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【座談会】山崎行太郎(哲学者)×金子宗德(里見日本文化学研究所所長)×『維新と興亜』編集部「『Hanada』『WiLL』『正論』 ネトウヨ保守雑誌の 読者に問う! 第三弾」(『維新と興亜』第11号、令和4年2月発行)

 「保守雑誌」の編集者、執筆者に尊皇心はあるのか。今回は、皇室の問題を中心に「保守雑誌」の論調にメスを入れます。『保守論壇亡国論』などで保守思想家を撫で斬ってきた山崎行太郎さんと、「国体」を基軸とする独自の編集方針を貫く『国体文化』(日本国体学会機関誌)の編集長を務める金子宗德さんと本誌編集部メンバーが斬り込みます。

「天皇制度の破棄に賛成するかもしれない」(西尾幹二)
── 政権の御用雑誌と化し、アメリカや新自由主義者に迎合する「保守雑誌」に対する批判を通じ、国体観の欠如という致命的な問題が浮き彫りになりました。次に、皇室をめぐる「保守雑誌」の論調について議論したいと思います。彼らには、国体の根幹である尊皇心が決定的に欠如しているように思えます。
山崎 最近の保守論壇や保守雑誌の天皇や皇室に関する言論には、かなり度のすぎた、怪しいものが目立ちます。これは、一般的に言えることですが、思考力や思想力、文章力の減退と欠如が原因なのではないかと思います。その結果、本質的な議論ではなく些末な議論が横行しています。天皇や皇室の問題に関しても、表層的な些末な議論が横行しています。私は、天皇や皇室に関する議論に限らず、批判や批評が活発に行われることは、悪いこととは思いませんが、皇族の誰かについて、その一挙手一投足を、目くじらを立てて、「好きだ、嫌いだ」というレベルで、「バッシング」を繰り返すことには違和感を持ちます。
 皇室に対する保守派の議論で真っ先に思い出されるのは、西尾幹二氏による「皇太子(現在の天皇陛下)批判」です。西尾氏は『WiLL』平成二十年五月号に「皇太子さまに敢えて御忠言申し上げます」を書いて以来、同誌を舞台に皇太子殿下批判を四回にわたって続けました。
 彼が、皇太子妃殿下について、「天皇制度の内部に入ってそれを内部から少しずつ崩しているいわば獅子身中の虫」とまで書いたのには驚きました。しかも、「場合によっては秋篠宮への皇統の移動も視野に入れる必要がある」という、皇室ジャーナリストの松崎敏彌の発言まで引用したのです。皇太子殿下に「廃嫡」を迫るとは呆れ果てました。皇太子一家に「男の子」ができず、秋篠宮家に「男の子」が誕生したことが、西尾氏の皇太子殿下批判の「遠因」だったのかもしれません。また、西尾氏は病気がちの皇太子妃殿下は次期「皇后」にふさわしくないと考えたのかもしれません。
 西尾氏は、同誌同年六月号では、皇太子殿下と皇太子妃殿下について「国家ということ、公ということをお忘れになっていないか。日本の国民と一緒に共感共苦するお心ざしがあまりにも乏しいのではあるまいか。一口で言えば『傲慢』の罪を犯しておられるのではないか」と述べています。
 さらに驚いたのは、「天皇制度の破棄に賛成するかもしれない」と書いていることです。ここが西尾氏の正体なのかもしれません。
 実は、私は、西尾氏とは反対に、皇太子妃殿下には、当初から好意的で、同情的な気持ちを抱いていました。少なくとも皇太子の弟にあたる秋篠宮殿下やその妃殿下に対する気持ちよりは、はるかに「いい感情」を持っていました。むしろ、兄の皇太子より先に結婚された秋篠宮殿下に対しては、一般庶民の一人として、批判的でした。それは、私が親しくさせていただいていた文芸評論家の江藤淳先生と皇太子妃殿下が「縁戚」(従姉妹の長女)だったことも、一つの理由かもしれません。私は、江藤先生の鎌倉の自宅で開かれた新年会の席で、江藤先生が皇太子妃殿下について話すのを聞いたことがあります。「子供を産むことが大事だ」という趣旨のことを言っていたと思います。「子供」と言ったか「男の子」と言ったか、正確には覚えていませんが。多くは語りませんでしたが、将来の「皇位継承」に関心があったのではないかと思います。
 西尾氏の皇太子批判、皇太子妃批判には、同じく文芸評論家だった江藤淳への対抗心があったのかもしれません。文芸評論家としての江藤淳は、西尾氏より明らかに格上でした。江藤淳亡き後、西尾氏は、三島由紀夫自決事件などを絡めて、江藤淳を激しく批判しています。三島由紀夫や江藤淳が存命中だったら、西尾氏の皇太子批判はありえなかったと思います。言い換えれば、三島由紀夫や小林秀雄、福田恆存等、本格的な保守言論人が、次々と亡くなった後の保守論壇の堕落と地盤沈下を、言い換えれば保守言論の「通俗化」や「軽薄化」を象徴しているのではないでしょうか。天皇や皇統、皇室の問題は、日本国民にとっても、もっと本質的な、原理論的な問題です。最近のエセ保守雑誌に見られるような、芸能週刊誌レベルの議論だけでは困ります。

