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「静岡ハードコア」「新装版関西ハードコア」刊行記念ISHIYA1日店長!!!at 西荻窪DARTS&VEGAN BAR METEORA
4月23日に発売される「静岡ハードコア」「新装版関西ハードコア」の発刊を記念して、著者である俺ISHIYAが4月19日金曜日に、西荻窪にあるDARTS&VEGAN BAR METEORAで1日店長をやります!
当日は先行発売はもちろんのこと、購入者してくれた方で希望者には、俺ISHIYAのサインとチェキも!まぁ別に俺のサインもチェキもいらないでしょうが(笑)。
ほかにはDEATH SIDEの
ISHIYA私観ジャパニーズ・ハードコア30年史外伝〜「失った右手が掴んだもの」マサミ伝 購入者特典 #4 ハードコアと学園祭
「#4 ハードコアと学園祭」
書籍「右手を失くしたカリスマ〜MASAMI伝」の発売が決まり加筆したものに、P156の「#19 東京バトルDAYSとGHOUL初関西」という話の中で、法政大学学館大ホールで1984年6月、9月に行われた東京バトルDAYSについて触れている話がある。
当時は様々な大学の学園祭で行われるハードコアのライブが多く、note連載第1章#13と、書籍P087 #10に書
ISHIYA私観ジャパニーズ・ハードコア30年史外伝〜「失った右手が掴んだもの」マサミ伝 購入者特典 #3 チフス、THE WILLARD、ルート66が居る高校
「#3 チフス、THE WILLARD、ルート66が居る高校」
前回ハードコアパンクが出現する以前の東京アンダーグラウンドシーンで、非常に重要な存在であり東京ハードコアの礎となったBODIEについて触れた。
そして1981年、東京にハードコアパンクが出現するのだが、それまでの間には東京ロッカーズが終わりを迎えたシーンに、本当の意味でのニューウェーブ(新しい波)を作り出していたバンドが、BOD
ISHIYA私観ジャパニーズ・ハードコア30年史外伝〜「失った右手が掴んだもの」マサミ伝 購入者特典 #2 BODIE
「#2 BODIE」
「失った右手が掴んだもの」マサミ伝の第1章#10と、書籍「右手を失くしたカリスマ MASAMI伝」の#07に掲載されている「東京ハードコアパンクの礎」で、東京のハードコアパンク出現以前に活動していたBODIEについて触れている。
(参考記事第1章#10 東京ハードコアパンクの礎)
マサミ自身が登場することはないが、東京のハードコア・パンクシーンを語る上でどうしても外せ
ISHIYA私観ジャパニーズ・ハードコア30年史外伝〜「失った右手が掴んだもの」マサミ伝 購入者特典 #1 THE COMES
noteで連載していた【ISHIYA私観ジャパニーズ・ハードコア30年史外伝〜「失った右手が掴んだもの」マサミ伝】が、タイトルを【ISHIYA私観ジャパニーズ・ハードコア30年史 番外編 右手を失くしたカリスマ MASAMI伝】と変更して株式会社blueprintより書籍化され、大変多くの方に読んでいただいております。本当にありがとうございます。
「ISHIYA私観ジャパニーズ・ハードコア30
ISHIYA私観ジャパニーズ・ハードコア30年史外伝〜「失った右手が掴んだもの」マサミ伝 購入者特典 #1 THE COMES
noteで連載していた【ISHIYA私観ジャパニーズ・ハードコア30年史外伝〜「失った右手が掴んだもの」マサミ伝】が、タイトルをISHIYA私観ジャパニーズ・ハードコア30年史 番外編 右手を失くしたカリスマ MASAMI伝】と変更して株式会社blueprintより書籍化され、大変多くの方に読んでいただいております。本当にありがとうございます。
ISHIYA私観ジャパニーズ・ハードコア30年史
ISHIYA私観ジャパニーズ・ハードコア30年史外伝〜「失った右手が掴んだもの」マサミ伝〜あとがき
ISHIYA私観ジャパニーズ・ハードコア30年史外伝〜「失った右手が掴んだもの」マサミ伝を購入して購読してくださったみなさん。本当にありがとうございました。
この物語を書くにあたり協力してくれた諸先輩方と友人、購入してくれたみなさんのおかげで、無事書き終えることができました。
書いている最中、取材しながら聞けるマサミさんの話もさることながら、当時のハードコアシーンの話は非常に面白いものばかり
ISHIYA私観ジャパニーズ・ハードコア30年史外伝〜「失った右手が掴んだもの」マサミ伝第2章〜#15 汚れなき豚友達へ!!
