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英語がわからなくても原文は面白い:1分20秒でわかる『ロリータ』のすごさ

 わたしは英語が読めない。
 TOEICでは、平均スコアが608点のところ、500点。多読用教材としておすすめされる"Holes"にも歯が立たない。 

 それでも、英文を読めるようになりたい! と、英文の読解のために、ナボコフの『ロリータ』を買った。ロリコンだの、ロリータ・ファッションだののもとになった書である。
 よりによって、なぜ『ロリータ』なのか。理由はふたつある。
 1つは、翻訳を読んでべらぼうに面白かったこと。

 わたしが『ロリータ』でいちばん好きなのは、語り手のハンバート・ハンバートが、ロリータの名前が入った、学校の名簿について書いた場面である。2ページ以上名前の羅列が続き、ハンバートは、こう語る。

 まったくもって、これは詩だ、詩ではないか!

ウラジミール・ナボコフ『ロリータ』
若島正訳、新潮文庫(2008) p.94

 興奮したハンバートにドン引きする向きもあるだろうが、この名簿に詩情を見出すハンバートの感性は素直にすごい。そして言われて見れば、確かに名簿のようなものにも詩情を見出すことができるのだ。
 やや脱線するが、わたしが大好きな小説『ハサミ男』に、こんなくだりがある。

 ドアチャイムの上に、家族の名前が一覧されていた。

 503
 樽宮 一弘
    とし恵
    由紀子
    健三郎

 まるで詩の一節のようだ。

殊能将之『ハサミ男』
講談社文庫(2002) pp.42-43

  これは明らかに『ロリータ』のパロディで、大好きな小説×大好きな小説、推しと推しがコラボした状態ですっかりテンションがあがってしまった。語り手が殺人犯で、若い女の子を好むのも、『ロリータ』と重なる(一切ネタバレにならないのでご安心を)。

 話をもどそう。『ロリータ』を買ったもう1つの理由は、ナボコフの母語がロシア語であることだ。自分がノンネイティブだから読めない、というのは言い訳にならない。

 さて、せっかく買ったはいいものの、相手は、世界文学史上に名を残す言葉の魔術師、ナボコフの代表作『ロリータ』。当然、手も足もでない。ノンネイティブには無理に決まってるじゃん、と投げだしたくなる。
 しかし、しかしである。目を動かすことならできる。そして、瀕死で第1部第1章を読み終わったので、その魅力を紹介する(Audibleは見ないでほしい。1分20秒で聴けることがバレてしまうから――ああ、はい。釣りですみません)。

 第1部第1章は、このように始まる。

Lolita, light of my life, fire of my loins.

Vladimir Nabokov "Lolita"
Penguin (2011) p.7
太字は引用者による強調、以下同じ。

 冒頭から怒涛のl、l、l、l。
 読めなくても面白い理由が、もうわかっただろう。そう、ナボコフの文章には言葉遊びが仕掛けられていて、文章がわからなくても――いや、わからないこそ、字面を見て楽しめるのである。
 音読してみると、とても気持ちがよい。Wikipediaによると、この文章はfの音でも韻を踏んでいるそうだ。

 お次は圧巻だ。

the tip of the tongue taking a trip of three steps down the palate to tap, at three, on the teeth.

Vladimir Nabokov "Lolita"
Penguin (2011) p.7

 ここまで来ると、「作者の人、ここまで考えてるんだ」と感動する。
 この頭韻の妙技は、訳者心をくすぐるようだ。大久保康雄訳も、この点にはこだわっている(と思うのだが、大久保訳の場合はたまたまなのではないかという気もしないではない)。

きが口蓋をすすんで、歩目に軽く歯にあたる。

ウラジミール・ナボコフ『ロリータ』
大久保康雄訳、新潮文庫(1980) p.14

 次はわたしのお気に入り、若島正訳。

が口蓋をがって、歩めにっと歯を叩く。

ウラジミール・ナボコフ『ロリータ』
若島正訳、新潮文庫(2008) p.17

 大久保訳と若島訳を比べてみよう。
 若島訳では、「すすんで」が「下がって」になっている。「先」「三」「下」「三」と「さ」を並べることにこだわったようだ。それから若島訳は、「軽く」を「そっと」に直している。サ行に統一するための操作だ。ひょっとすると、「叩く」も、「tata」の音を意識したのかもしれない。
 このように、原文に目を通すと、翻訳を読むのも楽しくなる。これで文字だけじゃなくて、意味まで読めたら、面白くないわけないじゃないですか?

