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飛行機の本#20 WILD BLUE ワイルド・ブルー(スティーブン・E・アンブローズ)

第二次世界大戦末期、アメリカ陸軍のコンソリデーテッドB-24爆撃機はドイツへの爆撃作戦にあたった。35回の任務回数を終えるまでに大半が死傷した。この本は、終戦時にちょうど35回を無事達成した操縦士ジョージ・マクガヴァンのストーリーと多くの戦友からのインタビューで構成されたドキュメントだ。

副題は、THE MEN AND BOYS WHO FLWE THE B-24s OVER GERMANY。当時、機長のマクガヴァンは20歳、クルーの大半は10代後半だった。55年後の生存者たちの証言が重ねられて当時のドイツ爆撃作戦のデティールがわかる。搭乗員達の日常生活、上空でのB-24の内部、戦闘の悲惨さ、恐れや怯え、単なる物語ではなく貴重な歴史資料となっている。

マクガヴァンは1972年、大統領選挙で民主党候補者になった。候補者の時、経歴を語れば有利になると周りから言われても軍務経験を語らず逆に臆病者というレッテルを貼られたという。ベトナム戦争での北爆に反対したからだ。その後、大統領には指名されず国連に活動の場を移す。この本が書かれた時は世界飢餓大使であった。

軍務経験を多く語らなかったのは、さまざまな複雑な思いがあったことがこの本を読んでいくうちにわかる。爆弾倉にひっかかった爆弾を落とさねば自分たちが危険だという状況になり、町をさけひろい農場の上でようやく落とした爆弾が農家を直撃したのだ。マクガヴァンは軍事施設への爆撃にこだわっており、市民を戦争に巻き込むことを嫌忌していた。そして、その日に最初の子の誕生を知る。以来、子供の誕生日が呪われた日になったのだ。1985年にTV番組が縁でその農家の人たちが逃げていて無事だったことがわかる。「言葉に尽くせないほどの救いと安堵の思いをもたらした。重い石の板が頭上から取り払われたような気がした」という。

この本は、マクガヴァンが陸軍航空隊志願する1943年頃から、訓練期間を経て1944年に実際にドイツ爆撃作戦に従事し、1945年の終戦までが描かれる。しかし、単にマクガヴァンの物語ではない。多くの戦友からのインタビューで構成され群像劇のように進んでいく。羅生門的アプローチだ。

ドイツへの爆撃作戦はイギリス空軍とアメリカ陸軍航空隊が行なった。イギリス軍は早くから都市への夜間戦略爆撃を行い、大都市や市民をターゲットにした。それはバトルオブブリテン(イギリスへの侵攻作戦)でドイツ空軍がロンドン爆撃をしたことに対する報復であった。また、正確な照準器をもたないためにパスファインダー(攻撃目標を決める役目の飛行機)で照明弾を投下し、それを目標に爆弾を落とす必要があった。そのため夜間爆撃になった。爆弾の大半はそれでも外れてしまうのだが・・・。パスファインダーにはモスキートが使われた。アメリカ軍は、自動操縦装置と連動するノルデン照準器をもっており昼間精密爆撃が可能であった。また、都市や市民をターゲットにすることに対する抵抗感もあり軍需工場や石油施設、交通網をねらう昼間爆撃を行った。しかし、それは多くの犠牲を払う作戦でもあった。ドイツ軍の優れた高射砲(88mm砲)や迎撃戦闘機によって作戦中でも死傷率は極めて高かった。それ以上にこのドイツ本土への爆撃で60万人の死者が出たと言われている。おろかなことだ。

ドイツ爆撃で有名なのは第7航空軍のB-17フライング・フォートレスだ。はなばなしく報道され、映画や小説にも多くとりあげられる。それに比べて第15航空軍のB-24は、地味であまり語られることがない。しかし、実はアメリカの軍用機で最多の生産数なのだ。B-17は、ずっと離陸が容易で、操縦も着陸も簡単、海に不時着しても破損したり沈んだりしない。B-24は男の飛行機だった。頑として甘えを許さない。厄介で、注文が多く、操縦はほとんど超人的な強さが必要だった。「任務を終えて帰投したとき、あまりの疲労に、文字どおり乗組員に操縦席から引っぱりだしてもらわなければならない」「あの難物は機体のバランスがとれないし、操縦中、ずっとすごい力が必要だった」B-24はアメリカ陸軍の爆撃機で最大で爆弾搭載量はB-17の2倍以上あり、長い距離を飛べ速度も早かった。取り扱いは極めて難しく、密集編隊を組んでドイツへ向かう前に衝突やら離陸失敗やらで多くの機体が10人の乗組員とともに一瞬で消滅してしまう。なにせ、爆撃に行く時は満タンのガソリンと大型爆弾を満載してやっと飛んでいる状態なのだ。その恐怖ははかりしれない。

