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まなびの隙間 その後のその後

おはようございます!今日は 空を見上げながら考えること


その後の その後

あれから 一度だけ 母は 朝 ベットで寝ていた 
… 寝てくれていたのかもしれない

その後 一気にトイレの認識がおぼろげになった

わたしは かつて 父の最期を一緒に過ごすため
仕事の異動願まで出して単身赴任先から戻った夫に
「もう十分やれることは やったのではないか」と切り出した

息子にとっての母

夫の家族は よく旅行に一緒に行っていたようだ
父も立派な人だったが きちんとしてないと嫌な母の発言力は大きかった

息子が親を思う気持ちは 優先しなくてはと思っている
もちろん 優しい気持ちだけでなく、
地方特有の「親は子どもがみるのが当たり前」の世間のプレッシャーはまだまだある

身体介護だと自宅で見ることは チームプレイでなんとかなりそうだけど
外部サービス全面拒否の
足腰のスーパー元気で 混乱すると制止がきかない母が
今後どんな状況になっていくかは 想像がつかない

決断

幸い寒暖差の激しい 今の時期は 空き室が出やすい
それでも グループホームの空きを やっとみつけた

なんて言って 連れていくのか

外部サービスさえ受け入れない母 夫は気にしていた

しかし 最近 「ここはトイレはどこにあるの?」と
よそに来ているような口ぶりのことがあった

(ものすごく勝手な見方だが)
自宅への執着も とれ始めてきているのではないかと感じた

はらはらの入居準備

わたしは いつもと違うようにはしたくなかったが
前日 入浴はどうしてもさせたかった
今週 トライしてきて一度も成就していない

夕方、着替えが必要になったタイミングでなんとか入浴
髪も念入りに手入れし、全部名前に入ったものに着替えることができた 
ずっと話しかけ 夕食を食べ始めるまで そばを離れなかった
入浴後は混乱し 食事をとらないことが多かったが 
今回は時間はかかったが混乱せず 食事をとり眠ってくれた
(お義母さん ありがとう)

入居当日 朝寝坊している母を起こし 朝食を渡す
寝違えて首の痛みを訴える母にロキソニンテープを張りながら
病院に行こうと 声をかけた

ゆっくり時間を置きながら 準備を整えた
施設に預けるうしろめたさか、離れる寂しさか、夫はしずんでいる

グループホーム入居

「検査入院になったから」と話し 居室に入る
自分のものでいっぱいの居室をみて 
「人のものを勝手に持ってきて!これだから開業医は!」
よくわからない理由で怒りはじめた
「入院になるから なれたものがいいと思って私が昨日準備したんよ」
「こんなもの 着ないからね!」
と言いながら 時間がたてば 自分から室内履きを履き 
食堂に行った

その後 契約を済ませ 私たちは帰宅した
夫は ほかの方と楽しそうに話している母の声にほっとしていた

翌日 深夜の散歩

翌日の深夜 母が外に出てしまったようだ
トイレの失敗から混乱し 知らないはずの従業員用の出入り口から外へ
「お義母さん 恐るべし」
警察も出動しての大捜索だったが 1時間半たって
自宅待機していた私は 家の固定電話を取ることになる

自分でローソンに行き 自宅に電話をしてほしいと
自分の名前と電話番号を言ったらしい
(以前も帰れなくなったら、同じようにローソンに迎えに行っていた)
友達とカラオケをしてきたと話し、混乱もなく施設に戻り 就寝した

夫や私の名前も自宅の電話番号も言えて クリア?な状態でも
帰る先が自宅でなく 施設であることに
全く違和感を感じてない様子をみて 夫は安堵した


  施設のみなさま よろしくお願いします




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