『週刊文春』時代から皇室バッシングを繰り返してきた花田紀凱氏
── 平成二十八年五月に『Hanada』を創刊するまで『WiLL』の編集長を務めていたのは花田紀凱氏です。彼は『週刊文春』編集長時代から皇室バッシングを繰り返してきました。「売れれば何をしてもいい」という考え方なのでしょうか。特に酷かったのが、『週刊文春』平成五年九月二十三日号に載った「美智子皇后のご希望で、昭和天皇が愛した皇居自然林が丸坊主」という記事です。陛下の新御所建設のため、吹上御苑の自然林が伐採されたという内容です。
 こうした記事が、皇后陛下に強いストレスを与えていたのでしょう。同年十月二十日、五十九歳のお誕生日を迎えられた皇后陛下は、赤坂御所での祝賀行事を前に、突然倒れられたのです。間もなく意識を取り戻されましたが、言葉を出されなくなってしまいました。病名は明らかにされませんでしたが、いわゆる心因性の「失声症」とされています。
 皇室についての週刊誌の記事はでたらめです。売るために、噂レベルの話を書き立てるのです。皇后陛下は、宮内記者会の質問に文書で回答、皇室批判報道について遺憾のお気持ちを明らかにされていました。「事実でない報道には、大きな悲しみと戸惑いを覚えます。批判の許されない社会であってはなりませんが、事実に基づかない批判が、繰り返し許される社会であってはほしくありません」と。
 花田氏は、売れればいいという週刊誌時代のスタイルを『WiLL』にも持ち込んだのだと思います。だとすれば、花田氏に「保守」を名乗る資格はありません。
 読者の興味を掻き立てて部数を増やそうとする週刊誌のやり方はいまも続いています。小室圭さんだけではなく、眞子内親王殿下や秋篠宮ご一家に対する報道は目に余りました。秋篠宮皇嗣殿下は、誕生日に際しての記者会見で、眞子内親王殿下が複雑性PTSD(心的外傷後ストレス障害)となった原因として、事実と異なる週刊誌報道やネットの書き込みを挙げられています。こうした週刊誌の報道が野放しにされている背景にも、日本人の国体観の喪失があると思います。
 週刊誌による興味本位の皇室報道は「開かれた皇室」が招いた結果でもあると思います。終戦後、皇太子(現在の上皇陛下)の教育係を務めた小泉信三は、新しい時代の皇室の在り方を進講し、皇族や旧華族ではない正田美智子様(現在の上皇后陛下)を皇太子妃に選ぶことを主導しました。週刊誌が美智子様のことを盛んに報じ、国民は「ミッチー・ブーム」に沸き立ちました。「開かれた皇室」の始まりです。こうした皇室の在り方を「週刊誌的天皇制」と呼んで批判したのが、三島由紀夫です。彼は、小泉信三が「天皇と国民を現代感覚で結びつけよう」として間違ったと述べ、「ディグニティ(威厳)をなくすことによって国民とつなぐという考えが間違っている」と批判しました。

