奴隷道徳のエリート教育

上の記事を書いていて流れで思ったこと。

そもそも「恥ずかしい」って感情は「多くの人が正しいと思うことに反したこと」をした時に感じるもの。

アリストテレス曰く、若い時は知恵が少なく、理性に乏しいから”恥じらい”の心を持つのが良い(要するに周りを良く見て合わせろ)、しかし、歳取って成長したら、周りがどう思うかではなく、何が正しいか(美徳か)を自分で考えてそれに従えと言った(たぶん)。

とにかく、「恥ずかしいから何かする」っていうのは未熟な者がやることで、高潔な人のすることじゃないと言っている(はず)。

「皆が言うことが正しい」っていう道徳観を奴隷道徳と言って批判した人にニーチェがいる。

自分の頭で何も考えずに恥ずかしいから○○するって人は正に奴隷道徳の申し子、ニーチェに言わせれば畜群。

俺に子育ての経験がないから偉そうなことは言えないけど、子供に「恥ずかしいから○○しなきゃだめでしょ!」的な教育は畜群を生み出すための教育に思えてならない。どうせ大人になる頃には大抵の人間は弱者側になって、畜群心理を自分で養って立派な奴隷になるんだからせめて子供の時くらいはそうならないようにしてあげて欲しいね。奴隷道徳を子供の頃から徹底的に教育されたエリートを作ってもしょうがないわけだし。

ん?そういえばどこぞに恥の文化というものを誇らしげに掲げている国があったとかあるとか聞いたな。きっとその国はエリート奴隷を大量生産する国でどこかの国の植民地か何かなんだろうなあ。


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