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混沌のランドマーク

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このコラムは、以前インディーズインフォというWEBサイトで連載されていた「混沌のランドマーク」というもので、サイトがなくなってしまったためにコラムも読めなくなってしまった。 結構… もっと読む
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#PUNKS

PUNKとは何か?

海外雑誌などのインタビューを受けることがたまにあるのだが、海外では日本のパンクシーンが不思議に見える部分もあるようだ。 以前聞かれたのは、主に上下関係についてのことで「何故日本のパンクスたちには上下関係のようなものが存在するのか。パンクとはそういった一般的常識を覆すものではないのか」というような内容の質問があった。 確かに俺の拙い英語力で考えると、まず英語には敬語というものが無いように思う。たぶんだけど。名前を呼ぶにしても「◯◯さん」などと呼ぶなら、いちいちMr.と付ける

人は見た目で判断しろ

俺が初めてモヒカンにしたのは、まだ高校に行き始めて半年ぐらい経った16歳の頃だった。 それまでの中学生時代は、校則で「男子は全員坊主頭」という決まりがあり、髪型には様々な憧れがあった。 中学生でPUNKと出会い、スパイキーヘアーやモヒカンを雑誌などでは見ていたが、実際にモヒカンを見たことは無かった。 1970年代後半から80年代初期にPUNKと出会うまでは、日本でモヒカンにしているのは暴走族ぐらいしかいなかったと思う。 初めてモヒカンを実際に見たのは、中学生の頃に原宿

無礼な男の礼儀

バンドをやっている人間は、自分がライブをやる前に様々な方法で集中力やテンション、モチベーションを上げる。 何日も前から色々考えてその日に備える人もいれば、その日の感覚を大切にしてステージに持ち込む人もいる。 ツアーなどに出た場合などの身体が疲れきっているときや、仕事後にライブがあるときなどは、モチベーションを上げたり、スイッチを切り替える方法も人によって様々なやり方があるだろう。 ひたすら楽屋で集中力を高める人もいれば、楽器の場合、曲のチェックなどをしながら本番を待つ人

ツアーのススメ〜海外編

前回のコラム「ツアーのススメ〜日本編」で書いたように、俺は約20年ほど日本国内をツアーし続けてきたが、遂に海外でのツアーを行うときがやってきた。 初めて行った海外ツアーは、2006年のアメリカツアーだった。 今考えると、全く誰も知り合いがいない国で、ツアーを取ってくれたのもカナダのレーベル。サポートバンドもなしでのFORWARDだけでアメリカのほぼ全域を、一ヶ月ほどかけてツアーしてきたのは無謀だったのかもしれない。 各土地土地で、やる場所と何ヶ所かだけ運転手をしてくれる

ツアーのススメ〜日本編

16〜17歳頃からバンドをやり始め、初めて東京以外の街に行ったのは大阪だった。 西成の近くにあったエッグプラントという素晴らしいライブハウスがあって、そこにOUTOが呼んでくれた。 メンバーみんなで車に乗って大阪まで初めて行ったときはワクワクと緊張と、色々なものが混ざり合って全く眠れなかったのを憶えている。 そのときは単発だったが、ツアーというものに初めて行ったのはバンドではなく、他のバンドのツアーに勝手について行ったものだった。 1980年代後半にSELFISHレコ

変化

友人がやっていたBASTARDというHARD CORE PUNKバンドに「NEVER CHANGE」という名曲がある。変わってしまうことを皮肉り、変わらないことの素晴らしさを歌っている大好きな曲だ。 地元にいた高校生のころに、何だかよくわからないが色んなことが気に入らなかった。まわりの人間とも全くソリが合わず、本当の友人と呼べる人間は2人ぐらいしかいなかった。 そんなときに音楽、PUNKやROCKと出会い俺の人生は劇的に変わった。 高校に通い出してから、PUNKにガッツ