見出し画像

折本龍則「コロナで露呈したグローバリズムと戦後民主主義の弊害」(『維新と興亜』第5号、令和3年2月)

発生源は中国だが、拡散したのはグローバリズムだ


 令和三年を迎えたが、昨年初頭より感染が拡大した新型コロナウィルスは依然終息の兆しを見せない。言うまでもなく、今般のコロナ禍によって我が国は甚大な被害を受け、感染者はもとより、倒産や失業による自殺者の急増など社会経済的ダメージも計り知れない。一方で、コロナウィルスの発生源である中国はいち早く感染を抑え込み、我が国の経済がマイナス成長に転落したのに対して二・三%のプラス成長を実現している。しかし中国政府は一昨年末に国内での感染拡大を把握していたにも関わらず、自らの権力を維持するために情報を隠蔽し世界的感染拡大の発端を作った。しかもWHOによる査察を妨害し、コロナは中国発ではないとまで主張し始めている。こうした中国に対し、我が国は国際社会と連携して制裁を科すべきである。
 とはいえ、たしかにコロナの発生源は中国であるが、このウィルスを我が国を含む世界に拡散したのはグローバリズムである。グローバリズムは、ヒトモノカネだけではなくウィルスまでもグローバル化したのである。したがってコロナに関して中国だけを批判しても片手落ちである。
 グローバリズムとは近代資本主義の極致であり、国家や民族を超えて世界を一つの市場にする潮流のことだ。そこでは企業の合理的な利潤追求が目的化され政府はその手段に過ぎなくなる。昨年初頭、すでにコロナの国内感染が確認されていたにも関わらず、当時の安倍首相は春節のインバウンド消費を期待し、訪日中国人を歓迎していた。目先のカネに目が眩んで国境管理などの水際対策が疎かになり国内感染の拡大を招いた。
 さらにコロナで観光業が打撃を受けると、本来コロナ終息後の経済振興策であったGOTOキャンペーンを前倒しで実施し第三波の要因を作った。政府は「感染対策と経済活動の両立」と称して中途半端な対応に終始した結果、感染を長期化させ、かえって莫大な経済損失を招いている。
 グローバリズムは自然現象でも歴史の必然でもなく世界市場の自由化を推し進めるアメリカやグローバル資本の外圧によるものである。その外圧に屈して我が国は新自由主義的構造改革を断行した結果、今回のコロナ禍では保健衛生の脆弱性が露わになり、非正規雇用労働者などが犠牲になっている。したがって、コロナ禍を拡大したグローバリズムの背景には我が国政府の対米追従政策も遠因としてあることを看過してはならない。

「私権」を守る「国家」を否定する戦後民主主義


 ところで、コロナに関しては欧米などの諸外国と比べて我が国の感染者や死亡者は少なく、毎年数千万人の感染者や数千人の死者を出しているインフルエンザへの対応と比べて過剰反応だとの意見もある。しかしたとえそうでも、高齢者や基礎疾患者が重症化し医療逼迫が起こっている以上は、何らかの対策を講じざるを得ない。嵐が過ぎ去るまで黙っているのは無責任である。現在政府は飲食店の時短営業や国民の外出自粛を要請しているが、国民は毎日満員電車に揺られているのだから「頭かくして尻隠さず」である。よって根本的な解決を図るためには、欧米での都市封鎖の様に、国民の外出自粛を「要請」ではなく「強制」せねばならい。しかしそのためには私権制限を伴う強力な措置が必要になる。問題はそのような措置を、現在の憲法と国民が許容できるかどうかである。たしかに行動の自由は憲法で保障された基本的な人権であり、その制限には厳に慎重を期すべきである。しかし同時に憲法は国民の自由権は「公共の福祉に反しない限り」尊重されるとしており、他の人権を守るための私権制限は現行憲法でも不可能ではない。事実、同じ民主国家の欧米でも外出禁止は実施されているのだから日本だけ出来ない理由などないのである。しかしテレビなどの既成メディアはコロナの危険性を盛んに喧伝しながらも人権を守るための私権制限には反対し、政府も一部の国民世論や経済界の利益に迎合して根本的な解決策を示そうとしない。これはまさに、個人の権利を守る国家を否定し、権利に伴う義務を否定し続けてきた戦後民主主義の弊害露呈というべきである。
 このように、昨今のコロナ禍は、発生源は中国であるが、その被害を拡大したのは、国家安全保障よりもグローバルな経済活動を優先する行き過ぎたグローバリズムと、権利に伴う義務を閑却した戦後のゆがんだ民主主義ではないかと思うのである。したがって我々はいまこそ自らの手に国家を取り戻し、行き過ぎたグローバリズムと戦後民主主義の弊害を克服せねばならない。
 今回のコロナ対応をめぐっては、ようやく先日新型インフルエンザ特措法が改正され、時短要請や感染者の入院に関して罰則などの強制力が与えられた。しかし特措法などの個別法では対応が場当たり的になり、今回の様な不測の事態に対する迅速果断な対応が出来ないので、この際、国家緊急事態基本法を制定し災害や外国による侵略などの例外状態に際して政府が法律に則り国権を発動するための体制を構築すべきと考える。

天皇陛下を戴く国家を取り戻し、コロナ禍を乗り越える


 ただ、国家が個人の私権を制限することについては、人権侵害や全体主義に陥るのではという国民の不安も当然あるので、国民の政府に対する信頼の醸成が肝要である。そしてそのような信頼を得るには、国民に寄り添う政府の対応ももちろんであるが、世俗的な権力を超えた権威の存在が不可欠である。多くの国では国王などの国家元首がそのような役割を果たしている。たとえば全国で都市封鎖を実施しているイギリスでは、女王が医療従事者への感謝と、コロナに打ち勝つ団結と忍耐を呼びかけるビデオメッセージを公開し国民を勇気づけている。我が国においてそのような役割を果たし得るのは、首相ではなく、天皇陛下をおいて他にはありえない。我が国は建国以来、天皇陛下が国民を思いやる大御心によって君民が一体となり、内外幾多の国難を乗り越えて来た。今回のコロナ禍においても、天皇陛下は、我々国民の健康を按じて一般参賀を中止され、昨年の全国戦没者追悼式典や新年のビデオメッセージなどで国民に寄り添うおことばを発してこられた。このことは大変恐れ多く有難いことである。
 今回のコロナ禍を以て、グローバリズムやその根底にある対米従属政策、そして戦後民主主義を反省し、天皇陛下を戴く国家を取り戻す奇貨とすべきである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?