『ディーパンの闘い』(2016.02.12公開)
以前、パリの宿泊費の高さにあまりについていけなくて、郊外ならどこか手頃なところがあるんじゃないかと思って探し始めたのだが、Booking.com で見つけた「安いな」「パリからも便利だな」と思った宿は、レビューをつけている人の国籍がナイジェリアばかりで、しかもそのレビューが「ドアが壊れている」「トイレから下水のにおいがする」など散々であった。ああ、こういうところを最初にやってきて足がかりにする人たちのための宿なんだなあ、と思ったものである。その宿には泊まらず、街にも行かなかった。
『ディーパンの闘い』の舞台となるのは、たぶん、そんな感じの街なんじゃないかと思う。フランス中ずっと一つの空でつながっているはずなのだが、重くたれ込めた雲の寒々しさが、とりわけ感じられるような街(まだ紹介していないのだけど、1/16に公開される『バーバリアンズ セルビアの若きまなざし』 で描かれるセルビアとつながってそう。太陽の当たらなさが、希望の光の見えなさと結びついているように感じられてしまうような街なのだ。
「ディーパン」は仮名である。祖国スリランカで、圧政を受けていた少数民族による反政府組織「新しいタミルの虎」のメンバーだったのだ。政府による拷問を逃れて難民(亡命というべきですね)を企てる彼は、仲介人から、その日に会った女性、少女と、家族を装うように指示され、かろうじてフランス入国に成功する。そしてパリ郊外の、その建物の住人たちもギャング化しているアパートメントの住み込みの管理人となる。早く資格を得て親戚の住むイギリスに渡りたい、偽装妻の女性とは喧嘩ばかり。偽装娘の少女は学校になじめず(フランス語を学ぶ学級が大入り満員)喧嘩沙汰になって親が呼び出しを食らったり、学校に行きたがらなかったり。
とくに深刻なのは、偽装妻である女性との家庭内での対立だった。活動家(というよりは民兵)だったディーパンの考え方を、女性は「乱暴」と切り捨て認めない。自分を否定されているように感じるディーパンは当然、面白くない。
ところが、彼らが住むアパートが、ギャング同士の抗争に巻き込まれたことで、三人の人間関係は変わってくる。彼らから見れば「ネイティブ」の、色の白い人々。しかし彼らも社会から疎外された存在であることを見せつけられたことが、彼らの心にくさびをうつのだ。
「おまえ、どこから来た? インド? パキ? え、スリランカ? 知らないな、そんな国」。偽装妻のヤリニを家政婦として雇うことになった超口悪いお兄さん(白人でイケメンなのだが、ラテン人に見えない、ロシアか東欧から来た感じがただよう)は、脚に腕時計のようなものをとりつけている。正確にいうと、とりつけ「られ」ている。
「これなあに?」
「GPS」
「?」
「俺の居場所がどこかわかるようにするんだ」
「居場所……走る? ラン(run)? クリール(courir)? ジョギング?」
……お兄さん、苦笑い。
本作は2015年のカンヌのパルム・ドールで、その受賞に対してクレーム続々だった、ということが伝えられているが、賞を逃したナンニ・モレッティなんかもよかったのかもしれないけど、この作品がとくに劣っているとも思えなかった。ジャック・オディアール監督の作品は、私は『リード・マイ・リップス』しか見ていないのですが、この、サスペンスとヴァイオレンスとユーモアとのバランスが、私は二作とも好きです。
なお、特記すべきは、主演、タイトルロールのアントニーターサン・ジェスターサンが、ほぼディーパンと同じバックグラウンドであること。祖国スリランカで16歳から19歳までタミル・イーラム解放の虎(LTTE)の少年兵として闘った後、タイに4年間潜伏、93年にフランスに辿り着いた。スーパーマーケットの従業員、コック、ハウスキーパー、ユーロディズニーのホテルのベルボーイなど、様々な職を転々とした数年の間、ソバサッティというペンネームで執筆活動を続けていた。15歳の時から開始しながらも、政治活動のため断念しなければならなかった文芸活動は、フランスに来て実を結ぶ。映画は初出演だが、生き様が身体から溢れ出すような怪演は、一目置く価値があると思う。原題はシンプルに『Dheepan ディーパン』である。
(C)2015 WHY NOT PRODUCTIONS - PAGE114 - FRANCE 2 CINEMA
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