情況についての発言(2)――張本勲氏、とある情報番組についての雑感

 前回、森喜朗氏の根拠不明な女性蔑視発言を取り上げたが、話が長いのは貴方のほうではないかと言いたくなるような内容であった。その際に少し張本勲氏について触れたが、今回はその張本氏を俎上に載せることにする。この大物野球評論家は、TBS日曜の朝の情報番組『サンデーモーニング』内のいわゆる「喝」のコーナーの「人気」御意見番として有名だが、当番組の2021年8月8日放送分で、東京オリンピックで金メダルを獲得した女子ボクシング選手について、「嫁入り前のお嬢ちゃんが顔を殴り合って」や「女性でも殴り合いが好きな人がいるんだ」等々と発言した。この発言に対して、日本ボクシング連盟会長が、TBS社長宛に抗議文を送付した。この抗議文に対し、番組制作プロデューサーが張本氏の反省コメントを添えた謝罪文を送付した。この謝罪文に社長の名前が記されておらず、番組にすべての責任を転嫁したことも問題だが、そこに添えられた張本氏の反省コメントを見て、私は自分の眼を疑った。以下にそのコメントを引用する。

 「私は元々ボクシングが大好きで、白井義男さんやファイティング原田さんが世界チャンピオンになった時に、飛び上がって喜びました。今回、入江選手が金メダルを取った時も、飛び上がって喜んでいました。今回の私の発言は言葉が足りませんでした。入江選手の快挙を称えると共に、自分も金メダルを取れるのではと思って、ボクシングをやる女性が増えてほしいということを本当は言いたかったのです。言葉足らずで反省しています」

 張本氏がどのような趣味を持とうが個人の勝手だが、以上の引用にもあるように「言葉足らず」とは何だ。余計なことを加えて抗議されているじゃないか。そんなに飛び上がるほど喜ぶのであれば、最初から素直に喜んでそれを視聴者に伝えるだけでいいじゃないか。森氏の時もそうだったが、後から言い訳をしているとしか言いようがない。放送の翌週の放送にて、視聴者の前で正式に謝罪したが、その際の謝罪の形式にも批判が寄せられた。その点は措くとしても、そのまた翌週の放送では、某球団の暴行騒動の当事者である主力選手が急遽球界の盟主を称する球団に移籍し、早々と処分が解除されたことについて、張本氏は暴行の当事者にエールを送るだけであった。一部では、舌禍の余波で大人しくしていたのではないかとの声も聞かれたが、この移籍劇については、球団側の対応に批判的な野球評論家が多かった。中畑清氏や岩本勉氏のようなファンを第一に考える論者がその代表格だったが、私も両氏の見解にはおおむね賛成だった。
 ところで、フェイク・ニュースの最大手こと東京スポーツ専属の際物野球評論家の大下剛史氏は、今回の暴行騒動の当事者について暖かく見守っているだけで、移籍の際の球団側の問題点など何も言わずオブラートに包む始末である。「僕のノックを受けたら江藤の故障は治る、だから治療費よこせ」などと言ってのける大下氏からすれば、球団側の不手際などどうでもいいことなのだろう。それは、張本氏と似たような傾向と言える。かつての東映のやくざ者の張本氏、大下氏に御意見番としての資質があるのかどうか疑わしいと言わざるをえない。
 張本氏は、今回に限らずこれまでにも同番組の同コーナーにおいて、物議を醸す発言を繰り返してきた。最年長のサッカー選手への引退勧告や高校野球での登板回避への舌禍など枚挙に暇がない。とはいえ、私はすべての責任が張本氏にあると言いたい訳ではない。その張本氏を起用し続ける同番組にもあると言わなければならない。何年か前に「新垣結衣と星野源がいくら頑張っても張本の「喝」のコーナーに視聴率で勝てない」といった噂が流れたこともあったが、張本氏の発言がすぐさまネットニュース上に流れる様子を見るに、高視聴率なのは間違いなさそうだ。「喝」のコーナーに限っては。それ以外のコーナーはどうなのだろうか。フジテレビの報道番組が終わりそうな頃に「喝」のコーナーを始めるのを見ると、他局の反動的な視聴者層をごっそり取り込もうという戦略のように思えて仕方ない。「喝」のコーナーの維持のためなら、異論のあるコメンテーターを切ることも厭わない。何なんだこの番組は。こんな番組がリベラル派を称しているのか。これなら『モーニングショー』を見るほうが絶対良いに決まっている。『サンデーモーニング』のコメンテーターも、当番組を離れて、別の番組だろうが、紙媒体だろうが、こういった媒体で発言を見聞きしたほうが、何の違和感もなくて済むのはどうしてなんだ。そして、時に若手の論客も当番組に出演しているのを見ることもあるが、彼らは当番組についてどのような考えを持っているのだろうか。それを一度でもいいから聞いてみたいものだ。
 ここまで張本氏をだいぶこきおろす格好になってしまったが、蛇足ではあるが、これまでの私の張本氏に対する印象を述べていきたい。私がまだ子供の頃のことだが、当時の張本氏は、TBSの野球解説者として野球中継の解説を担当していた。私も野球中継で張本氏が解説するのをよく見ていたものだが、そこでの張本氏は、「喝」のコーナーで見るのとはだいぶ印象が異なっていた。冷静に淡々とこなしているかのようであった。この頃はもうすでに「喝」のコーナーはあったが、大沢啓二氏がまだ存命で、その大沢氏と共にコーナーを担当し、張本氏は大沢氏の隣りに座り、むしろ大沢氏のほうが目立っていたと言っていいぐらいであった。もちろん張本氏も当時からメジャーリーグ嫌いぶりを当番組でだいぶ披瀝していたが。大沢氏もやくざ者のようなキャラクターで通っていたので御意見番に相応しいかどうかはわからない。
 張本氏は広島県に生まれ育ち、実際に原爆の投下を目撃しており、かつ早くから自身が在日韓国人であることを公表していた。戦後間もない頃からのことであるから、これは異例のことと言わなければならない。そのことに注目したかは知らないが、早くから広島の原爆投下や在日韓国人の問題に深い関心を寄せていた大江健三郎氏と対談も行っている。韓国のプロ野球発足に尽力し、日韓の野球界の橋渡し役を買って出たことも非常に大きな功績であるが、まずは大江氏との対談について触れていきたい。対談の内容を任意に引用する。

