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noteを書くこと=自分の内側を表現すること、その恥ずかしさのお話

みなさんこんにちは。
イシトイロのnozomiです。

本日も投稿をご覧いただき本当にありがとうございます。

私は管理栄養士として本業をしている傍ら、アクセサリー作家として活動し、さらにコミュニケーション講師も目指しているというたくさんのわらじで人生を楽しむことを目論んでおります。

このnoteでは何足ものわらじを編む、そんな人生を進んでいく中で、さまざまな出会いを通して感じたことを毎日アップしております。

今日の投稿は、「noteを書くこと=自分の内側を表現すること、その恥ずかしさのお話」というテーマで綴っていきたいと思います。

どうぞお付き合いいただけますと嬉しいです^^


友達がブログを書いているというお話を聞いて

先日、久しぶりにあった友達と話しているときに、ブログの話題になりました。

その友達はブログを書いていると言っていたので、そのブログを教えてもらい、ブログをその場で読みました。

その時の友達の反応は終始恥ずかしそうにしていました。

友達はブログをワードプレスで作成し、そこからブログをアップしており、すごいなぁという思いとともに、その友達らしい文章に素敵だなぁと感じていました。

そしてふと思ったのです…

私もnote書いているけど、この場で伝えのは何だか恥ずかしい。
note読まれて何て思われるだろう。。


客観的に考えてみる

友達のブログは素敵だなと私は思っている。

でも自分のnoteについては何て思われるか分からないし、恥ずかしい。

これって何だかおかしい事を思っている、ということに私は気がつきました。

私はこのnoteに日々感じたことや自分の想いについて綴っています。

その時は、自分の事を良く見せようとか、こう思われたいななどの気持ちを持たず、なるべくありのまま、素直に綴ることを心がけています。

つまりそれは私の内側、ありのままの私を表現していることだと私は思っています。

それなのに、私のnoteを読んでくださる方に何て思われるだろう、とか恥ずかしいなどの気持ちを持つことってそれはちょっと違うんじゃないかなと思いました。

恥ずかしいものを書いていると思うことで、私は自分で自分を傷つけている行為をしているのではないだろうかと気づきました。


私はnoteを書いています、と胸を張って言えるようになる


・ブログやnote、本など文章を書くこと

・インスタに写真を投稿すること

・Youtubeに動画を投稿すること

文章も写真も動画も絵もそれ以外のことも、全部自分を表現するためのツール。

そして私たちはそのツールを使って自由に何でも表現することができる。

その表現を見られることに恥ずかしさを持つ必要などないのです。

そこに恥ずかしさを生んでしまうと、それは自分自身を肯定していないことになってしまう。

相手にももちろん、自分自身に対してとても失礼なことをしているなと思いました。

人はそれぞれ見えている世界が違っていると言われています。

どんなに同じように見えていると思っていても、本当は誰一人同じようには見えていないのです。

そして今は誰しもが表現者で、さまざまなツールを使って自分の見えている世界を表現すること、それこそに価値がある時代となってきています。

Youtubeやインスタは個人の広告媒体になっていると言われています。

だからこそ、自分を表現しようとするときに、

上手に文章を書かないといけない、とか

こんなこと伝えたらダメなんじゃないか

などは自分の価値に蓋をしてしまっているようなものではないかと感じています。(もちろん、相手を傷つける表現はダメですが。)

ありのままを伝えることを恐れずに、私が感じている私だけのこの見えている世界をどんどん表現していきたいなと改めて思うことができました。


右にならえの教育を子供の頃から受けていた私にとっては、自分を表現するということに抵抗が生まれることがあります。

しかし、このnoteで少しずつでも自分を表現して、自分をもっと肯定でき、気持ちを楽に生きていけたらなと思っています。

そしてこの私の文章がどなた様かの心に響いてくだされば、なお嬉しいです^^

ここまで読んでくださり本当にありがとうございます。

また明日の投稿でお会いいたしましょう。


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