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上越立ち止まりスポット2(春日山)


5月中旬、コロナ禍の制限がゆるんですぐの頃、長女と春日山に登った。
新緑の春日山は海からの風を受けて気持ちが良かった。いつも春日山神社の駐車場から階段を登るのだけれど、階段横に違う道があることを長女に教えてもらった。なんと犬の散歩の時に引っ張っていかれて発見したというのだが・・・。

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黄色の矢印方向に進むと階段を登らずに春日山神社に出られる。

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登る前に山城の全体図を確認。御屋敷、右近畑を通って小川未明の碑のある広場に着く。

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小川未明は、児童文学者。明治15年(1882)に高田で生まれ、早稲田大学在学中から小説などを発表。童話などを多く書き、「日本のアンデルセン」「日本児童文学の父」と呼ばれ、浜田広介と坪田譲治と並んで「児童文学界の三種の神器」と評されている。旧高田藩士だった未明の父は上杉謙信の熱烈な崇拝者で春日山神社を創建するため奔走した。そのため春日山神社の宮司は小川家が担っている。

神社内には小川未明の童話「赤いろうそくと人魚」像がある。

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春日山神社からは15分程度で頂上に着く。数年前に大雨で土砂崩れがあり、一部通行止めになっている。本丸からは上越市街が一望できる。上越教育大学もすぐそこだ。

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二の丸あたりには苧(からむし)が群生している。植生を昔の姿に戻そうという活動が続いており、見慣れていた山の形から変わってきた。

苧(からむし)は、イラクサ科の多年草。苧の茎の皮から採れる繊維は麻などと同じく非常に丈夫で衣類に使われた。繊維にしたものを青麻(あおそ)という。中世越後は日本一の苧産地だった。上杉謙信は衣類の原料として青苧座を通じて京都などに積極的に売り出し、莫大な利益を上げた。上杉氏が会津、米沢と移ったが苧栽培の文化もついていった。越後上布や小千谷縮の材料でもある。

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春日山神社横の高台に上杉謙信の像が建っており遠方を睨んでいる。川中島の武田信玄を見ているのだと聞く。

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春日山神社から駐車場にまわる道の崖下には昔から土俵がある。夏に行われる謙信公祭ではこの土俵で奉納相撲大会が開催されていた。小学生の時にこの相撲大会で優勝したというのが私の父の自慢だった。戦前の話だ。

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奥に丸い土俵が見える。




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