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折本龍則「現代版『社稷』を如何に実現するか」(『維新と興亜』第6号、令和3年4月)

 

 私は地方議員の末端として、これまで培ってきた思想的知見を如何に現実政治の上に具現化するかに関心がある。
 例えば権藤成卿の社稷自治思想にしても、これを今日の日本や浦安において如何に具現化するかという点が肝心だ。権藤は明治国家による近代化や官治・集権主義に対して、農本主義的な自治・分権を説き、農村における衣食住の共同体である社稷の自治を唱えた。権藤にとって社稷は国家の成立に先立つものであり、国家は近代資本主義と結託して社稷を破壊する存在であった。これに対して津久井龍雄は、権藤の社稷自治主義を無政府主義として批判し、天皇を政治の中心に戴く国家社会主義によって「正しき日本主義」を実現しようとした。両者の根底にあるのは社稷と国家の相克である。(本誌第一・二号拙稿参照)
 問題の構図はいまも昔と驚くほど酷似している。すなわち一九八〇年代以降の一連のグローバリズムのなかで、我が国は国家が資本主義と結託して新自由主義的な構造改革を強行した。その結果、地方間格差は拡大し、東京一極集中が進む一方で農村は荒廃し、地方における社稷は衰退した。また都市部においても格差や貧困、孤独といった問題が深刻化している。悪質なのは普段「保守」や「愛国」を騙る勢力が政権を牛耳り、グローバリストと握手した結果、本来社稷を守る筈の国家が、率先して社稷破壊に手を染めていることである。その一つの象徴的な事例が国家戦略特区における農業の自由化である。ここでは国家が、家族ではなく法人、土着の民ではなく外国人による農業を推し進め、社稷の根本である農業を市場原理や商業主義によって押し流そうとしている。かくして現代においても権藤や津久井の時代と同様に、国家と社稷の相克が顕在化しているのである。
 しかし、こうした現状に対して最早、反市場主義や社会主義はオルタナティブたりえない。資本主義や市場主義に対抗するものとしての社会主義や共産主義という二〇世紀の壮大な社会実験が、ハイエクが予言したようなおぞましい「隷属への道」になったことは歴史が証明している。我が国も戦後は西側の資本主義陣営に組み込まれたが、半ば国家社会主義的とも言いうる所得再分配政策が実施されたものの、国家主導の画一的な国土開発はかえって地方の多様性や固有性を喪失させ社稷の衰退を招いた。このように、今日の様に、資本主義の極致形態としてのグローバリズムが社稷を破壊しているからといって、国家社会主義で行けば良いという程単純なものではない。
 したがって問題の本質は、近代資本主義による都市化の進行、伝統的社稷の衰退という現実を受け止めた上で、市場経済がもたらす生産性の向上や技術革新といったプラスの成果を活用しつつも、政府が過度な資本主義やグローバル化を規制し、農村の保護や都市住民の土着化を推し進めることによって、如何に地方における伝統的社稷を守り、都市における新たな社稷を創造するかという点に存する。
 先般、菅首相が「先ずは自助」と言って批判を浴びたが、「自助・共助・公助」の見立てでいうなら、社稷における相互扶助は「共助」にあたる。グローバル化や新自由主義が生み出す様々な弊害に対して、政府による公助が優先されがちであるが、過度な公助は社稷での自治や共助を阻害し、かえって社稷を脆弱化することにもなりかねない。もちろん、家族や地域社会に頼れない人には公助が必要であるが、政府の役割は社稷を補強する、即ち「共助を補完するものとしての公助」という考えが重要である。例えば貧困問題にしても、すぐに手当や金銭給付という発想に行きがちであるが、街中の小売店や飲食店では莫大な量の食べ物が廃棄されている。ならば自治体などが調整役となり、廃棄される食べ物を市民に配給するなどして、まずは地域社会、すなわち社稷のなかでの共助を後押しすべきではないか。
 「自助・共助・公助」は、所有形態で言えば「私有・共有・公有」とも言い換えられる。資本主義社会のなかであらゆるモノが私有と国有に二分化されつつあるなかで、社稷における共助と共有という考えがカギになるだろう。

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