「#15 汚れなき豚友達へ!!」 今思ってみると、初期GHOULやBAD LOTSのときとは比べ物にならないぐらい別人かと思うほど、この頃になるとマサミは側から見ていても明らかに元気が無かった。
ライブハウスで目立つようなこともなくなり、いつも大人しく酒を片手に静かにしていたと思う。
当時の筆者の感覚で言えば、確かに元気はないのだが「マサミに限って何かあるわけがない」といった感じで、何も心配は
ISHIYA私観ジャパニーズ・ハードコア30年史外伝〜「失った右手が掴んだもの」マサミ伝第2章〜#14 SQWADから再びGHOULへ
「#14 SQWADから再びGHOULへ」 BAD LOTSがどのような形で終わったのかは定かではないが、マサミソロアルバム「POWER LINE x SHOCK LINE」で、BAD LOTSからL.O.Xへ繋がる流れができていたことは確実である。
のりをとハイドがクビになり、LIP CREAMのナオキとXのYOSHIKIが参加することで、アクトが別にやっていたバンドORANGEの3つのバンド
ISHIYA私観ジャパニーズ・ハードコア30年史外伝〜「失った右手が掴んだもの」マサミ伝第2章〜#13 BAD LOTSとL.O.X
「#13 BAD LOTSとL.O.X」 GHOUL解散後にソロ作品を出し、そのままBAD LOTSになりライブ活動を再開したマサミだが、BAD LOTSとしては作品を発表していない。マサミソロ作品である「POWER LINE x SHOCK LINE」のB面「SHOCK LINE」サイドが、メンバーも曲もBAD LOTSではあるが、BAD LOTS名義として発表された作品ではない。
THE L
ISHIYA私観ジャパニーズ・ハードコア30年史外伝〜「失った右手が掴んだもの」マサミ伝第2章〜#12 GHOUL解散
「#12 GHOUL解散」 1986年のハードコアシーンは、かなりの盛り上がりを見せていた。次々と若手バンドが台頭し、代表的なところでは SxOxB、DEADLESS MUSSなどがあげられると思う。
ちょうどこの86年頃、筆者のバンドDEATH SIDEでも都内でのライブができるようになった頃で、GHOULやTHE TRASH、GAUZE、LIP CREAMなどのライブに出演させてもらえるよ
ISHIYA私観ジャパニーズ・ハードコア30年史外伝〜「失った右手が掴んだもの」マサミ伝第2章〜#11 音楽の好みと艶話
「#11 音楽の好みと艶話」 日本のハードコアパンクバンドとして、初めて長期に渡る連続した日程のツアーを行ったマサミのGHOULは、地方に初めて東京のハードコアを伝えることとなる。
それまで関西方面や東海地方などであれば、様々なハードコアパンクバンドが訪れていたが、東北や中国,九州地方に東京のハードコアパンクバンドが訪れることはなかった。GHOULが北海道へ行く前年の1984年にGASとSYST
ISHIYA私観ジャパニーズ・ハードコア30年史外伝〜「失った右手が掴んだもの」マサミ伝第2章〜#10 ヤクザと警察
「#10 ヤクザと警察」 GHOULとMOBSの極悪ツアーが行われた1985年には、日本に初めて海外のハードコアパンクバンドが来日した年でもあった。
初めて日本に来日したハードコアパンクバンドは、イギリスのG.B.Hである。そしてそのすぐ後にCHAOS U.Kが来日する。G.B.Hのときの共演は、確かLAUGHIN’ NOSEだった気がするが、筆者は観に行っていないので確かではない。
その後海
ISHIYA私観ジャパニーズ・ハードコア30年史外伝〜「失った右手が掴んだもの」マサミ伝第2章〜#9 極悪ツアー
「#9 極悪ツアー」 マサミの盟友であるBEAR BOMBが抜けてしまったGHOULだったが、活動が止まることはなかった。
BEAR BOMBの置き土産である楽曲「Oi!Oi!」もソノシートとして発売され、GHOULの人気は不動のものになっていく。
このソノシートのレコーディングはベースが不在のために、ギターのマックスがベースを弾いてレコーディングされたようだ。あのロックンロールのベースライン
ISHIYA私観ジャパニーズ・ハードコア30年史外伝〜「失った右手が掴んだもの」マサミ伝第2章〜#8 BEAR BOMB脱退
「#8 BEAR BOMB脱退」 GHOULとして順調に活動していたマサミだったが、盟友でありGHOULに欠かせない存在であるベースのBEAR BOMBが脱退することになってしまう。
THE TRASHをクビになった後のマサミが、バンドをやるためには欠かせない人物であり、家も近所だったために常に一緒に行動していたのがBEAR BOMBだった。
マサミとBEAR BOMBはGHOULという音楽活