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青い光

目が覚めて昼夜の別が分からず、時計は二時三十分を少しまわったところだった。随分長い時間熟睡したように思ったのだが、実際には二時間ほどしか経っていなかった。白いレースのカーテンだけを閉めた窓には深海のような色の夜が溜まっている。その奇妙な現象に初めて気づいたのはそんな時のことだ。体の一部が仄かに青みがかっている。よくよく観察してみると、皮膚の内側で青く発光しているのだった。月の光のせいかとも思ったが、どうやら違うらしい。三日前が新月だったから、月はまだ昇っていない。あるいはとっくに沈んでいる。それに、蛍光を発しているのは胸元の、鎖骨の真ん中あたりだけなのだ。顎を引いて体を見ると辛うじて視界に入る。もう一度眠ろうとしてもそれが気になって今度はうまく眠れなかった。午前四時には諦めてベッドを脱け出し、珈琲を淹れ、ラジオを聞きながら少し仕事をした。シャワーを浴びてもその蛍光が消えることはなかった。決して眩しいほどではないが、暗いところではワイシャツの上からでも透けて見えてしまうくらいには強い光。仕方なく、少し厚めのシャツを着てボタンを全部閉めて出社した。好奇の目に晒されるのは御免だし、なにより人に説明するのが億劫だった。




日中の明るい時間ならさほど目立たない。会社でも誰かに気づかれることはなかった。だが、駅からの帰り道、コンビニの角を曲がってすでに暗い路地を歩きながら伏目に確認すると、やはり何かの染みのようにシャツが青く滲んでいる。蛍光は、朝よりも明らかに強くなった。我知らず足早に路地を抜け、アパートの鉄の階段を世話しなく駆け上がって部屋に逃げ込んだ。すぐに裸になって、風呂場のなかで貧相な我が身をしみじみと眺め、観察すると、その光る痣は、少し下の方に移動、というか引き伸ばされた感じがする。ガラスに付着した雨粒の、流れ落ちる寸前に見せる刹那の形。滴るように大きくなり、明るさも増しているのだった。気のせいか、そこだけではなく体全体が、顔色さえもうっすらと青みがかって見えるのだが、蛍光灯の光の加減かもしれない。浴槽に湯をはってしばらく浸かってみたが、やはりどれだけ洗ってもその蛍光が落ちることはなかった。どこか内蔵でも悪いのだろうか。湯上りのビールさえ飲む気にならず、Webで検索をすると肝臓に問題がある人は静脈が浮き上がって見えたり、顔色が青くなるのだという。つまり、血液の貯蔵、新陳代謝、血液中の老廃物と栄養の交換がうまくいっていないのではないかと。だが、どうも違う。絶対に静脈ではないし、単に青いのでもなく、あくまで光っているのだ。なんというか、卵殻膜に青い光を当てたような。そんな症例はどこにも出ていなかった。人のオーラが見えるというスピリチュアル系サイトの情報にさえ縋りたくなった。やはり肝臓なのだろうか。

「病気かもしれない」と、不安を口にして受け止めてくれるような相手は思い当たらなかった。



その夜はほとんど眠ることができなかった。深夜にもう一度、恐る恐る見てみるとまた少し、涙滴型がぐっと引き伸ばされ、最も膨らんだ光源はすでにウルトラマンのカラータイマーがついていた位置にまで下がっていた。そういえば子供の頃、カラータイマーのおもちゃが欲しかったけれど買って貰えなかったと、懐かしくなって少し笑った。笑いごとではなかった。翌朝にはみぞおちあたりまで光っている。長さを測ってみると首の付け根から約二十センチほどの、青く光る川の流れのように見えなくもない。ヨハン・シュトラウスのあの有名なワルツのメロディがふっと口をついて出た。明らかに川は成長しているのだ。翌日も、そのまた翌日も。それでも普通に生活はできる。体調も特別悪いというわけではない。三日もすると慣れてしまった。



