顔ファンはなぜ嫌がられるのか

……というタイトルをつけてみたものの、本当に嫌がられているのか、わたしには実感がありません。なので、その件についてつらつらと考えたことを書き出してみたいと思います。

先日、ツイッターで

『駅伝では選手の顔の良さだけを語るのはよしとされていなかった』というつぶやきを見つけ、「え?そうなんだ?!」「なんで?」と驚いたことがありました。

そして考えました。

以前、女性が読者の大半をしめる「プロ野球ai」という雑誌で記者をしていたのですが、そのときも嫌がられているという印象はありませんでした。

もちろんある一定数、そういった「柔らかめな視点の雑誌」に冷たい目を向ける人はいたかもしれません。それでも、ほとんどの硬派なプロ野球ファンの方が「こういう切り口の雑誌があってもいいよね」と寛大だった印象があります。ネタにして楽しんでくれているという感覚もありました。

では、そういった「選手のビジュアルを全面に出した雑誌」を読むようなプロ野球ファン、「選手のビジュアルに心惹かれて野球を見るようになったファン」は、ほかのプロ野球ファンからどう思われているのか。プロ野球の競技ファン、チームファン、戦術ファン(この呼び方がふさわしいのかわかりませんが)などがSNS上や球場で、特に攻撃的な言葉を投げかけているのを見た機会はなかったですし、むしろカープ女子に代表されるような女性ファンを、「チームにとってファンが増えるのは良いこと」「グッズが売れるのは球団経営にとって望ましいこと」と受け止めている印象すら受けていました。

そういう意味では寛容といいますか、共存共栄しているイメージです。

では、なぜ駅伝はダメなのか。

体力的にしんどい競技だから?

(しんどいのはどの競技もいっしょだよなぁ)

学校の看板を背負っているから?

(高校野球も背負っているものは重いよなぁ)

「山の神」とかよく聞くけど、神聖なものだから?

(駅伝の知識はこれくらいしかわたしにはありません)

なぜ?なんで?

考えても理由はわかりません。

そして気づいたのはバレーボールの場合も、選手のビジュアルを語ると強烈な批判の言葉を浴びたり、「顔ファン」とか「選手ファン」と軽蔑を含んだ呼び方をして軽視している場面に多く出くわすということです。

わたしがかつてビジュアルのかっこいいアスリート特集の雑誌で、あるバレーボール選手の取材をし、掲載されたときには、まるで「語るのはタブー」とばかりに誰もその話題に触れていませんでした。「こんなチャラい扱いしないでください」というような批判も覚悟していたのですが、批判やご意見のリプライやコメントすら全くなく、まるでなかったことになっているような不思議な感じでした。まさにこれが「語るのをよしとしない」感じなのかなぁと今ふと思います。

なぜ語るのをよしとしない雰囲気ができてしまっているのか。

そもそも競技やエンターテイメントを見るときの「視点」は人それぞれだし、自由。それを誰かに強要されたり、批判されるのは「なんだか違うなぁ」と思いますし、しかもそういった目があるせいで、競技の観戦やファンになるハードル高くなってしまうのでは、競技やチームの発展の妨げになるかもしれません。

バレーボールと駅伝の共通点(?)や選手のビジュアルから入ったファンについて、いろいろとご意見を聞いてみたいです。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?