鶯色の村

鶯、囀り方が随分上手くなったわね、と彼女が言う。確かに。相槌をうって、僕らは家の近くの山道を歩いている。

築六十年の木造二階建てを役場から紹介され、この山村に引っ越してきたのが去年のちょうど今頃。所謂Ⅰターン、田舎暮らしというやつだ。ほとんど土地代だけの値段で買った家は築年数以上に傷んでいて、一年目はリフォームに追われ、とても春を愛でる余裕などなかった。役場が補助金を出してくれたが、それでも全て人任せにできるほどの貯金はなかった。水回りや畳など、どうしても自分たちで出来ない部分だけを業者に依頼し、あとは全て自分たちで手を入れていった。杉板をバーナーで焼いて紙鑢で磨き、それを鱗状に重ねて壁を補修したり、ウッドデッキや窓枠のペンキを塗り直したりする作業は大変だったけれど新鮮で、近所に住んでいる大工さんが色々と教えてくれたのも助かった。作業を通じて僕らは、村と住民たちについて少しずつ知っていくことが出来た。かつて、ダム工事を巡って賛成派と反対派が激しく対立していたというようなことだ。今でもその時の分断の後遺症が少なからず残っている。ちなみに、大工さんは反対派で、ダムの計画がとん挫して後、賛成していた大工さんの息子は村を出ていったという。



鶯、ちょっと前までホ~、ホキョッみたいな感じだったものね、と彼女がおかしそうに囀りを真似る。そうだったね。もっとも、同じ個体かどうかは分からないし、今、人間の耳にはとても鶯らしい声になったけれど、それが鶯にとって本当に「上手い」のかな。それはそうだけど、と彼女は少し不満そうだ。

僕らは家の裏山の中腹に畑を借りていて、今朝は朝食の前に葉野菜を収穫に行くところだ。わずか三段しかない段々畑だけれど、それでもまったくの素人が、大した農機具もなく手作業で土を耕し、雑草を抜き、野菜を育てるのは大変なことだった。おまけに、せっかくなら無農薬有機農法などと彼女が言いだして、農薬も化学肥料も使わずにいたらせっかく出た芽のほとんどを青虫とカタツムリに食べられてしまった。夏になっても空っぽのままの畑を見るに見かねた隣のネギ農家のおばさんが、とりあえず豆を育てなさい、土が良くなるからと言うのでその通りに枝豆とキヌサヤとそら豆の種を撒き、彼女には内緒でカタツムリの誘引殺虫剤だけは使うことにした。するとそれらは意外なほど順調に育ち、枝豆などは夏の終わりに間に合ってビールのつまみに出来たのだった。アドバイスのお礼に、それ以前にいつも野菜をいただいてばかりだったので、ネギ農家のおばさんに枝豆をおすそ分けしたら帰りに大量のニラとネギを持たされてしまった。ちなみにこのおばさんはダム賛成派だったようで、農協からはあまりよく思われていない。



鶯、どこにいるのかしら。と、彼女はもうすっかり葉桜になってしまった枝にその姿を探している。鶯はね、もっと下の方にいることが多いんだよ。肉食だから地面の近くで虫なんかを啄んでる。僕は言うけれど、彼女は納得できない。どうして、梅に鶯って言うじゃない。それはただの譬え話なんだ。

僕らのこの散歩道はすでに新緑に包まれている。つい数週間前まで蕗の薹を探して歩いていた頃は、まだほとんどの木の枝は寒々しく震えていたのに、一旦芽吹き始めるとあっという間だった。自然の生命力には日々驚かされる。蕗の薹にしても、昨日まで蕾が固かったはずなのに翌日同じ場所に行ってみるともう花が開きかけていたりする。僕らより少しだけ早く移り住んだ佐藤さんの奥さんが言うとおり、来年はいっぺんに沢山採って蕗味噌などにして保存しようと決めた。面倒な灰汁抜きも一度で済む。佐藤さんは村の人たちのことをあまりよく言わないので距離を置いているのだが、例えばほとんど公民館での飲み会に使われる町会費の件など、やはりどうしようもなく共感できる部分もある。それに人が集まると、ダム賛成派と反対だった人たちの間でどんな立ち位置でいたらいいのか分からず、とかくよそ者は気疲れしてしまうのだった。今年に入ってからは特に、秋に控えている村長選挙を見据えてすり寄ってくる人も少なくない。テキトーに付き合っとけばいいのよと、佐藤さんは言うけれど。



鶯、ほらあそこ。彼女が指差したのは藤の蔓が巻きついたクヌギで、紫の霞がかかったように見える。その枝に留まっているのはメジロだろうか。いや、確かにメジロだ。メジロが藤の花の蜜を吸っているのだ。僕がそう言うと彼女は、だってほら、体が鶯色してるじゃない。歩きながら、僕は説明する。鶯色って、本当は黄緑に灰褐色を混ぜたような地味な色だよ。メジロのあの綺麗な緑を鶯色って思い込んでる人、結構多いんだ。鶯の囀りに姿を探すとメジロがいて、昔の人がそれを鶯だと誤認したからだって言われてる。あたしみたいに、と彼女は拗ねてしまった。

畑に着くと、彼女はサニーレタスとプチトマトを淡々と収穫し、僕は僕でキャベツの葉についた青虫を地道に排除する。時々腰を伸ばして、何年も前にダムの底に沈んでいたかもしれない村を眺めた。村の全てがそこから一望できるのだった。すでに水の入っている田んぼもあれば、小麦の葉が風に波打っている畑もあった。あぜ道と農業用水路でそれらは区切られ、苺のハウスも点在している。川沿いに小学校と幼稚園が並んでいて、その先には役場と農協のスーパー、村に一棟だけある村営の集合住宅も見える。郵便局、診療所、そしてママさんの小さなスナックまで、必要なものはここに揃っている。遠目に見てる分にはね、いいとこなんだけど。時々そんなふうに言うママさんは、四十代半ばくらいでなかなか艶っぽいけれど、僕よりも実は彼女と気が合うようだ。この村の生まれだけれど、随分長い間大阪で暮らしていたらしい。

ママさんはまだ眠っているかもしれないが、村の多くの人々はすでに一日を始めている。農作業に出かけていく軽トラ、庭先から立ち上るひと筋の煙、幾人かの農夫が畑で腰を屈めている。そんな村の底に、東側に連なる山々から昇った朝日が溜まっていく。新緑を背景に、稜線の影と日射しが二層になって斜めに射しこむ光景は、いつまで見ていても飽きることがなかった。見てごらんよ。僕が呼ぶと、彼女も横に来て声を上げる。すごいね。しばらくの間動けず、僕らは深呼吸をして眺望を楽しんだ。
そろそろ帰って朝飯にしよう。そうね、と彼女が言う。ねぇ、こんなふうに光の満ちた新緑の色はなんていうの。


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