そんなある日のこと。仕事で遅くなったので久しぶりに駅前のバーに立ち寄ってキューバン・サンドウィッチをオーダーする。大好物なのだ。カウンター席に座り、モニターに映るスペインリーグのサッカーをぼんやり眺めながらビールを飲んでいると、ふいに右斜め後ろから女の声。

「光が漏れてますよ」

そんなはずはないのだ。驚いて振り返ると、両肩を柔らかく包んで流れる黒髪の女性が微笑んでいる。少し暗めの照明なのは知っていたから、店に入る前に確認してシャツとジャケットのボタンは全て留めたはずだった。それでも思わず胸元に目がいってしまい、

「やっぱりね」

女に笑われた。笑われはしたけれど、決して嫌な感じはしなかった。罪のない悪戯を見破られた子供のような気持ちになった。

「隣、いいかしら」

返事を待たず、彼女は奥のテーブル席に自分のワインとチーズの盛り合わせを取りに行き、すぐに戻ってきて隣のスツールに腰を下ろした。自己紹介をし、そうして顔を近づけて言った。

「ねぇ、見て」

スツールの座面を回して初対面の男に向き直り、他の誰にも見えないよう注意しながらシャツとインナーをそっと捲った。

動揺しないでいるのは難しかった。止めようしたが、

「いいから見て。早く」

露出されたのはぜい肉のない真っ白な腹で、驚くべきことに、そこにも美しく青きドナウが流れていた。彼女の川の流れの方が太く、そして長そうだった。もっとずっと下の方まで流れているに違いない。

「同じだ」

思わず漏らした自白を引き出して、彼女は満足したようだ。

「でしょう」

「これは、何なんですか」

「死の蛍光」

彼女はそう言って徐にスマートフォンを取り出し、ある記事を表示する。それは数年前に発表されたユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンの研究チームによる実験と報告で、線虫の一種、シー・エレガンスは死にゆく過程で青色の蛍光を発するのだという。「死の蛍光」と名付けたこの光は、線虫の細胞が壊死していくにつれて強くなり、死の瞬間に最も強く輝いてすぐに消えた。

体の一方から青色の光波を発し、この光波は死に至るまで腸に沿って伝播していった。この順序だった伝播は多細胞生物の個体において、一連の調整された「自滅」信号を通じて死が訪れる可能性があることを示唆している。

読み終えてもすぐには理解できなかった。

「つまり」

「つまり、あたしたちのこの青い光は、壊死する細胞の連なりってこと」

「でも細胞なんて、一日に何万も自然に死んでいるって」

「そうね。ちなみにそれ、アポトーシスっていうんだけど、プログラムされた正常な細胞死は一日に500億から700億個って言われてるの」

けれど、この青い蛍光は壊死、ネクローシスだ。予期せぬ原因で細胞が次々に死んでいくのだと彼女は笑顔で説明する。ひととおり説明し終わると、ボトル棚の一角にはめこんである水槽のなかのクラゲに目をやった。その横顔がとても美しい。艶然や妖艶といったところからは最も遠い、かといって清楚とか透明感などという言葉では言い表せない尊さがそこには宿っていた。

「なんで笑ってるんです」

色々と訊ねたいことはあったのだが、最初に口をついて出たのがそれだった。

「だって、あたしたちだけは、確かに、知っているのよ。死につつあるっていう唯一無二の絶対真理を。愉快じゃない」




「死の蛍光」

なんという厳かな響きだろう。青い蛍光はやがて全身にいきわたり、死の瞬間にもっとも強く輝くのだという。そうしてそれは死後も一定の間残照として揺らめき、やがて消える。クラゲみたいに、と彼女は言った。跡形もなく。

「また会いましょうね」

別れ際の彼女の言葉を思い出すと、不思議とよく眠れるようになった。美しく青きドナウは順調に成長を続け、支流を広げている。





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