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玉川博己「三島由紀夫『英霊の聲』再読 ①」(『維新と興亜』第5号、令和3年2月)

 三島由紀夫の『英霊の聲』は昭和四十一年『文芸』六月号に発表された当時からその内容が刺激的であったがゆえに評判となり、三島由紀夫がそれまでに発表した『十日の菊』と『憂国』とあわせて「二・二六事件三部作」と言われる様になった。『英霊の聲』はその後すぐに河出書房から初版が昭和四十一年六月三十日付で刊行されている。私が本書を読んだのはまだ予備校生であった昭和四十一~二年の頃である。初版本を持っていたが、その後友人に譲ってしまい、現在手元にあるのはその後求めた昭和四十八年刊行の第十一版である。
 当時ジャーナリズムが問題にしたのは、戦後のいわゆる天皇制批判といえば左翼マルクス主義の立場からのものばかりであり、それとは全く異なる立場からの天皇批判がなされたということであった。「右からの象徴天皇批判」とかあるいは「人間天皇批判」ということがセンセーショナルに取り上げられた。また「などてすめろぎは人間となりたまいし」というフレーズも話題となった。三島由紀夫はこの作品に極めて強い思いを抱いていた。たとえば楯の会が結成されるとその会歌「起て紅の若き獅子たち」がつくられ、シングルレコードとして発売されたが、そのB面には三島由紀夫自ら朗読した「英霊の聲」が吹き込まれていた。その意味を世の人々が知るのは昭和四十五年十一月二十五日の市ヶ谷台決起を迎えてからであった。
 この作品は残春のある一夕木村先生の主催された帰神の会において神主をつとめた川崎という二十三歳の盲目の青年の口を通じて発せられた兄神たち(二・二六事件で刑死した青年将校)と弟神たち(神風特攻隊員)の「などてすめろぎは人間となりたまいし」というフレーズで締めくくられる現代日本への怨嗟の叫びを描写している。そしてすべてを語り終わったあとに川崎青年は死を迎えるという筋書きである。兄神たちも弟神たちも共通するのは、なぜ天皇陛下(この場合は昭和天皇である)は神であることをやめて人間となられたのでありますか、という詰問であり、呪詛とでもいうべきものである。そしてこれは本作品を借りて三島由紀夫自身が戦後日本と象徴天皇(あるいは人間天皇)に突き付けたアンチ・テーゼともいうべきものであった。私は大学に入るや民族派学生運動に身を投じ、長らくこの『英霊の聲』を繙く機会がなかった。自分の三島体験の中でも鮮烈な印象があったからである。
 最近民族派学生運動のある先輩の方と偶々酒を酌み交わしていたときの会話において、先輩から「兄神である二・二六事件の青年将校たちが『などてすめろぎは人間となりたまいし』というのは理解できるが、弟神である神風特攻隊員たちに同じことを叫ばせたのは一体何故なのだろうか」、「頭脳極めて優秀な天才の三島由紀夫のことであるから何か特別な理由があるのではないか」という問いを受けた。そこで私も四十年間読んでいなかった本書を再読して、現在の自分の立場で本書の意味を考えてみようと思い立ったのが本論である。
 順序が逆になるが、『英霊の聲』の末尾には参考文献として何冊かの本が三島自身によってあげられているが、二・二六事件関係としては、河野司著 『二・二六事件』、橋本徹馬著『天皇と叛乱将校』、楳本捨三著『日本のクーデター』、高橋正衛著『二・二六事件の謎』の四冊が、また神風特攻隊関係としては、猪口力平・中島正著『神風特別攻撃隊』があげられているが、いずれも古典的名著として評価の高いものばかりであり、また二・二六事件の青年将校や神風特攻隊員の心情を同情的に描いているものが多い。
 更に河出書房版『英霊の聲』には三島由紀夫による著者あとがきともいうべき「二・二六事件と私」という短文が掲載されている。そこにはある程度三島の思いが、ひいては市ヶ谷決起につながる思想的立場が凝縮されているので簡単に紹介する。ここでは三島自身による「のちに『英霊の聲』であらわにされるような天皇制の問題」という表現がずばり出てくるので、三島の問題意識がどこにあったのかは明白である。三島は『憂国』における主人公の中尉夫妻の死について「私はかれらの至上の肉体的悦楽と至上の肉体的苦痛が、同一原理の下に統括され、それによって至福の到来を招く状況を、正に、二・二六事件を背景にして設定することができた。」と自賛している。

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