西尾幹二・加地伸行両氏への断筆勧告
金子 西尾幹二氏は平成二十年に批判を浴びたにもかかわらず、それに懲りず皇室批判を続けました。平成二十八年六月号の『WiLL』には、西尾氏と加地伸行氏の対談「いま再び皇太子さまに諫言申し上げます」が載りました。この対談は、皇太子殿下と妃殿下に対する誹謗中傷というべき代物であり、断じて看過できませんでした。
 「殿下は妻の病状に寄り添うように生きてこられて、国家や国民のことは二次的であった。皇位継承後もこうであったら、これはただ事ではありません」(西尾)、「雅子妃は国民や皇室の祭祀よりご自分のご家族にご興味があるようです」(加地)、「雅子妃は伝統文化に拒絶反応をお持ちのようですね」(西尾)と、皇太子殿下や妃殿下の御振舞いについて臆測に基づく批判を繰り返しました。
 そのあげく、「心ある皇室関係の方々は、なぜこんな状況になったかとお嘆きとお聞きしています」(加地)、「皇室にごく近い人物から手紙をもらいました。東宮家での雅子妃の日常の振る舞いがきわめて具体的に書かれており、私は正直おののきました」(西尾)と事情通ぶった思わせぶりな発言をしています。そのような判断を下す相応の根拠があり、皇室関係者と話が通じるのであれば、なぜ原稿料と引き換えに放言を垂れ流すのではなく、そのルートを通じて諫言の書状を奉呈しなかったのでしょうか。
 加地氏は皇太子妃殿下の御振舞いについて「個人主義の名を借りた利己主義」と断じ、「小和田家のために、一皇太子妃のために、なぜ皇室が変わらなければならないのですか」、「一般庶民でも、娘の嫁ぎ先に口出しをするのは珍しい。まともな家なら、婚家に遠慮します」と述べています。下司な舅根性丸出しの発言にしか見えません。
 もちろん、皇室は日本民族の生命体系、「国体」の中核であり、一個人の恣意によって歪められて良いわけはありません。しかし、自然の理法と「国体」に対する自覚の深まりによって「国体」が進化を遂げる中で、皇室も当然ながら変化します。西尾氏のいう「伝統的皇室のイメージ」にしたところで、彼の生まれ育った時代におけるものに過ぎません。
 対談の最後で、漢籍に詳しい加地は『孝経』を引きつつ自分たちの意見は「諫言」であると主張していますが、吉田松陰は『講孟箚記』において「君に事へて遇はざる時は、諫死するも可なり、幽囚するも可なり、飢餓するも可なり」と述べています。ここまで皇太子殿下と妃殿下の御行状を公然と論った以上、自らの意見が受け入れられなかった際の出処進退についても当然覚悟していなければおかしい。「諌死」せよとまでは言いませんが、言論人を自認するならば断筆すべきではないか。そう考えた私は、実際に『国体文化』(平成28年6月号)で両者を厳しく批判して断筆を勧告し、両氏の自宅に送ったのです。当時、私の一文は両氏の周辺で相当の物議を醸したようで、詳しくは申しませんが私の原稿を掲載した媒体にクレームが入ることもありました。
── 「いま再び皇太子さまに諫言申し上げます」が掲載された直後、右翼の松田晃平氏が『WiLL』を出版するワックの事務所に侵入し、床に黒いペンキをまき、消火器を机などに噴射しました。松田氏は自ら110番通報し、駆け付けた警察官に現行犯逮捕されました。
金子 言論を暴力で封殺することは肯定できませんが、あんな対談を載せた『WiLL』編集部の不見識は糾弾されるべきでしょう。収録の段階で一連の発言がなされたとしても、編集の段階で調整することはできたはずですから。『Hanada』との部数競争に勝つため、炎上覚悟で掲載に踏み切ったのかもしれませんが、許される道理がありません。
 けれども、『WiLL』編集部は反省していないようですね。眞子内親王殿下の御結婚・渡米に際して、同誌は竹内久美子「『ペテン師と駆け落ち』と報じられた恥」(令和三年十二月号)といった記事を掲載しています。その内容はともかく、編集部がつけたであろうタイトルは度を越していると言わざるを得ません。

