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ヨコヅナ・ア・ライヴ


 東京都、池袋。かつて老若男女を魅了し、ファッションブランドからサブカルチャーまで様々な欲望の坩堝であった特異点的大都市も、今では他の都市と同様に、瓦礫に埋もれた無人廃墟と化していた。

 行き交う人々はもういない。けたたましい騒音も、モニタから流れる広告音声も聞こえない。なにしろ、地上人類のほとんどは絶滅してしまったのだ。あの日、あの連鎖爆発がすべてを呑み込んで以来、残ったのは僅かに生き延びた人々と、野生動物たちと、彼らが暮らすにはあまりに広大すぎる廃墟群だけである。いつか瓦礫の上に緑が芽生えるまで、廃墟池袋は、悠久の滅びの只中にあった。

 しかしこの日、悲惨な静寂を打ち破る衝撃音が、この廃墟池袋から放たれていた。上空を飛んでいたカラスが思わず逃げ去り、辺りの野生動物たちは一目散に逃げだした。一体何が起きているのか?

 西口公園前。コンクリートの真円の中心で、激突する二対の塊があった。い二者が衝突する度、大地は揺れ、付近の瓦礫群がまるで恐れをなしているかのように後退していく。

 激突する塊の一つは、分厚い筋肉でできた男であった。横綱、相模大野さがみおおの。他の力士が絶滅してしまった今、彼こそが最後の横綱である。

 ……だが待ってほしい。力士が滅んだのならば、一体誰が相模と組手しているのか? 相模と相対する存在、それは――

GRAAAAAAAA!!

 熊である! それもただの熊ではない。身長2メートルを誇る巨大熊だ!黒い毛に覆われた巨躯はまるで悪魔の映し身のようであり、鋭利に伸びた鋭い爪が、熊の凶悪さを物語っているようであった。

 当然ながら、熊は相撲のルールなど知るはずがない。ただ欲望の求めるままに眼前の相模をいたぶり、喰らおうとしているだけだ。だが、相手は人類最後の横綱だ。熊が獰猛な爪を振るおうとする度、寄り切って急接近し、凶器を封じているのである。

 更に驚くべきことに、熊の全力の膂力に対し、相模は押し負けてはいなかった。それどころか、一歩たりとも後ろに退いてはいない。ぶつかり、またぶつかる度、引くどころか少しずつ熊を押していく。横綱だからこその実力だろうか? そもそも何故、彼は熊と戦っているのだろうか?

 相模の動機を知るには、時間を少し遡らなければならない。それは、一時間前の事である――



 両国国技館跡地にて。相模はいつものように土俵際の自作畑で、ちゃんこ用に育てている野菜に水やりをしていた。ちゃんこは力士のソウルフードである。こんな状況下でも、力士である以上食べなければならない。レトルトちゃんこが在庫を切らす前に、鍋用の野菜を収穫するのだ。今のところ、相模の目論見は順調であった。

 その時、相模の後ろで倒れる者があった。相模が振り返ると、そこには傷だらけになった鹿が横たわっているではないか。相模は鹿にゆっくりと近づき、鹿を抱きかかえて言った。

「……誰にやられた?」

 当然ながら、鹿が人語で応えることはない。だが、鹿の身体に残る惨たらしい傷跡は、それが巨大な爪による引っかき傷である事を物語っていた。

 相模は思考する。国技館周辺にこんな事ができる動物はいない。危険な獣どもは、既にあらかた蹴散らした。ならば、より外にいる敵か。自作の包帯で鹿を介抱しながら、相模の頭は怒りでいっぱいだった。

 辺りの草食動物たちは、いつからか相模に懐き、共に暮らすようになっていた。国技館の生活が長くなり、相模もいつの間にか彼らを家族のように受け入れていた。そんな彼らを脅かす存在がいる。どうして放っておくことができようか。

 鹿の安静を確かめたのち、兎たちに鹿の面倒を頼むと、相模はすぐに出発した。鹿が残した血の跡を辿り、歩くこと1時間。遂に相模は標的と出会った。相模がそうしたように、敵もまた血を辿っていた。池袋西口公園。奇しくもグローバル・リングと呼ばれた土俵の上で、相模と熊は巡り合ったのだ。死闘が始まった。



