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某日

この春までに引っ越さなくてはいけないので、家を探していたが、冬のうちに拍子よく決まった。
高低差がある街。子供の頃、父が運転する車で首都高を走った時のワクワクに似ている。一見して無駄と思われるような高低差や階段や橋を楽しめる余裕があることは大切で、無駄に思われるようなことで人生は構成されているんだよなと最近は思う。実のところは人生なんて無駄なんだし。

午前様は本来の私の活動時間から外れているから友人との集合時間に案の定遅刻するが、目的が早めに達成されて食事を計画。あまり行かない場所なので良いご飯屋さんを知らず、お腹が空いていながらも街を彷徨う。服屋やセレクトショップが立ち並ぶ割に、道を外れると住宅街。お腹が空くと頭が回らず苛々してしまうから、私は飲食店を探すのには向いていない。諦めてその辺にあったヴィーガンカレーのお店に入ろうとしたが、友人がヴィーガンにはあまり共感できないらしく、もう少し歩いてみることにする。次の角を左へ曲がると歴史がありそうな洋食屋さんが、迷わず入る。1階はカウンター、2階がテーブル席で、さっとカウンターを眺めると2席ほどしか空いていない。とりあえず2階に登ろうとすると、1階の店主らしきお爺さんが大声で何人かと声をかけてきた。2人です!と言うと上上がって!と言われたので2階へ。お昼時でもあり席は満席に見えたが、奥に空きがあるのか、とりあえず座ってと待合に座る。2階は1人で仕切っているようで、お水を足したりオーダーを取ったりと忙しないが流れるように支度がされている。友人の次の予定まで2時間半ほどあったため空腹だが、店頭にあったメニューを思い出しながらのんびりと待つ。10分ほどで席に案内され、ハンバーグを注文し、ドリンクもついているとのことでアイスティーを頼む。ついでにチョコレートケーキも頼むが、ドリンクは食後だったので珈琲が正解だったかもと少し後悔。
お店は狭めでテーブルが8つほど。キッチンは1階と共用らしく、よくある料理が登ってくるエレベーターがある。登ってくると、古い電子レンジのようなチンという音がする。頭に響き苦手な部類の音だが、時間はあるので許容できる心の余裕がある。青紫蘇系ドレッシングにシーザーではない白いドレッシングの2色がけのサラダを食べて、細かめ(粗めの反対)のハンバーグに添え物が少し。デミグラスソース。ご飯はお皿に平たく乗っている。もう少しふんわりしていてもいいのにと思う。ハンバーグの味は美味しい。どうしても肉料理は1口目が一番美味しくなってしまうが、これはずっと美味しい。パスタやカツレツ、モッツァレラチーズの鶏肉焼きみたいなのも気になるからまた行きたい。

友人とは予定があるとのことで別れ、夜までの時間潰しに恵比寿へ。おすすめされていたがほったらかしにしていた写真美術館の野口里佳の展示。ついでに同時にやっていた星野道夫の展示も。ガーデンプレイスまでの道は動く歩道になっていて、空港を思い出す。母の実家は飛行機で行くような距離にあったため、浜松町のポケモンセンターによって羽田空港で万世のカツサンドを買って食べるのが好きだった。今は新幹線でアイスを買って食べながら実家に帰るのが好き。
星野道夫は探検家であり写真家。1996年にクマの事故で亡くなっている。小学生の頃、担任の先生から星野さんの話を聞いたことがある。日本人探検家といえば、というくらいの適当なイメージ。展覧会はきっかけがないと行かないで終わるから、一緒に見ておこうと券を買った。人で溢れていた。四半世紀以上前とは思えないような生々しさ、アラスカの人々、ホッキョクグマ。普段生活していると見ることのない風景、死と隣り合わせの生活。センセーショナルで、人気があるのもわかる。それだけではないだろうが。
野口里佳の展示。これは川内倫子の展覧会の話の流れで、日常を意識的に切り取るようになった写真家として面白いかもと紹介された。川内倫子がコロナ禍を経てM/E(Mother Earth)としての日常を作品としていたのと比較すると、社会そのものよりも、より個人的な体験をキーとして日常に懐古していくような展示。最後に初期作である「潜る人」(ダイビングスーツを着た人がまるで月に行く人のように見えたとの談)があり、野口の中には初めから常にミクロな、個人としての体験を作品として昇華することへの意識が向けられていて、それの原点回帰というような印象を覚えた。
社会的な、マクロな視点で系統的に物事を考えていても、私達のそばにあるのはより個人的な事象でしかない。体系化というのはいつも、大事な部分を塗りつぶしてしまうような気がする。写真は記録するものであり、目には見えない何かを生み出すものであり、記憶するものだ。現実ではない何かを、写真の中に浮かべられたら、芸術として、作品としての写真は成功していると言えるのだろう。

もう一つ、目黒の東京都庭園美術館にも行ったが、こちらは閉館ギリギリで急ぎ足。人が居ない美術館は素晴らしいし、建築自体もまたゆっくりみたい。美術館は存在自体が芸術だったりする。体験としての芸術ね。

夜は別の友人と初めて2人でお酒を飲んで、帰って顔だけ洗ってぱっと寝た。

右手人差し指の第一関節がえぐれてできた傷は、1週間経ってもまだ癒えない。