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愛されながら、独りで生きたい

 私の17歳からの人生のテーマは、「独りで歩けるお姫様」。王子様の手を取らなくても運命は自分の手で選ぶし、ガラスのヒールでガンダする、そんな強い心と、少女精神は忘れずに、自分の中の1番かわいいを貫いて生きる心を併せ持って生きたい。そんなニュアンスでこの言葉を使っている。

 この精神に合ってひとりで生きる一方、独りが寂しくなったら時々、漠然と思うことがある。

恋人が欲しい

 マジでそう。なんなら欲しすぎて泣くことあるくらい欲しい。私にも理解のある恋人がいます♡←これ、絶対人生のうちに一回やりたい。なんなら、カップルエッセイ描いてアホほどバズりたいよな。これは嘘。

 人生、好きな人がいなかったから恋人ができなかった訳じゃない。好きな人はいた。でもなんか、突然冷める。その人がトイレに入ってくの見たとか、スネ毛が生えてるとか、そういう出来事で冷める。しかも、好きな人に彼女ができた時よりも、友達に彼氏ができた時の方がヘラった。X倍とかじゃなく、前者が起こった時は0ダメだったのに、後者ではリアル3日くらい引きずった。この時に私は「あれ?これまで好きだった人全員のこと、“恋愛的に好き”じゃなくて“憧れ”目線で見てたんじゃない?」と考え始めた。振り返ってみると、彼女がいるらしいと聞いても「いや、あんなかっこいいんやから当たり前やろ」 くらいだったし、告白して〜とも思わなかった。いや正確には思ってたけど、なんかこのままダラダラしててもよくねーわ!サクッとフラれよう!みたいな義務感で思ってた。
 私は好きだった人たちの事を“理想の男子高校生”として見てた。ほんまこれ。だからトイレ行くの見たり、スネ毛が生えてると冷める、あんな風に制服着こなしてーとか考えてた。私、マジで気持ち悪いな…こういう理由で、好きだった人=憧れの人 という公式が自分の中でめちゃくちゃしっくりきた、あとシンプルに少女漫画が好きだから恋愛という行為に憧れてた、それで全部って感じ。

 そういう経緯で私の“好き”がなんか違う!!と思ってから、現在、恋愛って何?になっている。あとシンプルに、他人と、粘膜まで触れ合いたい欲がある訳でもない。「恋人」が欲しいというより、「友人を超越していて、かつ家族ではない存在」に愛されたい、というのが1番しっくりくる。でも、私が知る中で、「友人を超越していて、かつ家族ではない存在」に1番近い言葉が「恋人」。だから私は恋人が欲しいと言っているような気がする。

友達から貰う愛は脆くて怪しい。どこか1つでもミスれば崩れる、また家族から貰う愛は、本物だろうけど贔屓目があるので評価値が狂っている。だからその間の、中途半端だけど1番社会からの評価に近くて、本物っぽい愛が欲しい。それを受けると社会の一部として生きてもいいと認められて、生きやすくなる気がするから。それって運命背負った王子様じゃない?じゃあ私はお姫様じゃん!やった〜⭐︎
こんくらいの気持ちで、今日も私は恋人ほしー!て裏垢かどっかで呟いてる 私の恋人ほしー!割と重量がある これでできたら奇跡だよな その時はみんな三日三晩寝ずに宴を開いて欲しい。


いつか現れるであろう(現れてくれ)恋人へ
絶対にこの記事を読まないでください
私より


 noteを作る上で「1記事1枚イラストを描く」という縛りを自分に課している。物心ついた頃から絵を描いていた身からすると、小4の時に「書く文が短すぎるので、先生と一緒に頑張りましょう。」とわざわざ通知簿に書かれた 書く 行為より 描く 事の方が自分の内側を表しやすいと思ったから。
今回は「好きなもの全部盛り」。露出の高い服、ハート、フリル、リボン、ゴツいスニーカー、厚底…全部好き。この中の要素の中には モテ服 に含まれるものもあるけど、これらを誰かが喜ぶからじゃなく、己の為に着ているという行為が最高。そんな人間になりたいね 本当に文章を書くのが下手ですね私 おやすみ

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