、大きく揺れる。
 しだれ桜だった。たった一本の巨木が、目の前すべてを紅で染めつくす。
 室内は暗く、整然と並ぶ畳は、100畳はあるだろうか。その先の戸という戸はすべて開け放たれ、真っ赤な夕陽に染まったしだれ桜が、道場の戸枠からはみでている。
「すごい・・・」
 畳を横断して前に行こうとするさくらを、ヒナコが制す。
 不思議そうな顔をするさくらに、ヒナコは無言で桜の下を見るよううながす。
 サヤカがいた。

 さっきと同じだ。テニスコートに行く前、サヤカは一人、桜の中で佇んでいた。あのときも息を飲むほど美しかったが、満開のしだれ桜の下で西日を受ける彼女からは、神々しい光さえ感じた。道場内は濃い影となっているため、サヤカはこちらに気づいてはいないが、先ほど同様、誰をも近づけないオーラを発していた。さくらとヒナコは息を潜め、畳のうえに膝を抱えて座った。先ほどは目が合って中断させてしまった彼女の舞を、今度は遠くから見つめる。

 サヤカは静かに目を閉じ、ふーっと長く息を吐きだす。その呼吸を数回続けた後、正面の一点をキッと強く見つめ、右足を小さく一歩踏み出す。同時に、左手をへその前、右手はみぞおちのあたりにゆっくりと動かす。両の手のひらはパーの形で軽く開いている。背筋が凛と一段伸びる。
 そして彼女は踊りはじめた。はらはらと舞い降りる花びらの中で、右足を軸に地面に円を描くように回転する。両の手のひらは空を切り、体の軸がぶれることなく、右に左に移動する。クルクルと回転する様はバレエや社交ダンスに似ていなくもない。腕の動きは柔らかく、盆踊りや日本舞踊を連想させる。けれど社交ダンスのようにキビキビはしていないし、盆踊りほど緩やかではない。すべての動きが淀みなく、美しく流れてゆく。
「フラメンコ?」
 ヒナコがつぶやく。
 そう。情熱的で、柔らかく、右へ左へと回転する様は、フラメンコに一番似ているかもしれない。だけどフラメンコのように手をたたいたり、足を鳴らしたりという動きはない。
「舞い?」
 ふいにその言葉が浮かんだ。
 うまく説明はできないけれど、「踊り」ではなく、「舞い」という言葉ならしっくりくる気がした。
 そう、これは舞いだ。
 チェック柄のスカートが軽やかになびく。静だった動きに激しさが増し、回転の速度があがる。屈み、飛びはね、弧を描く足さばきに、足元の桜が再び宙に舞いあがる。
 そのとき、さくらとヒナコが開け放した扉から、風が勢いよく流れ込んだ。畳をすべり、地を這うように、風が下から上へと吹き上げる。地面に落ちていた花びらが空一面に舞いあがる。枝垂れた花々さえも、重力に逆らって、生き物のように空へ向かう。
 桜が舞い上がる。地から天へ。重力を逆にしたかのような桜吹雪。すべてが流れの中にある。桜さえも、風さえも、サヤカと一体になる。

 
「皆さんも知ってのとおり、今年は桜木高校創立百周年となります」
 武道場の二階では、生徒会長の上杉美紗希が、今まさに演説をはじめたところだった。
 しんと静まりかえった板張りの剣道場には、20人程の生徒が集まり、会長を見つめている。
「この歴史的な記念すべき瞬間に私たちが在学しているということ」
 そのとき会長の後ろの桜がにわかにざわめきだした。
 ガタガタと窓枠が揺れ、濃いピンクの花びらが、一枚、二枚、ゆっくりと上にあがっていく。
 演説を聞いていた皆の視線が窓の外に向かう。
「この奇跡的なタイミング、今、この瞬間に、共にいること」
 会長が言葉を止めた瞬間、ザザザザザザーっという激しい音とともに、濃いピンクの花びらが下から上に舞い上がった。
「何?」
「会長、見て! 後ろ!やばいよ!!」
 藤原千明が窓辺に走りながら、驚いた声をだす。
「角さん、カメラ!! 山ちゃんも! みんな、いいから来て!! やばい!!」
 興奮した千明が続ける。
「桜が下から、降ってくる!!」
 乱舞する花びらに、千明は同じ言葉を繰り返す。
「まじやばい、ねえ、ほら、桜が下から降ってくる!!」
「なんだ、これ」
 角田秀一が、慌てて窓辺に駆け寄り、夢中で一眼レフのシャッターを押す。
「ここは動画でしょ」
 奏太は、自らのスマホを桜吹雪に向ける。
「なんだこれ、生き物みたいだ」
 地から天に、しだれ桜が、龍のようにうねる。
「こんなのはじめてみた」
 高野文子がささやくように言う。
「巨大扇風機か? TMレボリューションでもいるのか? こーわーれそーな」
 大山花がギャハハと笑いながら歌う。
「ほら、みんな角さんのほう見て」
 会長の一声で、窓の外を見ていた一同が一斉に角田を見る。
 パシャリ。舞いあがる桜の中で、それぞれ驚愕の表情をしている生徒会の面々。
「この奇跡的なタイミング、今、この瞬間に、共にいること」
 会長は桜を見ながら、先ほどの演説の続きを、独り言のようにつぶやく。
「会長、みんなに聞こえるようにお願いします」
 山田の優しい言葉に、会長は微笑んでうなづく。
「この奇跡的なタイミング、今、この瞬間に、共にいること」
 ゆっくりと一言一言、皆の顔を見ながら伝える。
「今、この瞬間を、ぎゅっとぎゅっと、ぎゅーーーーっと、抱きしめて」
 会長は両手で自分を大切そうに抱きしめて笑う。
「誰も見たこともないでっかい感動を作ろう。みんなで最っ高にいいものを作ろう。願わくば、この百年祭が、かつてないほどの大成功をおさめますように」
 そこで一呼吸置き、会長は吠えた。
「いくぜー!」
「おーーーーー!!!」
 全員が拳をつきあげた。

 さっきまでの突風が嘘のように凪ぎ、美しい舞を終えたサヤカは息を整える。
 道場の二階から、拍手と歓声が聞こえた。
「だれかいたのか?」
 と、二階を見上げるが、しだれ桜の影となって、建物さえも見えなかった。
 手のひらをそっと開くと、薄紅の花びらが右手に一枚、左手にも一枚。花びらは、強く握られてつぶれることもなく、さらさらと風に吹かれて飛んでいった。

ほんの少しでも笑顔になっていただけたら幸いです。