マサミさんヒロシさんのコピー

PUNKとは何か?

海外雑誌などのインタビューを受けることがたまにあるのだが、海外では日本のパンクシーンが不思議に見える部分もあるようだ。

以前聞かれたのは、主に上下関係についてのことで「何故日本のパンクスたちには上下関係のようなものが存在するのか。パンクとはそういった一般的常識を覆すものではないのか」というような内容の質問があった。

確かに俺の拙い英語力で考えると、まず英語には敬語というものが無いように思う。たぶんだけど。名前を呼ぶにしても「◯◯さん」などと呼ぶなら、いちいちMr.と付けるようになるのかな?厳密に言えば英語でも敬語はあるのかもしれないが、俺の知る海外の友人たちの間ではそれが無いように感じている。

恐らく日本では、尊敬という概念を持つ人間が相手に対して敬語を使っていると俺は判断しているので、その質問にはそう答えた。

しかし、学校教育や会社などの日本社会では尊敬を強要されているのも実情だろう。

その社会の中に身を置く人間なら、たとえパンクスでも知らず知らずのうちに「年上には敬語」のような癖がついているのではないだろうか。

先日俺が大好きで尊敬する友人であるが先輩である人にインタビューしたときに言っていたのだが「何で10代のころにライブハウスに行き出したかって言うと、何歳も年上の先輩が「◯◯さん」とか言うと「お前学校じゃねぇんだよ!名前で言えよ!」と怒られた。だから年上でも名前で呼び捨てだった。いやなことはハッキリしてて殴られたりとか。でも、だからずっと遊んでたりとか。だから俺は「ココ間違いないな」って思った」と。

その時代を見て育った俺は、年上の人たちに対して名前こそ呼び捨てにはしないが「尊敬する友人」という感覚で先輩たちに向き合っている。友人という感覚は相手によるところが大きいが、俺の大好きな先輩たちはいつでもあたたかく、ときには厳しく友人として迎えてくれる。

俺たちの世代は今の世代に対して、先輩たちがしてくれたようにできているのだろうか?シーンが盛り上がるか盛り上がらないかは若者にかかっている。

正直に言って、いわゆるジャパニーズハードコアと呼ばれる俺がやっているシーンには若者が少ない。それを思うと俺たちの世代が若者に魅力が無かったのかと考えてしまう。

恐ろしくてたまらなかったところに、勇気を持って踏み込んでみたらそこは愛に溢れていた。愛がある人たちだったからこそ恐ろしかったことに気づいた。仲間を思う気持ちが強いために、あそこまで暴力的だったんじゃないかと今では思う。まぁしかし、本当に怖かったけどね。

しかしPUNKって何だろうな?「PUNKはこうでなければいけない!」なんて、俺なんかにはおこがましくて言えない。

俺は死んだ後にみんなが判断してくれればそれでいい。マサミさんは、歌詞も無いし多くを語らない人だったけど、行動や生き様を見てたら、あれはPUNK以外の何モノでもない。俺なんかが言えるとすれば、あのマサミさんの生き様がPUNKだ。

思い出してみて欲しい。生まれてから経験してきた家族、友人関係、学校や会社、バイトなどの色々な社会というものを。なぜPUNKを好きになったのかを。

嫌なことを嫌だと言い、納得できないことを納得できないと言い、何があろうと好きなことを追求して行くと、この社会では自然とアナーキーな生き方になるだろう。

自分の心の声に従って生きて行けば、その姿や生き様を見て、周りが判断して行くんじゃないかな。

自分で判断する自分より、周りの友人や家族なんかが判断している自分というものの方が合ってるような気がするし。

本人は「違うよ!」って思うことが多いが。

日本のハードコア界というのは愛に溢れている。

PUNKSたちよ、メチャクチャやっていいと思うぜ。ぶっ飛ばされたりはするかもしれねぇけど。

それでも一緒にいてくれる仲間の大切さがわかれば充分だ、と俺は思う。

映画「イージーライダー」でも言ってるじゃないか「人の価値は棺を覆って初めて定まる」って。

死ぬまで全力で突っ走れば、そこに「PUNKとは何か?」の答えが見つかるんじゃないかな。


30年以上に渡るバンド活動とモヒカンの髪型も今年で35年目。音楽での表現以外に、日本や海外、様々な場所での演奏経験や、10代から社会をドロップアウトした視点の文章を雑誌やWEBで執筆中。興味があれば是非サポートを!