チケットノルマという「クオリティを殺す毒」
僕は旗揚げからこれまで「チケットノルマ」を設けたことはありません。
理由は様々ありますが、最も大きい理由に「クオリティを殺すから」と考えているからです。
それはなぜか?
今回は「チケットノルマというクオリティを殺す毒」をテーマにまとめました。
そもそもチケットノルマとは?
簡単に説明すると、「チケットを興行主が設定した枚数、出演者等が販売責任を負う」ことです。
例えばAさんという役者が、ある舞台に出演するとします。
その際に「Aさんはチケットノルマ30枚ね」と興行主に言われます。
そうすると仮にチケットが3000円だとすると、その時点でAさんは9万円のチケットを「負担」することになります。
それからAさんはチケットを売ります。
Aさんのギャラは、劇団によって変わるとは思いますが、大抵は「チケットノルマを売り切った1枚目から○○円」となります。
(ノルマである30枚まではギャラ0円。31枚目から○○円が増えていく)
もしAさんがチケットをノルマ分売れなければ?
仮に丸々30枚のノルマ分売れなかった場合、仮に丸々30枚のノルマ分売れなかった場合、チケット料金の9万円がそのままAさんの「負債」となりまチケット料金の9万円がそのままAさんの「負債」となり、Aさんが劇団にお金を払います。
これがチケットノルマ制です。
なぜチケットノルマが存在するのか?
もちろん様々な理由があるとは思いますが、多くは「興行が失敗する可能性を無くす」ことにあると思います。
舞台はイベント、スポーツ、格闘技などと同じで「生モノコンテンツ」で、開催日は固定され、開催日数は決められ、席数の上限もあります。
また、その売上のほとんどはチケットの売上となり、いかに席を埋めるか、チケットを売りさばくかに成功がかかっています。
(もちろん物販で稼ぐところも当然あります)
なのでとてもリスキーです。
席を埋めなければならないとは当然として、怪我や病気で興行が出来ない場合、降板等々、様々な「予知できない」不安要素が常につきまといます。
そこで「チケットノルマ」の登場です。
これを用いることで、興行を打つと決めた時点、言ってしまえばチケットノルマ制であればキャスティングが終わった時点で「チケットを売る責任」は出演者に移動しているので、その時点で「売上は確定」するわけです。
これにより、どんな場合でも「興行の成功」は約束されるわけです。
チケットノルマは悪か?
「悪かどうか」という点で言えば、僕はそうは思いません。
もちろん、役者の立場から考えれば「役者にとってはメリットがまったくない」ので、推奨できない気持ちもわかります。
ですが、興行とはビジネスであって、成功しなければいけません。
そのためにリスクを回避し、確実に「売上が出る方法」を取るのは当然のことだと思います。
なので、ビジネスモデルとしては当然のシステムであり、「悪」だと批判する必要は無いと思います。(ただ出演が決まってからノルマ制であると申告するのは後出しジャンケン、もとい詐欺に近いと思うのでそれは悪であると断言します)
ただ、演劇界という世界のクオリティを殺す「毒」だとは思っています。
クオリティを殺す「毒」
僕の信条として、成長に必要なのは「ギリギリ超えられるか超えられないかわからないハードル」を設置し、それに挑むことだと信じています。
ぬるま湯な環境では何も変わらないし、成長しません。
筋肉だってトレーニングして負荷をかけないとつかないわけです。
旗揚げ公演を行う際、もちろんチケットノルマの話もでました。そういうシステムがあるというのも初耳でしたが、そのシステム内容を聞いて驚愕しました。
「なんて楽なんだ!!」
と。
だって、キャスティングが終わった時点でこちらの負担はなくなるわけですから。とっても楽。
だから思いました。
「それって、作る意味あるの?」と。
リスクも不安も無い。そこから何が生まれるのだろう?と。
ただ演劇をやってお金を稼ぎたいならそのシステムをやればいい。
けど、僕は違います。僕は「演劇が面白いと思えないので、自分が面白いと思える演劇を作ってみよう」と思ってこの世界に参入しました。
