アイディアは先に考えた人がすごいのか?

天才の中にはうまく調子に乗れる人がすごく多い

中学生だったか高校生の頃、わたしはある日父に偉そうに何かの持論を語っていた。すると、
「お前の考えてることなんか、誰かがすでに考えてんだよ。」
と、バッサリ言われた。

広い世界、これだけ多くの人がいるんだ、自分と同じ事をすでに考えた人がいる可能性はすごく高い。

自分でもそう思ったから、
「あぁ、自分なんて大したことないんだなぁ。」
と漠然と思ってしまった。自分のアイディアの価値が虚像のように思えた。

もし父があんな事言わなければ、わたしは調子に乗って今頃はNASAで働いていたかもしれない。それは冗談だけど、後になって天才の中にはうまく調子に乗れる人がすごく多いということを知ったとき、なんだか父のせいで自分の可能性が潰されたような気になった。

天才の中には打たれても気にしない人がすごく多い

しかし、出る杭は打たれるのが常。父が言わなくても、遅かれ早かれ誰かに調子に乗るなと言われていただろうから、父が悪いわけでもないのだろう。天才の中には打たれても気にしない人がすごく多いという事を知ったとき、悪かったのは父の言葉を気にしすぎて自信を喪失てしまった自分の打たれ弱さだろうと思った。まぁ、打たれ弱く育てた父を責めてもいいならそうしたいところだが。

とにかくわたしはどっちみち天才にはなれなかったのだ。
まぁいい。天才になれない運命なんてすんなり受け入れられる。それよりも父の言葉に対してどうしても受け入れられない何かが残っていた話をしたい。俗に言う「腑に落ちない」というやつで、しばらくは何に納得ができないのかよくわからなかった。

一番目至上主義

わたしは勘違いしていたのだ。
「世界初じゃないと価値が無い。」
これが世間の常識で、父はそれをわたしに教えたのだと。

なのでわたしはその後、いいアイデアを思いついてもそれが世界初であるかどうかを異常に気にしていた。
「そんなん、オレはとっくの昔に思いついてたよ。」
なんて誰かに言われた日には、ものすごく恥ずかしい気がしていた。

そんなに恥ずかしい事かな?経験を積むにつれ、腑に落ちなかったのはこれだとわかってきた。

本来そんな風に恥ずかしく思わなくていいのだ。
世の中には、アイディアが世界初じゃなくても"言った者勝ち" "やった者勝ち" の二番手・三番手がたくさんいるんだから。
行動に移して認められれば、順番は関係ない。頭で思いついただけの人よりは、足を使って手を使って実行した人の方がずっとすごい。
例え一番手が既に成功していたとしたって、同じことをやってもいいんだ。単純な真似っこはあまり好きではないが、自分なりの良さを加えて差別化できる自信があるならむしろやるべきだ。実際、ライバルが多い方が市場が活性化している事例なんていくらでもあるじゃないか。

一番目至上主義に取りつかれた人

あるスマホゲームの開発者が自慢げに言っていた。

「カードを複数枚集めると、カードが進化するゲームが人気を集めている。そのアイデアは我が社が最初に思いついた。しかし大手にそのアイデアを真似されてしまった。大手が開発したそのカードゲームは大儲けしている。我が社のゲームがバズらなかったのは大手の陰に隠れてしまったせいだ。特許を取っておくべきだった。」

もしかしたら他の人は「かわいそうだな」と思って聴いていたかもしれないし、お金を稼ぐには特許の件はある意味正しいのかもしれない。けれどわたしは、この人はなんでこんな恥ずかしい言い訳を人前でしているのだろうと思った。
その会社のゲームはビジュアルの魅力もUXの魅力も低く、売れない原因は他にも多くあるように思えた。それに大手のゲームが実績を上げているなら、それに引っ張られて類似ゲームも売れると考えることだってできたはずだ。

真似されたのが事実だったとしても、それは開発を止める理由にはならない。売れなかった他の原因に向き合わなかった言い訳としても使えない。

「先に思いついた」それに価値があると過剰に思い込んでその幻想にすがっているから、自分の欠点に向き合うことができなくなるのだ。
それにそんな誰でも思いつきそうなアイデアで特許なんか取って、業界の自由な開発を邪魔するのはやめてほしい。

一番目至上主義なんてガキじゃあるまいし、使い方がわからないならいったん忘れた方がよくはないだろうか。


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