大江 そういう人柄なんでしょうが、張本さんが実にスラスラと要領よく答えてくださるんで、僕の野球知識は、もう全部なくなってしまったなあ……普通の生活は、野球選手の日常生活はどうでしょう?
張本 もうね、野球選手の生活いうのは、いい加減なもんですよ。
大江 あ、そうですか。
張本 ええ、そらね、時間はあるし、もちろんお金もありますしねえ。こらもう、いきたいところへいけるし、したいことはできるし、いわば、考えようによっちゃいい加減なもんですよね。で、まあ、こういう生活は、自分で締めていくよりしようがないですね。僕たちの世界は、だれも忠告してくれないです。お前、夜が遅い、とか飲みすぎる、なんて、先輩であってもいわないですね。だから自分で締めないと、この生活はダメですね、ええ。
大江 あなたの生活はいい方ですか。
張本 そうね、あんまりいい方でもないですね、僕は。
大江 自分で締めてませんか。
張本 まだ若いですしね。いまからよかったんじゃねえ。
大江 …僕、朝鮮の作家のかたを少し存じあげていて、尊敬していますが、たとえば許南麒さんご存知ですか。
張本 キョナンキ……。
大江 ええ、非常に秀れた人ですね、詩人で、また革命家でもありますけどね。それから金達寿(キンダルス)さんというような作家のかたは?
張本 はあ、あんまり……。
大江 在日朝鮮人でも左翼の人、いわば、北鮮系の人はあまりご存知ない、ということですか、じゃあ。
張本 そうですね。別にねえ、北鮮の人もずい分日本にいますから。まあ、南鮮の方がやっぱりよく知ってますね、僕の国でもあるし。
大江 あなたのプレーを見てると、じつにイキイキとしてらっしゃる。朝鮮人というようなヤジがあるそうだけど、誇りに満ちてらして、僕なんか張本さんをテレビでみていて、とても気持がいいんです。よく打つということと別に、その点でも僕はファンです。
張本 どうも。
大江 古い物語なんか、あの「春香伝」のような……。
張本 ああ、知ってます。でもあれも悲しい物語ですからね。
大江 ええ。でも今朝鮮の作家が書いている新しい「春香伝」は、李殷直(リウンジ)という人のだけど、最後がレジスタンスのようで、力強い小説に書きかえてありますね、それは僕とてもおもしろかったですよ。
張本 はあ。
大江 張本さんみたいに、韓国人としての誇りを持ってる方だと、一番スクスクと日本の中で精神的にも肉体的にものびることができる、という意見があります――金達寿さんなんかの考え方もそうでしょう。それとは逆に、日本人に同化しようとしたり、朝鮮人であることを恥じたり、かくそうとしたり、というような形で、子供の時から教育されると、どうしても人間がゆがんで来て、スクスクとのびていけない人間に変わってしまう、ということがあるわけでしょう。
張本 ありますねえ、やっぱり。そらまあ、家庭の問題ですね。両親―結局僕の小さいころも両親が、ああいう態度見せなかったら、僕はやっぱりかくしてね、卑劣に生きてきたと思うんですよ。幸いうちのおふくろがね、まあ僕が一番尊敬してるのは、おふくろですよね。いつも僕にそういうことをいったですからね――お前は韓国人であるし、そういうことに胸を張ってなんせえ、と。
大江 ええ。
張本 それでも認めてくれなきゃ、しようがない、というわけなんですよ。自分の力で韓国人として生きていきなさい、と。まあ、しょっちゅういわれたですからね。それが僕の頭に残ってますから、いまだに。
大江 ええ、立派なお母さんですね。
張本 だから、まあ、おふくろに教えられたんです。自分自身で悟ったんじゃないんです。
大江 それは、いいお母さんだ。
(大江健三郎『世界の若者たち』、新潮社、1962年)

