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昭和をカタルシス

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昭和31年〜昭和64年まで約33年間。戦後の昭和を歩いた作者の“記憶の断片”に、時代背景やトレンド、ブーム等を織りまぜた昭和グラフィティ。(シリーズ未完)
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#毎日note

昭和をカタルシス[12] 場外乱闘

場外乱闘と云えば、昔も今もプロレスの見せ「場」だ。 でも、最近はだいぶと過激になり、リン…

昭和をカタルシス[10]ウラニワ…

ウラニワ ニワ‥ ニワトリ は、いなかったが、代りに、昔の家の裏庭には、 多くの種類の樹木…

昭和をカタルシス[9]タコのウチ風呂

今でこそ、家にお風呂(内風呂)がある事は、ごく普通だが、内風呂が普及したのも、前記のダイニ…

昭和をカタルシス[8]窓際のダイニングテーブル

ダイニングテーブルが、戦後、日本の家庭に普及し始めたのは、 昭和35年頃からのようである。 …

昭和をカタルシス[7] 忘れじの、東京タワー

高さ333メートルを誇り、TVとFMラジオの総合電波塔として、戦後日本におけるメディア隆盛の一…

昭和をカタルシス[6] 空想、掘り炬燵

もし今、居酒屋を始めるのなら、靴を脱いで上るスペースには、 必ず“掘り炬燵”を置く。これ…

昭和をカタルシス[5] 天才・天然パーマ

私の髪の毛は、父親譲りの天然パーマである。 今は髪にボリュームもなく、短いカットなので気にならないが、学生の時は、クルクルした、天然パーマの髪がとても嫌だった。 天然パーマは“天パー”や“クルクル頭”“ちぢれ毛”など、不名誉な呼び名も多く、寝ぐせは酷いし、櫛の通りも宜しくない。 幼児期は、流行りの(?)坊っちゃん刈なので、パーマ・パワーの、洗礼はないが、中学、高校生と髪を伸ばし始めると、とたんに、髪が主張し始め、特に外巻きの為、先がピンと跳ね上がっていた。 湿気を良く感知し

昭和をカタルシス[4] 落ちたロイド眼鏡

ロイド眼鏡と云えば、1920年代のサイレント映画で活躍したアメリカの喜劇役者ハロルド・ロイド…

昭和をカタルシス[3] 白黒テレビ君

日本のテレビ放送は、NHKによって昭和28年2月1日に開始され、民放では、同じ年の8月28日に、日…

昭和をカタルシス[2] 高度経済成長

私は東京の下町で生れ、中学二年まで、その町で暮らした。 家は、瀬戸物屋を営んでいた。祖父…

昭和をカタルシス[1]しらけ世代

私が生まれたのは、昭和31年3月3日である。 昭和33年なら、3並びでもっと縁起良いかも知れんが…