大御心を封じる保守派言論人
── 先帝陛下の御譲位をめぐる「保守雑誌」の議論をどう評価しますか。
金子 私は承詔必謹論の立場に立っていましたが、保守派の中には摂政を立てるべきだという議論がありました。例えば、『WiLL』(平成二十八年九月号)は、緊急寄稿として渡部昇一氏の「天皇『生前退位』の衝撃!」を載せました。ここで、渡部氏は「まず私は摂政を置くことをご進言申し上げたい。皇室典範を変えることには反対します」と述べ、その理由を説明しました。また、櫻井よしこ氏は、次のように述べていました。
 「…私は譲位ではなく、摂政を置かれることが最善の方法だという結論に至りました。……終身天皇のまま、現行法の中でご公務の負担軽減を実現することは可能です。陛下のご日常を、祭祀、国事行為、公的行為の順番で優先順位を組み替え、陛下が大切になさっている祭祀のための時間を確保することは可能です。その上で、国事行為や公的行為は皇太子さま、秋篠宮さまが臨時代行などの制度を活用して分担するなど、工夫ができます」(『産経新聞』二〇一六年十一月二十日付)
 先帝陛下がご決断をされる前であれば、議論の余地はありますが、ご決断をされた後に、こうした意見を述べるのは差し出がましいと感じました。一般国民は先帝陛下のご譲位を素直に受け入れましたが、「保守派言論人」たちは、皇室についての自分たちのドグマを保守したいのでしょう。
── 令和三年六月二十四日、西村泰彦宮内庁長官が、天皇陛下がコロナ禍でのオリンピック開催を御心配、ご懸念されていると拝察すると発言しました。陛下は国民の生命を案じられ、政治的なリスクを冒してまでしてご内意を発せられたのです。ところが菅政権は、この発言は宮内庁長官の個人の見解であるとして事実上黙殺したのです。西村長官の発言が長官個人の見解ではなく陛下の思し召しであることは明らかです。
 ところが、保守派言論人の一部は西村長官を批判したのです。日本会議会員を名乗る橋本琴絵氏は、『WiLL』の日刊オンライン版(七月一日)で、「『天皇はロボット』と思っているからこそ、一般人が児童や精神障碍者の代理をするように『代言もできる』と考えてしまい、それゆえに『拝察』という不敬な態様を示したのではないだろうか」と西村長官を批判しました。五輪を開催するためには、大御心さえ封じ込めてしまえということなのでしょうか。
 我々『維新と興亜』同人は、西村長官の発言を受けて、首相官邸前と衆議院議員会館前で、五輪強行開催に反対する緊急街宣を行いましたが、保守言論人に言わせれば、五輪に反対する者は反日なのでしょうか。驚いたのは、安倍総理(当時)が櫻井よしこ氏との対談で「共産党に代表されるように、歴史認識などにおいても一部から反日的ではないかと批判されている人たちが、今回の開催に強く反対しています」(『Hanada』令和三年八月号)と語ったことです。天皇ご自身の発言に対する敬意がまったく感じられません。

天皇を自分たちの政治的主張に従属させようとする保守派言論人
金子 保守派言論人は口先でこそ「尊皇」を唱えますが、その実、天皇や皇族を自分たちの政治的主張に従属させようとしているのではないでしょうか。
 八木秀次氏は『正論』(平成二十五年五月号)「憲法巡る両陛下ご発言公表への違和感」という一文を寄稿しています。その中で、当時天皇であられた上皇陛下の御誕生日会見における「戦後、連合国の占領下にあった日本は、平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、様々な改革を行って、今日の日本を築きました。戦争で荒廃した国土を立て直し、かつ、改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し、深い感謝の気持ちを抱いています。また当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないことと思います」(平成二十四年の御誕生日における御会見)という御発言、さらには、皇后であられた上皇后陛下の御誕生日会見における「今年は憲法をめぐり、例年に増して盛んな論議が取り交わされていたように感じます。主に新聞紙上でこうした論議に触れながら、かつて、あきる野市の五日市を訪れた時、郷土館で見せて頂いた『五日市憲法草案』のことをしきりに思い出しておりました。明治憲法の公布(明治二十二年)に先立ち、地域の小学校の教員、地主や農民が、寄り合い、討議を重ねて書き上げた民間の憲法草案で、基本的人権の尊重や教育の自由の保障及び教育を受ける義務、法の下の平等、更に言論の自由、信教の自由など、二〇四条が書かれており、地方自治権等についても記されています。当時これに類する民間の憲法草案が、日本各地の少なくとも四十数か所で作られていたと聞きましたが、近代日本の黎明期に生きた人々の、政治参加への強い意欲や、自国の未来にかけた熱い願いに触れ、深い感銘を覚えたことでした」という御発言を引き、「陛下が日本国憲法の価値観を高く評価されていることが窺える。私がここで指摘しておきたいのは、両陛下のご発言が、安倍内閣が進めようとしている憲法改正への懸念の表明のように国民に受け止められかねない」と記しています。なんと不遜な発言でしょうか。
 日本国憲法に様々な欠陥があることは言うまでもなく、それらを克服すべく何らかの形で是正せねばなりません。それゆえ、私個人は、安倍内閣が進めようとしていた憲法改正の内容に物足りなさを感じるものも一定の意味はあると思いますし、そうした方向性が「五日市憲法」や「平和と民主主義」と矛盾するとは必ずしも思いません。
 仮に、八木氏の主張する如く天皇陛下や皇后陛下が何らかのご懸念を持たれているのならば、彼は安倍首相を介してご理解を賜る努力を重ねれば良かったのです。そうすることなく非難がましい発言をする八木氏にとって、忠誠を尽くす対象は上御一人たる天皇陛下ではなく、行政権の最高権力者である安倍首相だったのではないでしょうか。

