『子どもが喜ぶことだけすればいい』ブックレビュー。

石ころ家にてまたコロコロと本の回し読みが続いている。今回は、妻の母より貸していただいた。「友人の○○さんからお借りしたものなんですが、、、」・・・ん、あなたも借りた側なのか。回し読みの範囲が広がりを見せている。
冒頭の一言にすべてのメッセージが詰められていた。

子どもは、かわいがられるからいい子になります。
かわいい子だから、かわいがるのではないのです。

子育てにヘロヘロで思わず声を荒げてしまっている世の中の親だけでなく、一通り問題なく育児をこなせているように見える家庭にも共通して届いてほしい一節だ。印象に残ったところ、記していきます。

『過保護』はいいが『過干渉』にならないように注意。過保護とは子供が望むことをすること。過干渉とは親が望むことをさせること。(P20)
過保護でダメになる子はいない。(P40)
『母性性』はこのありのままを受け止め、許容する力。『父性性』は社会的な義務や責任を教える力。どちらも育児の上では必要な力だが順番が重要。まずは母性性を。受け入れられた子は受け入れることができる。(P53)
自信(自分を信じる力)を持つにはその子がまず親から「信じられている」ことが必要。親は「そのままでいい」といってあげること(P61、66)
人と交わる(=信じる)力を育てよ(P74)
家庭は安らぎとくつろぎの場所であれ。社会からのシェルター的な役割であるべき。(P79)
叱ると注意することは異なる。「どうしてそんなことをしたのか」という問い詰め(=叱る)ではよくないが、「~~してくれると嬉しい」という声かけ(=注意)はOK。(P82)
子どもは勉強ではなく、遊びから創造性や道徳性を学ぶ(P110)
ありがとうを子供に伝えられる大人であれ(P114)
自立と孤独をはき違えるな。一人でなんでもやること(=孤独)がいいのではなく、人と共感し合い強調し合って生きることのできること(=自立)こそがいい(P120)
いいところを伸ばすべし。正しいことを容量多く教えすぎると、薬と同じで副作用が起きる(P148)
おむつ替えの時は声をかけること(P149)
子どもの要求はできるだけ聞いてあげるべし。おもちゃ屋で駄々をこねている子どもは大抵これが足りない。(P158)
叱る時は親の役割分担を。父が怒れば母は励まし役、母が怒れば父が励まし役になれ(P168)

親が教えたい(やらせたい)ことを力任せに刷り込むのではなく、とにかく無償の愛をもって接することが重要と。だからこそ、受け入れられて信じられた子どもは、自分自身を受け入れ信じることができ、それが最終的に他者を受け入れ信じることに繋がるということ。非常に納得感がある文脈だった。148ページの薬の例えがよかったね。響いたよ。正しいと思った指導が必ずしも子どもにいい影響になるとは限らないからね。僕も過去に『プラレール』の片づけの一件で先走ったことがあるからね(https://note.com/ishikorokuki/n/n491181cd2024?magazine_key=md1ae3d4a9cd8)。子どもをもっと信じてみよう。
あと、ところどころは結構まんざら僕の育児も間違ってなかったと思うよ。白玉が声をかけてきたら応答するようにしているし、抱っこなんて白玉が嫌がるまでしてるから、愛情は伝わっているでしょう(笑)風呂でもおむつ替えでも常に話しかけているし、寝かしつけで急に話し始めた時は最後まで目を見て聞くようにしている。実際、一度もおもちゃ屋で駄々をこねられたことはないな、今のところ。
あと、この本には隠れたメッセージに『親はもっと軸をもってしっかりせよ!』ってことも含まれているんじゃないかな。だって信じられていない子どもは他者も信じられないんでしょ?てことは、信じられぬまま親になってしまっている人に関しては、既に他者を信じられていないわけだから、当然子供を信じることができない。でもこの本では『子供を信じよ』と説いている。つまりやはりいかなる背景があろうと、親はそれを乗り越えて一歩前進しないと次世代を好転させられないわけだ。強く生きよう、もっともっと。
というわけで、『子どもが喜ぶことだけすればいい』も読破!早く妻の母に返して、ご友人に返していただかなければ(笑)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?