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新潟といえば(ショートショート)

第1回NIIKEI文学賞ショートショート部門の落選作です。

 米越光は11歳のとき、両親と東京に越してきた。

 学校の同級生は温かく迎え入れてくれた。光は安心した。新潟で生まれたことを話すと、皆は「新潟といえばお米だよね」と口々に言った。一人ならまだ良かったが、クラスメイト全員に訊かれ、隣のクラスに訊かれ、あまつさえ違う学年に訊かれたとき、光はついに失神した。自分のアイデンティティが「新潟=米」のイメージに蹂躙されてしまい、光は自我を失った。

 光は自分の米越という名字を言えなくなった。「コメント」「~個目」などの言葉にも過剰に反応し、部屋の隅で耳を塞いだ。動悸が激しくなり、冷や汗が服を濡らした。果ては「アメリカ」ですら連想してしまい、日常会話も困難になった。新潟から優れたドクターを呼び、光は本格的な治療を受けることになった。

 コメ、ベイ、マイといった文字を毎日少しずつ摂取させる。治療は難航したが、光は徐々に適応し始めた。同時に新潟の講習を受けさせた。文化や歴史、地理について。新潟県の草食恐竜のような形も、ミリ単位で書き写せるほど模写させた。ドクターは言う。

「光くんは、新潟には米しかないという偏見に支配され、心を壊してしまった。しかし本来、それを恥じる必要はない。地元を誇りに思うことは自然だ。素直に受け取ればいい」

 光は治療を終えた。18歳だった。光は卒業後、就職を望んだ。膝の上でぎゅっと手を握り、光は面接官と向かい合う。
「米越光です、よろしくお願いします」

 無事就職した光だったが、一抹の不安があった。光は完治していなかったのだ。中学と高校は新潟出身であることを隠し、パンを主食とし、米を必死に避けてきた。自身の名字を呼ぶのにもまだ抵抗があった。光は怖かった。新潟と米、両方の要素を併せ持つ言葉を不意にぶつけられたとき、果たして正気を保てるのかどうか。会社の人たちは親切で、優しく声をかけてくれる。同僚は柔和で、上司は朗らかだ。

 だから、油断していた。上司は光の背後から、冗談めかして言った。

「これからよろしくな。新米!」

 光の行方は、誰も知らない。

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