失われた「超越的なものへ畏怖」の感覚
── 表向きには天皇や皇室を尊崇している様でも、その実は神棚に祭り上げて、天皇は黙って宮中祭祀さえしておればよいという不遜な考えが根底にあるように思われます。しかし、我が国は本来、祭政一致の国柄(国体)であり、政事と祭事は同じ「まつりごと」として一体不可分なのですから、祭祀主である天皇は同時に政治をみそなわすご存在です。しかし天皇陛下も生身の人間であり、時には間違われることもある。だから我々国民は、時にはお諫めをも辞さず、しかし一度ご聖断が下れば承詔必謹に徹するという形で、君民一体の国体を形作ってきたのだと思います。そして、そうした祖先の営々たる努力にこそ国体の尊厳があるのだと思います。
山崎 保守派言論人たちには、人知を超えたものへの「畏怖」という感覚が欠如していると思います。最近の日本の保守思想には、皇統というような言葉が頻繁に使われている割には、超越的なものへの畏怖感覚が存在しません。むしろ、天皇や皇統という言葉が忘れられ、誰もが口にしない時にこそ、実は日本人の心の中心に天皇や超越的なものへの畏怖感覚があるのかもしれません。
 私の母親は、若い頃、田舎の山奥の小学校教師でしたが、御真影を納めた「奉安殿」の前で、生徒たちと撮った写真を見たことがあります。その奉安殿は、戦後、GHQの指令で、跡形もなく、破壊されたようですが、私は、その話を長いこと知りませんでした。
 しかし、いずれにしろ、近代日本の精神的支柱になっていたのは、天皇であり、それを象徴するのが、全国津々浦々の小学校に建てられた奉安殿だったと思います。そこには、水戸学が言うところの「国体論」があり、宗教的信仰にまで高められた国体的天皇論がありました。戦後、戦後民主主義的な左派陣営からは、それが批判され続けたわけですが、私は、戦後の日本人より、戦前の日本人の方が好きです。戦前の、あるいは近代の日本国民は、国体的天皇論に基づく「超越的なものへ畏怖」の感覚を持っていました。現在の日本国民には、右派も左派も含めて、その畏怖感覚が欠如しています。欧米にあって、日本にないのは、この「超越的なものへ畏怖」ではないでしょうか。
 戦前の日本国民の記念写真などを見ると、どんなに山奥の田舎の小学校であろうと、教員たちは、実に立派な、大人の顔をしています。子供たちも同じです。どんなに貧しかろうと、姿勢も身だしなみも、実に厳粛な凛々しい姿をしています。思想や教養や精神性が、顔や立ち居振る舞いににじみ出ているのではないか、と思います。
 そういう「思想や教養や精神性」を取り戻すのが保守論壇雑誌のはずですが、最近のエセ保守雑誌には、そういう「思想や教養や精神性」が、根本的に欠如しています。「保守」や「右翼」を名乗る資格はないと思います。
── 確かに「保守派言論人」は理屈の上では正しいのかもしれませんが、皇室に対する「恋闕」ともいうべき血肉のかよった親愛の情や、遥かなるものへの畏怖や信仰が感じられません。そういう人たちは、いざ皇室が本当の危機に陥った時には理屈をこねて見捨てるでしょう。

国体の理想を取り戻せ!
── 保守雑誌の問題点は、我々日本人全体の問題でもあります。戦前には良くも悪くも、日本人は国体の理想を体現しようとし、国際社会における使命を自覚していました。国体の理想をアジアにも及ぼす使命があったのです。維新と興亜を不可分のものとしてとらえていました。しかし、わが国は戦争に敗れ、GHQの占領下に置かれ、戦前の思想は否定されました。国体思想が封印されたまま、戦後復興という課題に取り組みつつ、国家の生存を維持しなければなりませんでした。
 日本人は、国体観を失ったまま、環境に順応するために、常に現実主義を選択してきたのです。いま台頭する中国に対して、国益の観点から現実主義を選べば、日米同盟を強化して対抗するという結論になります。しかし、我々は道義国家としての理想を取り戻すべきだと考えています。わが国が理想を抱かず、単に生存し続けるだけなら、やがて日本は日本でなくなります。
金子 そこに『維新と興亜』の存在意義があると思います。今後の展開に期待しています。


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