忘れるのは、忘れたいから
1995年の1月17日。阪神・淡路大震災が起こった日。
毎年のこの日。
テレビで放映される早朝の祈り。
追悼式場の映像では「忘」という光の文字が浮かび上がっていた。
今年で27年だという。
1万日に近い時間。
ニュースでは、街も人も大きく変わっていることを伝えていた。
「忘れないよう、伝えていきたい」
「語り継いでいく」
インタビューでは、若い人を中心にこのようなことを語っていた。
風化。
こちらで東日本大震災を経験してからは、この風化についても様々な考えがあることを感じた。
2015年6月。この時の自分もそんなことを考えていたのだろうか。
新聞の記者コラムにこんなことを書いていたのをみつけた。
津波から4年後。石巻市と仙台市を結ぶJR仙石線が復旧した後のこと。
様々なモノゴトが元に戻っていく、という復興の喜びを感じながらも、
震災時の上下左右に揺れ動いた心や気持ちが、
その落ち着きに対応できていないような複雑な思い。
そのざらざらした想いをならし、なめらかにする上で、
徐々に忘れていくことを、薬のように感じることもあった。
それが、モノもコトも自然に還る、風化ということなんだろう、
と感じている。
風化することと忘れることは同じだろうか。
自分の2つの好きな映画。主人公の言葉が対照的だ。
浪花の恋の寅次郎
「そりゃ、今は悲しいだろうけどさ。月日がたちゃ、どんどん忘れていくものなんだよ。忘れるってのは本当にいい事だな。」
The Straight Story
「The worst part of being old is remembering when you was young.」
答えはまだ分からない。
防災という意味では、伝えるべきことはたくさんある。
でも、どうやったら伝わるだろう。
あんな思いをさせないようにできるだろう。
その繰り返しだ。
阪神・淡路大震災への追悼、トンガからの津波、大分・宮崎の地震。
色々考える2022年の1月です。
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