承認権限

俺が責任をとる!・・・もっと良い言い方はないものか。意思決定フローにおける責任とは何を意味するのか。①失敗したときに叱られる、②失敗して損失が出たら補填する、③成功する確信がある、④リスク(不確実性)を許容する、⑤失敗しても詰めない・・・ほかにもいろいろありそうだ。①は当然だとして、②の金銭負担はサラリーマンができるものではない、③の確信を得たからこそ承認するというのが最もしっくりくる、④もやってみなければ分からない(これ以上、考えても分からない)、勝算がある場合の判断として妥当だ、⑤は背中を押すといったところか。

意見が割れるシーンだと「(他者ではなく)私に承認権限がある」といった使われ方をする。ヒエラルキーの上位者だったり、職権の主張と理解できる。「権限」という言葉は、どこかエラそうな響きを伴うが、成功する(失敗しない)責任あるいは義務と表現した方が実態を表している。否決することも立派な判断である。蛮勇で承認ボタンを押下してはいけない。

権限規程や稟議/決裁制度を社内に落とし込むとき、このあたりの意味合いを理解してもらうのが難しい。出世して権限を得たことを喜ぶのは素直な気持ちだ。しかし権限者が天狗になっては困る。上位者としての大胆さと思慮深さを合わせ持ってほしい。「承認行為は承認した者に責任が移ると思ってほしい」「権限とは成功する責任/義務のことだ」と説いて回った。ワークフローであれば部下が起案して、課長がチェック、部長が承認するといった流れになる。部下から課長へ、課長から部長へ責任が移るイメージを訴えた。

経理や法務といったコーポレート部門が審査に絡むこともある。営業部門と管理部門を対峙させ内部牽制を効かせる仕組みだ。営業パーソンは「経理は頭が固い」と憤り、経理パーソンは「営業は無茶ばかり」と嘆くものだが、この関係は内部統制の一環なんだとお互いに理解していれば、多少はストレスが軽減するはずだ。

常勤監査役に多くを教わった。事業会社の社長をされていた方で、DXとか脱ハンコといった次元を超えて普遍的な要諦を説かれていた。「バッドニュースは早く上位者に報告しろ。裁量が大きくなれば処理できる(別件で穴埋めできたりする)」と言われて合点がいったものだ。稟議は合議制の書面版として運用する、決裁は迅速な業務執行のため権限者の承認をもって行うなど、先人の知恵に気づかさせることがある。上司も部下も社内ルールをうまく使いこなしたいものだ。魂の入った・血の通った意思決定フローがある会社は強い。



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