見出し画像

自由へのあこがれと少しの寂しさ

「世界初の電動無人貨物船」というニュースを目にし、ふと思い出したことがある。


10年以上前の取材。本州最後の霧笛の廃止式だ。


春先から夏にかけ、三陸沖は湿った風の影響で霧が出やすい状況になる。

五里霧中という言葉の通り、何の目印のない海上では目を閉じているのと同じような状況になる。

なかでも女川湾は暗礁や小島が多く存在し、地元漁師でさえ油断ができないという。

〝板子一枚下は地獄〟と言うように命がけで航海に臨んでいる漁師たち。なじみの音で方角を知らせてくれる霧笛という存在はどんなに心強かったろう。



戦後から約60年間、陸から漁師たちの安全を見守ってきた霧笛が、この日、最後の音を鳴らした。


「ボーーーーーン!………、ボーーーーーーン!………」―。



いつもは霧の中の吹鳴となるが、最後の舞台となったこの日は、さわやかに晴れた太平洋に向かって、大きな音を響かせた。


今はGPSやレーダーの普及で操舵室にいながらにして、周辺海域の水深や地形、航路まで把握できるようになった。安全のためには素晴らしい進歩だ。

一方で「勘と経験を頼りに海に挑んだ時代に終わりを告げられているようだ」と地元漁師が語っていたことが忘れられない。長い歴史の幕引きは少しだけ寂しさを感じさせるものだった。



以下に当時書いた記事を転載します。

霧笛という存在をnoteの皆さんにも知っていただきたい。

4 霧笛廃止

 四子ノ埼の霧信号所(霧笛)は昭和26年1月26日、女川町出島寺間地区の山上の灯台に併設する形で設置された。電磁版を振動させて音を発生させる「ダイヤフラムホーン」方式を採用。光センサーで視界が4㌔以下になると、危険な暗礁が存在する早崎水道に向け、15秒間隔で10秒間音を鳴らす。
 視界不良になれば 昼夜を問わず音が鳴る。早朝に音が鳴れば霧で漁に出られないことがわかるなど、地元住民にとって霧笛の音は生活の一部になっているという。
 この日、式に出席した出島で漁業を営む男性は霧笛に命を助けられた経験を振り返った。男性が大型船に乗船していた約30年前、女川入港時に濃霧の中でレーダーが故障してしまった。水深が浅く座礁の危険性がある中、甲板に出ると霧で一寸先が見えない緊迫した状況。そのときに聞こえてきたのが、故郷の出島の霧笛だった。その音を頼りに方角を割り出し、何とか港に着けることができたという。
 「この辺の漁師であれば霧笛の音に対し、それぞれの思いが必ずある」と男性。「霧の中で聞こえてくるあの音は、自分たちに大きな安心感を与えてくれた」と語っていた。
 海上保安庁はGPS受信機などの開発で、風の影響で聞こえないなど致命的な問題を抱える霧笛の必要性がなくなってきたとして、廃止計画を進めていた。2010年3月31日は四子ノ埼のほか、北海道の4基も廃止され、海保が管理する霧笛はすべて稼動を停止した。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?