 だいぶ長くなってしまったのでもうこの辺にしておこう。大江氏もどのようなつもりなのか知らないが、一介の野球選手に教養があるとでも思っているのだろうか。張本氏は、この対談の直後に振り返って語っているが、自分とインテリ作家との距離の遠さを感じているようである。実際に、漫画本や読み切り雑誌しか読まない高卒の若手野球選手の当時の張本氏は、大江氏の小説を読んだことがない。大江氏が当時すでに芥川賞を受賞した新進気鋭の文学者であったにしても。とにかく、一介の野球選手に教養を求めることに無理があるのだ。
 今でこそ大卒の野球選手は増えてきているが、それでも彼らに教養を求めないほうがいい。返ってくる言葉は張本氏のとさほど変わりないであろう。期待通りの言葉が返ってきたとしても、それはほんの例外だと思ったほうがいい。先に触れた大下氏は大卒であるが、先に「僕のノックを受けたら江藤の故障は治る、だから治療費よこせ」という言葉を聞くに、論理というよりは筋は一応通っているが、その奇怪さは、私の嫌いな分析哲学者の発想を想起させる。なぜ私は分析哲学者が嫌いなのかと言うと、大学院生の頃に分析哲学系の日本の学者の本を読んだことが契機なのだが、倫理性や血も涙もないような言葉の分析には悪い意味で驚かされた。その後、修士論文の口頭試問の際には、分析哲学専門の教員に矢継ぎ早に的外れで回答に窮するような質問をされた。これらの経緯もあって、私は分析哲学にあまり良い印象を持っていない。大下氏がいた駒澤大学の当時の学生運動がいかほどのものだったかはあまり知らないが、大下氏であれば間違いなく当局側に回り、バリケードの破壊に真っ先に名乗り出たことであろう。今回の暴行騒動についてオブラートに包んでしまっているからである。
 だいぶ回り道をしてしまったが、この対談での若き日の張本氏の発言は、「人気」御意見番として物議を醸すような発言をする同氏のものとはだいぶ異なっている。そこには作為はないと思われる。在日韓国人として、野球選手として体験したことが嘘偽りなく語られている。野球選手の生活に関しては、年老いた元選手がよく公言するような誇張がなく、周りの選手(ここでは先輩)との関係も自然なまま語られている。
 大江氏はこの対談で張本氏の韓国人としての生き方について聞き出そうとしている。これには当時議論の的となっていた小松川事件(1958年)が関係しているが、この事件について簡単に触れておくと、都内の高校の定時制に通う女子学生が同校の定時制に通う在日韓国人の男子学生に殺害された事件のことである。事件の背景には、差別の問題もあったと言われ、この対談に即して言うならば、在日韓国人家庭の教育方針のことであるが、このことから大江氏をも含む多くの文化人が声を挙げた。この事件を基に多くの小説が書かれ、大島渚も『絞死刑』(1968年)というタイトルで一本の映画作品を制作したほどである。対談での大江氏の意図はよくわからないが、事件の被告と同年代にあたる張本氏に教育方針について聞いてみたかったのだと思われる。その点について張本氏は、母親から韓国人であることに胸を張って生きなさいと常に言われたことを明かし、母親を一番尊敬しているとした。私は国民国家の範疇で語られることはあまり好まないが、この対談での張本氏には悪い印象を持っていない。
 大江氏との対談での若き日の張本氏の発言について、私は「人気」御意見番としての発言とはだいぶ異なると書いたが、ここでこう問われるかも知れない。年を取る毎に反動的になっていったのではないか、と。しかし、私はそう思わない。私が子供の頃に張本氏の野球解説を観て冷静に淡々とこなす印象だったと書いたが、その時には張本氏はすでに六十代であった。本人にとっては本当のことを言いたくても言えないことがあるのだろうと思われる。時と場合によっては。張本氏のような公の場で活動する人物であれば尚更である。と同時に、年を取る毎に異なる役割をも求められてくる。「喝」のコーナーでは、何かと問題発言をする「人気」御意見番として、というように。それが張本氏の本意であるかどうかはわからないが、求めるのは番組制作側であり、また番組の視聴者である他はない。でなければ、番組の視聴率は低迷し、最悪の場合には、番組自体が打ち切りになるからである。番組にも責任があると言ったのは、それによる。だが、それは張本氏には責任がないことを意味しない。張本氏ばかりが矢面に立つことに納得がいかないだけである。
 何だか認識する主体がある限り、認識する側にもされる側にも意味(この場合で言えば「役割」)が付与されるという四肢構造的世界観を提示する「忖度」が口癖の廣松渉のような書き方になってしまったが、これまでの張本氏の経験を考えれば、私は張本氏に対して複雑な印象を持たざるをえず、また、これまでの功績についてどのような評価をすればいいかわからない。ただ張本氏が「人気」御意見番という役割から解放されることを願うだけである。
 だいぶ張本氏に対して憐れむ内容になってしまったが、最後に一言。カープ男子を増やすことを意気込み、町議会議長を父に持つと公表する大下氏など知ったことではない。

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