それまで演劇なんてほとんど観たことが無く、稽古のやりかたすら知りませんでした。だからこそ、多くのリスクを取らないと「面白くないもの」が出来上がってしまう。
何度も言いますが、劇団が無名の頃は役者さんにチケット売上を「頼る」必要があります。
つまり最低ラインとして、出演者が「チケットを売りたいと思える作品」を作らないといけない。と。
そのために演出、シナリオ、スタッフ、キャスト、さらにはアウトプット…そのすべての最高値を目指して作らないといけません。
※アウトプットに関してはこちらを御覧ください↓
つまり、
「クオリティを限界まであげないかぎり、興行の成功はない」
これを最低条件としました。
ですから、チケットノルマ制という選択肢を取ることはありえませんでした。
「最初から成功が約束されているなら、クオリティを上げなくてもいい」
「クオリティを上げるためのリスクやコスト、努力を取る必要が無い」
そう意識してしまう、つまりクオリティを蝕む「毒」が生まれる可能性に恐怖したのです。
これが、僕が思う「チケットノルマ」という「クオリティを殺す毒」についてです。
演劇に対する一般的なハードルを下げたい
僕は演劇を始める前も、さらには今でも進んで舞台を観に行くことはほとんどありません。というのも、今まで観てきた舞台の9割近くは面白いと思えなかったからで、億劫に思ってしまうからです。
作風等が合う合わないというのもあるとおもうので、批判をしたいわけではありませんが、明らかに「クオリティ不足」な作品が多いと感じています。
それは特に「シナリオの質」と「演技の突き詰め」に感じます。
もちろん、チケットノルマ制の舞台だから全てが「クオリティ不足」だとは思いませんし、その逆もまたしかりです。
ただ、その可能性は間違いなく高い。
なぜならば「チケットノルマ制」を使えばどんな人間でも興行が出来てしまうから。
言ってしまえば「クオリティよりも売上を目的とした興行の方が簡単」。
そう断言できるシステムだと思っています。
これにより
キャスティングが終わった時点で成功が決まっている。
↓
つまり、クオリティに対する責任がその時点で消失する。
↓
「クオリティ不足」の作品が作られる。
↓
出演者もノルマがあるので、作品の内容関係なく人を呼びまくる。
↓
それを観たお客さんは「演劇って面白くないね」と思ってしまう。
↓
業界全体の集客分母が減る。
このような悪循環が出来ていると感じています。
言い方はかなり悪いですが、ノルマを課せられた役者からの公演勧誘はまるでマルチ商法のような「負の意気込み」を感じ、それもまた演劇に対するイメージ悪化を招いていると思います。
また主宰、作演をやってみて感じましたが、作品のクオリティはまずもって「興行主のクオリティに対する責任」に懸かっています。
どれだけ良いキャストでも、どれだけ良いスタッフでも。
トップがクオリティを捨ててしまっては成り立ちません。
それだけ繊細なバランスが必要とされる創作物だと思います。
演劇を作ることはとても大変です。
シナリオ執筆だけじゃありません。何人もの見知らぬ人々を一つにまとめ、ゴールへ導かなければなりません。
それはとても辛く、不安で、痛みを伴います。
簡単に成功もしません。
僕も3年間は毎公演車が買えるくらい赤字が続きました。
だからこそ、クオリティを上げ続ける意識を常に持てています。
もっともっと、「クオリティを追求した作品」が増えて
「演劇が好き」という人が増えていく事を目指していきたいです。
余談
不思議なんですが、なんでチケットノルマを課されるのは役者だけなんでしょうね?
スタッフさんは必ずギャラが支払われ、役者からのみノルマを取る。
チケットノルマを課すということは、「チケット売上を役者に頼ってる」わけなのに、なぜそこから搾取するのでしょうか?
もしかしたら役者という仕事自体が軽んじられてるのかもしれません。
共同体の中のステータスに差がある
それってクオリティ以前の問題ですね。
こういったところに、まだまだ古い体質の残る世界だと感じてます。
そろそろ変革しないと、ウルトラニッチな文化になってしまうかもですね。
自劇団である「劇団亜劇」はこちら
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