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MASAMI座談会 「汚れなき豚友達へ」 〜前編

  2016年4月発売の雑誌「別冊ペキンパー」において、「JAPANESE HARD CORE伝説〜ジャパコア✖マサミ」というタイトルで元GHOULのボーカルで片手のPUNKSマサミさんの特集が組まれていた。
 現在では廃刊となってしまっているのだが、2020年4月にLOFTブックスから発売された「関西ハードコア」のシリーズ第一弾が、この雑誌「別冊ペキンパー」の「JAPANESE HARD CORE伝説〜ジャパコア✖マサミ」であった。
 発売当時ページ数の関係などもあり、かなりの部分をカットして掲載されたのだが、今回大幅な加筆修正を加え公開できることとなった。
 ネットでの公開ということで文字制限がないため、当初カットされた部分も掲載していきたいと思う。
 まずは巻頭特集で掲載されたMASAMI座談会について、掲載記事の3倍のボリュームになるために、3回に分けて掲載して行こうと思っている。写真も当時のものを掲載しているので、楽しんでもらえたら幸いだ。
 昭和の東京ハードコアの実情がここまで語られたインタビューも、そう多くは無いだろう。2020年に他界してしまったMAXの話も貴重な話である。R.I.P MAX…
 それではまず前編から楽しんでいただきたい。

※「汚れなき豚友達へ」とは、マサミさんの革ジャンの背中に書かれていた言葉。

座談会メンバー
ヒロシ(THE TRASH Ba.)、マーチン(THE TRASH Vo.)、カズシタイガー(THE TRASH Gt.)、クマ(FINAL BOMBS Ba.Vo. ex.GHOUL Ba.)、MAX(ex.GHOUL Gt.2020年他界)、特別出演タツシ(マスターベーション、ex.奇形児 Ba.)

インタビュー/文 ISHIYA(FORWARD / DEATH SIDE)
場所 新宿思い出横丁「つるかめ食堂」

「TRASH連って呼ばれてたね。」

—今回マサミさんの話を皆さんにしてもらいたいんですけど、最近後輩とかのパンクスやバンドやってる人間でも「マサミさんを知らない」って言う人間がかなり多くて「こりゃイカン、絶対にマサミさんのことは伝えなきゃいけない」と思って、この面子なら間違いないだろうと集まってもらいました。1番最初にマサミさんと会ったのって誰なんですか?

ヒロシ 俺だろ。22歳ぐらいじゃねぇのかな?

MAX 原宿繋がり?

ヒロシ いや、ディスコで遊んでてさ。

クマさん ツバキ?(ツバキハウス 新宿にあり、火曜日のみロンドンナイトというパンクの曲がかかる日があったディスコ)

ヒロシ ツバキじゃなくて歌舞伎町のディスコで遊んでてさ。今のロフトの通りの真ん中あたりにジャック&ベティっていうディスコがあったんだよ。そこができたときにタダ券を配ってて、俺らみんなその辺に溜まってたから色んなヤツがいたんだけど、マサミはギリシャあたりで遊んでたんじゃないかな?俺はそこでバイトもしてたからさ。その頃にマサミに会った。

クマさん ギリシャ館?俺よく行ってたなぁ。 

マーチン 俺は高知から19歳で出てきて、西麻布にあったクライマックスってパンク&ニューウェイブのディスコで初めて会った。SEX PISTOLSのジョニー・ロットンのガーゼシャツ着て、手に包帯グルグル巻いてたのがいて。それがマサミ。まだTRASHがバンドでもなんでもないころ。

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カズシ ハードコアのGIGの警備やってたりね。俺THE CLAYのときに、前でヒロシさん鎖巻いていたもん(笑)。

マーチン TRASH連って呼ばれてたね。

ヒロシ だって誰も楽器弾けないんだから(笑)。

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30年以上に渡るバンド活動とモヒカンの髪型も今年で35年目。音楽での表現以外に、日本や海外、様々な場所での演奏経験や、10代から社会をドロップアウトした視点の文章を雑誌やWEBで執筆中。興味があれば是非サポートを!