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[読書ログ]「ボタンちゃん」

作: 小川洋子
絵: 岡田 千晶
出版社: PHP研究所

あらすじ

ボタンちゃんは、まるいお顔の女の子。
アンナちゃんのブラウスの、いちばん上にとまっています。
ある日、ボタンちゃんをブラウスにとめていた糸が、切れてしまいました!
ころころと部屋の中を転がっていくボタンちゃん。

おもちゃ箱の後ろ、洋服ダンスの裏、ベッドの下。
ボタンちゃんが転がった先で待っていた出会い。
それは、かつてアンナちゃんと仲良しだったけれど、今では忘れられたものたちとの出会いでした。

うすぐらい場所でそれぞれにひとりきり、さみしくて泣いている彼らに、そっと寄り添うボタンちゃん。
みんな、アンナちゃんと過ごした日々を、なつかしんでいるのです。
でも、成長した今のアンナちゃんを知っているボタンちゃんは、彼らにやさしく語りかけます。

「今のアンナちゃんがあるのは、あなたのおかげなのね」

『博士の愛した数式』の作者、小川洋子さんが描く、思い出の中で生きるものたちの物語。
その多くは忘れられていくけれど、いろいろなものに育まれながら、子どもは大きくなっていく。
やっぱりさみしいけれど、それはすごく前向きで、あたたかなこと。
「あなたのおかげ」と語るボタンちゃんの言葉が、やさしく、切なく、心にしみてきます。

(中略)

やがてボタンちゃんのとまっているブラウスも、アンナちゃんには小さくなってしまいました。
でも、ボタンちゃんも、思い出の中のみんなも、さみしくはないのでした。
もう彼らには、にぎやかな居場所ができたからです――。

(絵本ナビから堀井拓馬さんの紹介文を引用)


感想 

※ラスト部分の引用があり、ネタバレしかありません。注意。

小川洋子さんが文、岡田千晶さんが絵の素敵なタッグの作品。
これだけで間違いない感じがひしひしとする。

絵本ナビでみどころの紹介文を書いている堀井さんが書いていることでほとんで言われてしまっている、と思ったが、自分なりの感想を。

過剰表現でもなく、実際に読んで、眼の端に涙が滲んだ。
やさしい描き方であり、使われなくなったモノたちのお話は定番といえば定番なのだけど、ラストの描き方が切なくて、とてもよかった。

子どもから大人へ成長していく不可逆性の切なさと、成長していくことへの未来志向の観点が描かれているラスト。

これにグッとくるのは、成長していく者たちであり、幼稚園よりも小学生、小学生よりも中学生なのだろう。

わたしがこれにグッとくるのは、幼い頃にぬいぐるみや人形でひたすら遊んでいた経験があるためだ。
それこそ、小学四年生くらいまではぬいぐるみ遊びをしていた。

増えていく一方だったぬいぐるみが、次第に使われなくなってトランクルームにしまわれたり、親に捨てられたりするのを見て、無性に悲しい気持ちになっていた。

自分が成長していくことが悲しく、さびしく、感じるほど、子どもの頃に使っていたモノたちへの愛情は大きかった。

いまだに愛情がある。だからこそ、耳に届かないのをかなしく思う。


ラストの表現は2通りの解釈ができるなと思っている。

ひとつは、先にも書いているが、成長していて使わなくなってしまっているという表現としての描き方。

もうひとつは、子どもの頃には聞こえていた人間以外のモノの声が、成長するにつれ、聞こえなくなっていくという表現としての描き方だ。

小さい頃には見えていた景色・感覚が失われていくことを切なさととるか、無限の未来へ向かって前向きに進んでいくととるか。

それは読者に委ねられている。



ラストの一部を引用したい。
最高のネタバレなので、この先はそれでも良い方だけ。

やがてアンナちゃんはもっと大きくなりました。
もうブラウスも小さすぎて入りません。
『思い出の箱』にしまわれる時がきたのです。
「こんにちは」
ガラガラと、よだれかけと、ホッキョクグマに向かってボタンちゃんはいいました。
「はじめまして」
ボタンホールちゃんもあいさつをしました。
泣いている子はひとりもいません。
みな、『思い出の箱』からアンナちゃんの無事を祈っています。

ときどき、ガラガラが小さく、カシャ、と鳴りますが、アンナちゃんの耳にはもうとどきません。

本文より引用

素敵。
文も良いが、絵も良い。

さびしい、かなしいに終始しない、あたたかい愛情に包まれたお話に落とし込んでいるところがまた良い。

大事なものをぎゅっと抱きしめたくなる、そんな絵本だった。


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