B-24は戦闘機のように離陸しない。ごろごろと動きはじめてからなかなか上がらない。滑走路は非常に短かった。のちの基準に照らせば明らかに危険だった。が、その末端で機体はすれすれに浮上する。車輪をしまわないと速力が出ず浮上できない。早く車輪をしまうと失速して頭から地面につんのめり爆発する。しかもそれがしばしば起きる。樹木の高さで2kmくらい飛んでようやく浮力を得る。上空に上がれば密集編隊を組むために1時間くらい旋回する。その間につぎつぎとB-24が集まってきて上下左右に3機ずつの編隊を組んで行く。それもかなり危険だ。ガソリンと爆弾を満載してよろよろ飛んでいる飛行機が数百機も密集しているのだ。とうぜん人為的なミスで接触事故を起こすと数機が巻き添えを食って爆発あるいは墜落する。人がバラバラと落ちて行くのを目にすることになる。

飛行中も危険に満ちている。上空3000メートルから6000メートルを飛行して行くのだが、暖房装置がしっかりあるわけではない。マイナス20度からマイナス50度の世界だ。さらに、あらゆる隙間から冷風が吹き付ける。しかも隙間だらけの構造になっている。ぶ厚い防寒具を着込んでの作業のため、うっかり金属にさわると凍傷をおこす。酸素も欠乏していて判断も狂うのだ。8時間ちかい飛行では、排泄もしなければならない。「乗組員は、戦闘での負傷で不具になるよりも、凍傷で不具になることの方が多かった。どこかが濡れていたり汗をかいたりした状態で搭乗すると、あるいは攻撃されたときにひどい汗をかいたり、航空服の中に小便を漏らしたりすると、手や足が、あるいは身体のその他の部分が凍り付いてしまう。」

恐怖はドイツ上空でマックスになる。ドイツ軍の高射砲の弾幕を編隊を崩さず通り抜けなければならないのだ。ドイツ軍高射砲(88)は、上空で爆発するとその破片を撒き散らす。それが弾丸のようにB-24の機体を打ち抜いて行く。機体はアルミニウムでできているので簡単に穴があく。エンジンが火を吹き、ワイヤーが切断され、人間の体を引き裂いて行く。一瞬にして首がなくなったりもする。

エピソードとして、ドイツ軍が捕獲したB-24を編隊の中に紛れ込ませて飛行ルートなどの情報を送るという作戦のことや黒人だけで編成されたP-51のタスキーギ航空隊の話が出てくる。

ドイツ軍が捕獲したB-17やB-24を使って編隊にまぎれこます「KG-200」(J・D・ギルマンとジョン・クライブ)という小説がある。今度、とりあげてみたい。

また、タスキーギ航空隊は、ジョージ・ルーカスが「レッド・テイル」という映画にしている。当時、黒人は劣等人種とされ軍隊に入っても食事や洗濯しかさせてもらえなかった。だから第二次世界大戦の映画では黒人が出てこない。これに対して反対する上院議員の命を受け、黒人だけで編成する戦闘機部隊が作られた。それがタスキーギ航空隊だ。敵に目立ちつようにわざわざ尾部を赤く塗ったP-51に乗っていた。当初は重要な任務を与えられなかったが、攻撃を受けボロボロになっている重爆撃機を探し献身的に護衛にあたっていたのでレッド・テイル・エンジェルとも呼ばれた。そして、極めて紳士的だったという。ジョージ・ルーカスは20年以上かけてこの映画を作ったが、出てくるのは黒人ばかりということで配給もうまくまわせず、資金もすべて自前であったという。残念ながら日本でも公開されていない。

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コンソリデーテッドB-24 リベレーター
アメリカ陸軍の爆撃機。リベレーターの意味は解放者。飛行艇を得意としていたコンソリデーテッド社が開発したため肩翼式の翼をもった4発爆撃機。航続距離を伸ばすために細長い直線翼をもっている。また、胴体はB-17に比べると貨物機のように太い。爆弾倉は開けた時に抵抗を減らす巻き上げシャッターになっている。巨大な機体のわりに最大速度、航続距離、爆弾搭載量などはB-17より優っていた。しかし、被弾に弱く折れやすい翼や薄っぺらな機体のため総合力生還率ではB-17の方が高かった。生産数は2万機近くになり、アメリカの軍用機で最も多い。

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ワイルド・ブルー
スティーブン・E・アンブローズ 著
鈴木主税 訳
アスペクト 2002年


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