雷燦々と都市に落ちて
この夏の落雷はもう去年までのそれとは比べ物にならない域。
東南アジアなどでは、ずっとこうだったのだろうか?でも去年行ったベトナム(トランジットだったので行きと帰りで計24時間いたかどうかだけれど)でも雷には遭わなかったと記憶している。
私は、もう散々SNSへ書き殴ったりしていることからもお分かりいただけると思うが、大の雷嫌いである。
まず、遠くの方から雷雲が近づいてくるのを見るだけで冷や汗が出てくる。せめてあんな、いかにもこれから雷落としてやるぜみたいな鈍くて暗い灰色でなければいいのに。
そして、遠くで光ったのを感知したら、手は震え、吐き気を催し、胃が痛み、胸がドキドキし、顔は赤らみ、そのことしか考えられなくなり、何も手につかない。恋、なのかもしれない。
音が聞こえるとそれはさらにひどくなる。なるべく音の聞こえない、主に布団の中などに隠れ、イヤホンで音楽を聴いたりスマホやパソコンを布団の中まで持ち込んで映像を観て、雷の音と光が私の視覚と聴覚に触れないよう気を遣う。私の世話をするのはとても大変。だから人の世話くらい他愛のないことと思ってしまう。実際はそんなことないってわかっているけど。
これを書いている現在(2024年8月24日22:00)、まさに少し前から雷がゴロゴロとしだして、私は暑いのにも関わらず布団を被ってイヤホンをしこれを書いているのである。かなり暑い。でも怖くて布団から出られない。助けて。だけど書いていると幾分か気が紛れる。中々こういう随筆のような文章を書こうとしないので、いい機会だと思うことにしている。
今は大人になって、子供の頃のように外でも動けなくなってしまったりはしない。外にいたり、人といたりすると幾分か気分は紛れるようになった。それでも話に集中できなかったりするので本当にやめて欲しいと思う。
どうしてこんなに雷が嫌いなのか、色々と原因を探ろうとしたこともあるのだが、親に聞いたりしても全く分からなくて、小さい時からとにかく怖がっていたんだそう。
思い返してみても、何かきっかけのようなものは思い当たらず、ただ物心ついた時にはもう雷が怖かった。何度か、通っていた絵画教室で座布団の下に潜り込んで動けなくなった記憶もある。
でももっともっと記憶を掘り返してみると、小さい頃私は大きな音と光全般が怖かったことを思い出した。
花火大会がとても憂鬱で、耳を塞いでいたりした。
爆発とか、そういうものにトラウマがあるのだろうか。
もし、人に前世というものがあるのなら、私は爆弾か何かで辛い目に遭ったのだろうか。などと思いを巡らせているうちに何となく外が静かになってきたような気がする。人は怖いものや、苦手なものにかなり敏感なのだ。ネズミ嫌いの人はネズミの存在を苦手で無い人よりもすぐに察知する。と昔、佐々木倫子先生の「動物のお医者さん」に書いてあるのを読んだ。
雷が遠のいたことも、視覚と聴覚を完全に遮断していても空気で感じる。近づいていることも然り。
今、完全に雷雲がいなくなったのを感じた。だけど怖いからもうしばらくこうしていようと思う。
それにしても、悪魔か魔女か、はたまた妖怪か怪物か、得体の知れない何かのような私であるのに、雷が怖いというのは、なんか似合わないような気もするし、でもこれくらいの人間味というか可愛げ(?)があってもまあいいのかなとも思っている。
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