 そうして今に至る。熊の攻撃に対し、相模は敢えて立ち向かっていく。力では負けていない。だが無傷ではない。たとえ振るわれることはなくても、掴まれるだけで熊の爪は筋肉装甲を傷つけていた。

 血塗れになりながら、相模は笑っていた。思えば、今まで戦った猪や狂犬の類は弱敵であった。文明崩壊以前に戦ってきた力士たちに比べても遥かに弱い。そんな相手に、どうして全力をぶつける事ができようか。だが今、相模は全身全霊で立ち向かい、こうして勝負が成立している。

(((はっけようい! のこった! のこった!)))

 行司の掛け声が相模の脳内にリフレインする。おお、見ているか。死んでいった好敵手たちよ。文明が滅んだ今もなお、相撲は生きているぞ! 相模はかつてなく昂った。

GRAAAHHHHH!!

 熊が咆える。その大口からは涎が滴り落ちる。飢えているのだろうか。相対する相模は油断なく構える。熊はだらりと両腕を垂らし、大きく踏み込んだ。仕掛けてくる。相模は寄り切ろうと一歩踏み出し……それよりも早く熊が動いた! 大きく口を開き、一跳びで突撃してきたのだ!

 熊は何度も密着してくる相模の行動を野生の本能で学習していた。相模がこのまま接近すれば、その頭部をガブリと喰われてしまうだろう。かといって、今から相模が回避するには、既に前方移動の姿勢に入ってしまっている。万事休すか?

 だが、相模の目の闘志は消えていなかった。彼は踏みだした足はそのままに、むしろ強く踏み込む! そして跳んだ! 体重があるので大きな跳躍ではない。だが、熊の噛みつき位置が頭部からズレる。熊の正面に現れたのは、力士特有の巨大な肉の塊――膨れた腹部であった。

 相模が着地すると、腹に食らいついている熊の姿勢が必然的に前かがみになった。熊は必死に引き抜こうとするが、脂肪と筋肉の塊は想像以上に分厚く、引き抜くことができない。むしろ、相模は腹に力を込め、強固に封じ込めた。無論、相模側にも相当な痛みが走っている。だが、気にしない。

 熊が必死にあえぐ。腕をバタバタと振り回し抵抗する。その両腕を、相模のかいなが掴み、その背中まで持ち上げる。そして強烈な膂力による締め上げが、熊の両腕を、そして肩を破壊する! これぞ相撲界の禁じ手、五輪砕き! その痛みは五臓を破壊する程とされている。 バキ、バキ。熊の両肩が苦痛に喘ぐ。熊もまた声にならない悲鳴を上げる。その瞬間、相模が腹の拘束を解き……熊の牙が相模から抜けた!

「どりゃぁぁぁああッッッ」

 遂に相模が叫んだ。彼は海老反りになり、掴んだ熊をそのまま後方に投げ飛ばした! 熊は文字通り回りながら飛ばされる。人間風車ならぬ熊風車! そして熊の巨体は瓦礫の山に埋もれた巨大モニタに衝突。蜘蛛の巣状に破砕した液晶を背もたれに、熊はだらんと力尽きた。

 人間離れした剛力と、破天荒な戦法で並みいる強敵を次々撃破する。相撲界切っての問題児にしてニューエイジ。相模大野が今日もまた勝ち星をあげた。文明崩壊後の世界において、横綱・相模大野は現役であった。



 相模は倒れ込んだ熊へと歩み寄った。熊は力なくモニタにもたれているが、まだ息があった。相模は何を思ったか……携帯水筒を取り出し、カップに温かい飲み物を注いだ。インスタントのちゃんこ汁である。

「飲めるか?」

 相模の問いに、熊は何を思ったか。狂暴な顔つきは成りを潜め、熊は低く唸った。相模はカップを持った手を近づける。熊はゆっくりと口を開き……。


 その頭部が弾け飛んだ。返り血が相模を真っ赤に染める。パァン。遅れて銃声が背後から響いた。



◇ 八 卦 用 意 ◇

 
 この小説はむつぎ大賞2023の投稿作品です! ワンシーン大賞! みなさんもいかがですか?

 

 

 

 


 



 

 







 

 

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