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上越立ち止まりスポット9-①(春日山神社)

先回、春日山神社をスルーして春日山頂上までの道程を記したので、今回は春日山神社について書く。春日山神社は、山形県米沢市の上杉神社より分霊され、謙信公を祭神に祀った神社である。明治34年(1901)、上杉謙信を崇拝する小川澄晴氏によって建てられた。ヘッダーの写真は2008年正月。

私は昭和の終わり頃に、林泉寺近くに引っ越してきたので、春日山神社は1年に何度も散歩で訪れている。見慣れた風景ではあるが、写真を撮ってじっくりと石碑のいわれなどを読んでみた。

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まず、目につくのが、小川未明の石碑である。「雲の如く高く くものごとくかがやき 雲のごとくとらわれず 未明」と記されている。なぜ、小川未明の碑がここにあるかというと、未明の父が小川澄晴なのだ。

小川未明は、小説家・児童文学者で明治15年(1882)に上越市の高田で生まれた。「日本のアンデルセン」「日本児童文学の父」と呼ばれ、浜田広介と坪田譲治と並んで「児童文学界の三種の神器」と評された。代表作である「赤いろうそくと人魚」にちなんで、人魚の像も境内にある。

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ちなみに私の中学校の時の理科の小川先生は、ここに住んでいた。「えんぴつ先生」というペンネームでイラスト入りのエッセイを新聞などに載せていた。

境内横には忠霊碑とカノン砲がある。この忠霊碑は、大正時代に建てられた。日露戦争時の戦利品のカノン砲がおかれている。

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また、山城のあった時代はここに老母屋敷跡がおかれていた。「虫の音に名将偲ぶ春日山」という句碑のある。

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神社横に土産物屋と食堂があるが、その前の小高いところに上杉謙信像が建てられている。謙信は厳しい目で川中島の方をにらんでいるという。

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私が上越市教育委員会に勤めていた頃、ある文書で「上杉謙信」と書いたら「上杉謙信公」と直され注意をされた。その後、いろいろな土地でそれぞれその地の戦国武将がどのように称されているかが気になって説明文などを読むくせがついたが、たいがい○○公となっていた。上越市だけではなかった。


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