美味しいWの殺し方①

 かつては羽虫さえ殺すのを躊躇っていた自分が、今その動かなくなった肉体を見下ろしている。生臭い刺激が鼻腔に拡がる。見開かれた瞳はただただ黒く、波打ち際の小石のようにぬるりと光っている。いつか旅先の土産物屋で眺めた魔除けのオニキスもこんな感じだっただろうか。
 ぼんやりと覗き込んでいると、
「どうして僕をこんな目に?」
「うん、こうなることはわかっていたよ」
「あの君が、こんなことをするなんて」
などのありきたりな台詞が頭の中になぜか勝手に浮かぶ。そして語りかけてきては消えていく。
 ふと、スルメイカの解剖を思い出す。学生時代の生物実習にて、イカの眼球から取り出した水晶体はとても美しかった。無垢な純水の時を止めて固めてしまったかのように、濡れて透き通った輝きが球体の内側で揺らめいていた。こっそりポケットに忍ばせて持ち帰ってしまいたいほどだった(もちろん生モノだからそんなことはしなかったけれども)。あの美しい結晶はこんな風に語りかけてくることはなかった。それが生き物の眼球であるという認識は同じはずなのに。
 思考の世界に沈みかけたその時、頭上から甲高い音がコロコロコロと螺旋を描くかのように降り注いできた。幼いころ風呂場で遊んだ水笛によく似た音。鳶の声だ。生命機能が完全に停止したこの塊を早速獲物と認識しているようだ。傾きかけた朱色の陽を背に、一羽、また一羽とまるで火事場に集う野次馬のごとく数が増えていき、今か今かと出番を待ち望んでいる。うかうかしていると目の前のこの塊はボロ雑巾のように、そしてオニキスは乾いたマシュマロみたいになってしまうだろう。早いところ仕上げてしまおう。自分のこの手で。
 冷たい指先に感覚を取り戻すべくぎゅっとナイフを握りなおす。皮膚を一息に裂く。露わになる灰白色の骨と赤い肉。融けかかってざらついた三月の雪に、緋色の体液が滴り染み渡る。
 彼がこの夏に作っていた、とろとろで真っ赤で瑞々しいあのソースが脳裏をかすめた。大好きなあなたの作る氷イチゴ。(続く)

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