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「いいからやれ!」 ピアノマン2 渚のアデリーヌ

ピアノマン2 だけど僕にはピアノがない
「渚のアデリーヌ」

 「蜜蜂と遠雷」の風間塵はピアノを持っていない。
 楽器を持たない天才ピアニスト。まさに「ギフト」だ。
 「蜜蜂と遠雷」、素晴らしい小説だったな…
 映画も見たけれど、「蜜蜂と遠雷」については、思いいれも深いので、また別のときに書こう。
 
 風間塵とは話のレベルがまったく違うけど、うちにもピアノがなかった。
 今回は、小説にも映画にもならない、ピアノを弾けない普通のサラリーマン(オレ)のささやかすぎる日常の話しです。
 
 前述したとおり、実家にはピアノがあったけど、東京で家庭を持ったオレんちにはピアノはなかった。夜遅く仕事から帰ったときなど、なぜだか無性に弾きたくなるときがあった。全然弾けないくせに、指で弾くまねをしてみたりなんかして。
 
 そんな折、近所の電気屋さんの閉店セールで、「光るキーボード」というのが、とても安く売っていた。
 うちの素晴らしい奥様は、オレの趣味に全く理解を示さない。
 なので子供を味方につけてみる。
 小学生の次男に、「光るとこを触るだけで弾けるようになるぞ。ピアノやってみたいだろ」と囁く。
 とにもかくにも安かったので、妻も納得し、ようやく手に入れた「光るキーボード」。
 光る鍵盤を順番にタッチすれば一曲マスターできる。
 クラシックからポップスまでたくさんの曲が内蔵されている。
 音の種類も豊富で、ドラムやリズムや録音や、機能の充実ぶりが素晴らしい。
 もちろん、そのほとんどの機能を使ったことはないのだけれど…

 とは言え、「光るキーボード」は、おっさんの趣味ピアノには十分だった。
 5年くらいは使った。ごくたまに、思い出したように。
 あとは部屋の片隅でほとんど使われることなく粗大ごみに近い扱いを受けていた。
 それなのに、オレは今度はキーボードではなく、どうしても電子ピアノが欲しくなった。

 きっかけは「渚のアデリーヌ」という曲だった。
 ピアノの貴公子と言われるリチャード・クレイダーマンの代表曲。だれもが聞いたことがあるであろう美しいメロディー。
 オリジナルバージョンは難しいのだろうけど、初心者向けにアレンジされた楽譜も多く、比較的弾きやすい曲だ。
 曲の聞かせどころで、低音から高音まで、高速で階段を一気に駆けあがるフレーズがある。

♪タラララ⤴ タラララ⤴ タラララ⤴ タラララ⤴ タラララ⤴ タラララ⤴ タラララ⤴ タラララ⤴

 鍵盤の左端から右端まで、高速で駆けあがる。
 そこで「光るキーボード」は鍵盤が足りなくなるのだ。
 キーボードは通常66鍵しかない。
 ピアノは88鍵だ。
 鍵盤が足りない部分の高音は、ごまかしごまかし同じ音を繰り返して弾いていたが、ここはやっぱりちゃんと弾いてみたい。

 そんなある日、「光るキーボード」がとても小さく見えた。
 小さいというか、幅が狭い。自分の両手におさまるというか、66鍵がすべて視界に入っているというか。
 絶好調のプロ野球選手は、バッターボックスでボールが大きく見える、止まって見えるとか言うけれど、それと似たような感覚だろうか。
 あれ、オレ、うまくなったのかな。
 錯覚か?
 「光るキーボード」が小さく見える。
 錯覚でもいい。
 66鍵はクリアした。
 さあ、次のステップに踏み出そう。

 うちの素晴らしい奥様は、オレの趣味に全く理解を示さない。
 まして「光るキーボード」君が長らく粗大ゴミ扱いを受けている現状を一番知っているのは奥様である。
 電子ピアノが欲しいと言ったら、速攻で却下された。

 場所の問題。
 お金の問題。
 そもそも弾くの?
「光るキーボードがあるじゃない。これで十分でしょ」

 おっしゃるとおりでございます。

 だけど、欲しい機種はもう決まっていた。

 KORG LP180。

 KORGと書いて、コルグと読む。キーボードを弾く人には有名な日本の楽器メーカー。コスト的にもエントリー機として最安レベルで、個人的にはタッチが好みだった。
 そして偶然にもコルグの広告塔は、「渚のアデリーヌ」のリチャード・クレイダーマンだった。 

「今の電子ピアノは、スリムで場所もほとんどとらないし」
「子供の月間の塾代よりも安いんだよ」
「それに白いピアノはインテリア的にもこの部屋にマッチしてるし」
「大体オレだって一生懸命毎日遅くまで働いているんだから、たまには好きなもの買ったっていいじゃないか」
 などと言う言葉では、素晴らしい奥様を説得しきれるはずもなく、そこで三年以上足踏みをした。

 何度も価格ドットコムで最安値を検索し、口コミレビューを確認し、楽天スーパーセールやアマゾンスーパーセールがある度に、今度こそ買おうと決意し、その都度素晴らしい奥様に阻止された。

 が、ついに、とうとう、2019年1月のアマゾンスーパーセールで、36,070円の価格を見て、強硬突破を決意した。
「えーい、買っちゃえ!」
 ポチッとしてから、
「買っちゃった。週末届く」
 と奥様に告げる。

「えーー!えーーー!えーーーー!!」
 と、大顰蹙は買ったものの、もう買っちゃったからね。
「大体オレだって一生懸命毎日遅くまで働いているんだから、たまには好きなもの買ったっていいじゃないか」
「米を買え! 100kg買えるわ!」
「塾代は? 次のボーナスまでもつの? 」

 誰に何と言われようと、買ってしまった。
 それからまだ一年経っていないが、買って本当によかった。もっと早く買ってもよかった。
 弾かない日の方が、ずっと多いし、週に一回も弾いてないかもしれないけど。
 音を出せるのはたまたま家族が誰もいない休日のほんの束の間で、もっぱらヘッドフォンだけど。
 とてもいい買い物だった。
 今のところ、粗大ゴミ扱いにはならず、インテリアとしてリビングにしっくり馴染んでいる。

 インテリアじゃダメじゃんねえ。

 いいから、弾け!

 「渚のアデリーヌ」。まずは最後まで弾けるようになろう。
 
 最初の課題曲は「渚のアデリーヌ」にしよう。近いうちに動画をあげてみたい。

 いいからやれ!
 いいから、弾け! 

ほんの少しでも笑顔になっていただけたら幸いです。