 ほかにもshe didとindeedで韻を踏む次の一文や、

She did, indeed she did.

Vladimir Nabokov "Lolita"
Penguin (2011) p.7

 第1章最後の、

Look at this tangle of thorns.

Vladimir Nabokov "Lolita"
Penguin (2011) p.7

 も美しい。
 こうした文体には、語り手のハンバートも自覚的で、彼はこう書いている。

You can always count on a murderer for a fancy prose style.
殺人者というものは決まって凝った文体を用いるものである。

Vladimir Nabokov "Lolita"
Penguin (2011) p.7
若島正訳、新潮文庫 (2008) p.17

 この「凝った文体」をたっぷり味わうことができるのが、原文を読むことの魅力なのである。

 わたしは、ナボコフの魅力にすっかりやられてしまった。
 英語を学びながら、長い時間をかけて、読み通したいと思う。……序は飛ばしたので、まずは序から(じつはこの序は、『ロリータ』を読むうえではかかせない)。

 さて、第1部第1章というきわめて短い文章を読み終えたわたしの感想は、ハンバートの言葉で閉めよう。今度は、原文で。

A poem, a poem, forsooth!

Vladimir Nabokov "Lolita"
Penguin (2011) p.57


余談


 以下は、「わかった、ナボコフが面白いことは認めよう。でも、原文を読んで面白いのはナボコフだけじゃないの?」という人に向けた余談。

 結論から言って、そんなこと、わたしに聞かれても困る。他の原文なんて読んだことがないからだ。
 だが、どうも頭韻は英語圏ではかなりメジャーなようだ。

 というのも、ネイティブの低学年向けの辞書、"Collins First School Dictionary"(2005)に、alliteration(頭韻法)が立項されているからだ。この辞書がどういうレベルか確かめるために、他のalから始まる単語をすべて見てみよう。

alien(宇宙人)、alike(似ている)、alive(生きて)、all(すべて)、alligator(ワニ)、allow(許す)、almost(ほとんど)、aloud(声に出して)、alphabet(アルファベット)、alphabetical(アルファベット順の)、already(すでに)、also(また)、altogether(全部で)、always(いつも)

 この基礎的な14個の単語+alliterationが、alから始まる単語である。
 恥を忍んで告白するが、わたしはalikeとaloudとaltogetherがわからなかった。でも、12/15、つまり4/5はわかったということで、語彙レベルがかなり低いことがうかがえる。

 語彙レベルを測るのに、うってつけのサイトがある。Weblioだ。Weblioで単語を引くと、語彙のレベルが付記されている。この単語を知っていれば、これくらいの語彙力があるんじゃないっすかね、と教えてくれるわけだ。
 ヘルプページに書かれたレベルは、推定語彙数1~500語のレベル1(初学者)から始まり、推定語彙数9001~10000語のレベル16(上級者)まで。
「「レベル16(advanced)」より上もありますが、それ以上については、英語力に磨きをかけて、ご自身でご確認下さい!」と、往年の攻略本のようなことが書かれている。裏ステージかな?
 
 試しにalikeを引いてみよう。レベル2(初心者)。推定語彙数は501~1000語。aloudとaltogetherは3(研修者)。all、almost、alwaysにいたっては1。この14個のなかで1番高いのはレベル6(努力家)のalphabeticalだが、これはalphabetからの類推で導ける。次点がレベル5(努力家)のalligatorだ。

 そろそろオチも見えて来たと思うが、alliterationのレベルは19だ。裏ステージじゃん。
 alから始まる単語なら、他にもalarm(警報)、alter(変更する)などがある。あの、お言葉ですがalarmのほうが重要じゃないですか? 火事になったときにalliterationって役立ちます?
 にもかかわらず、編者はalliterationを選んだのだ。どんな英才教育だよ。

 でも、考えてみれば、確かに英語は次の単語の語頭でaとanを切り替えるという器用なマネをしている。make upをメイカップと発音するのだって、自由自在だ。語頭や語尾に意識が向くのは、当然なのかもしれない(ちなみに、脚韻rhymeも載っている。これはレベル6。なんで?)。
 alarmを押し除けるのはやりすぎだと思うが、少なくとも日本より韻に対する感覚は鋭そうだし、alliterationは未就学児が引いてもおかしくない単語なのだ。

 たったひとつの辞書をもとにした心もとない論証だが、いずれにせよ、『ロリータ』が高評価を受けている理由のひとつに韻の美しさがあるのなら、文学作品に頭韻や脚韻が頻出してもおかしくないだろう。