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N君のメランコリー  〜たくさんの自分を抱えるひきこもりの葛藤〜

<多くの感情の塊を胸に秘めてビクビク…>


 N君という人がいます。

 N君は十年以上のひきこもり経験を持ち、今もまだ悩み続けています。

 そんなN君にはある特別な症状というか性癖というか、がありました。

  それは、いくつかの独立した感情の塊のようなものが心の中にあることでした。独立した、というのは、ようするにあまりにも異なった、時には相反する価値観というか、感情というか、感覚というか、そういったものがあって、時々交代して表に出てくるのです。

  こう説明すると、多重人格というふうに誤解する人もいるかもしれません。しかし、どうもそうではなさそうです。

 一応、感情の塊が頻繁に交代しても、記憶は連続しています。ほとんど途切れません。つまり、本人も周囲も、N君は同一の人格の同一人物と認識しているわけです。

  でも、どこかおかしいのです。どうしても違和感があるのです。

  感情の塊が交代すると、まず「楽しい、つまらない」という感覚が突然、変わってしまうことがあります。

 ちょっと前のN君なら、確実に楽しんでいるはずのことなのに、今の目の前にいるN君は、まったくそんなことはありません。楽しめていません。それどころか、完全に無関心だったりします。

  かと思うと、ふだんなら決して「いい」と思うはずがない、むしろ、心の底から憎んでしまうような「嫌な」話なのに、感情の塊が交代すると、そんな本来の自分の心に全く関係なく、「嫌な」ことを「いい」と思い、楽しんでしまいます。

 ところが、少し時間が経って、ほとぼりがさめてくると、とてつもなくそんな転向じみたことをした自分の振る舞いや心を後悔し、自虐的になってしまうこともあります。

  もしかしたら、このように丁寧にN君の心の葛藤を書いて説明したとしても、「そんなの誰でもあるよ」と思う方もいるかもしれません。

 それは間違いではないのかもしれません。たしかにたまにこのような心のうつろいを感じる人もいることでしょう。

 たしかに僕が今ここで紹介するN君の話は、多重人格の話などではありません。

 しかし、だからといって、決して「普通」の範疇ではとらえられません。

 N君の話は、放置しておくと、最終的にはある種の自壊というか、破滅というか、そういった結末へと導かれてしまう恐れもある話です。だからこそ、本人も周囲も特別に注意やケアが必要です。

  とにかく、いくつか実際に僕が目の前で垣間見た実例を紹介して、判断していただきましょう。

 いや、判断などしなくてかまいません。

 長期ひきこもりの胸のうちは、とても複雑で、大変なのです。そういうことの断片でいいので、ほんの少しわかっていただけたら、それで十分です。

 この話は個人が特定されないように、物語風の体裁を取っていますが、エピソードのそれぞれは、原則的にはほぼ事実のノンフィクションなのです。また、僕は20年余りにわたって長期ひきこもりの訪問支援やカウンセリングなどを続けていて、それでここで紹介するようなエピソードに直面してきました。

 必ずしも伏線を回収したり、オチをつけたりはしませんが、本当にあった話として、読んでいただければ幸いです。

<皇軍に敗北なし!>


 N君は、今はやりの(?)ネット右翼と言われる論調に心酔する一面を持っています。

(しかし、N君は、自分が低級で卑近な存在に分類されるのを極度に嫌がります。世間の各所に存在する様々なカーストの最底辺とみなされるくらいなら、そんな組織や社会、集団から静かに逃げ出して、周囲を無視して、積極的にひきこもります。

 N君はプライドが高く、自己愛〜自分だけを最優先にする感情〜がとても強いです。ここでは、一般の人がわかりやすいように、具体的な実例を紹介させていただきなら、N君の苦しい胸の内や、バランスをとりたくても取れない葛藤を、ほんの少し理解していただければと思います)

 N君は、ふだんは家にひきこもって、ほとんど現実的な社会活動をしていないため(なにせほとんど外出もしていないし、友人もいないのです)、それでネット右翼という呼称を使うのは、右翼の方々に失礼となるでしょう。実際のところどういう表現を使ったらいいのか、わかりません。

 けれど、とにかく世間でいうところのネット右翼的な考えを持っています。

 でも、なんらかの思想信条の確たるものが、必ずしもN君の頭に存在しているわけではありません。

 N君は、かなり偏差値の高い大学卒で、とてもインテリです。玄人顔負けの理論武装を行っていますが(ただ実体験は少ないので、経験をもとに議論を挑まれると弱いです)、一方で読書や勉強がかなり嫌いなので、正面からの正々堂々とした議論は好みません。というか、徹底的に避けます。

 というのも、議論に言い負けたり、あるいは相手の強い主張に気圧されてしまうと、何もしゃべれなくなるからです。そして、とても気分が悪くなってしまいます。

 自分の考えや意見に異論や注文をつけられると、まるで自分の全人格が完全否定されたような苦痛や屈辱を味わいます。

 普通に気分が悪くなるレベルではありません。

 むしゃくしゃするあまりに、ちょっと否定されたり、無視されただけで、本当に死にたくなってしまうほどのうつ状態に陥ります。

 しかも、もともとN君は、ストレスを発散するのが不得意なので、いつまでも感情のしこりを胸の奥に抱え続けてしまいます。そして、一週間、二週間、時には一年、二年たってから、突然、怒りが爆発したり、ぶち切れてしまうことがあります。

 だから、正面からの議論はいつも避けるし、そんな状況から逃げだそうとする傾向があります。でも、ネットの片隅の掲示板にちょこちょこ自論を書き込むこともあります。

 なぜ右翼的な主張になるかというと、その一つの理由は、自分自身の内面が実年齢に比べて十分に育っておらず、成熟していないからです。

 このため、自我がかなり不安定になるのですが(すぐ不安になってしまうのですが)、人と関わってきた経験がとても少ないために、なにか適当な言葉でうまくごまかしたり、無難にかわして乗り越えることができません。

 だから、気づいてみたら、なぜか上から目線でムキになり、相手に対して攻撃的になることがあります。

 例えば、ガールフレンドやボーイフレンドでもいれば、そんなパートナーの思いやりや存在感で、自信をちょっと獲得でき、不安になりにくいです。自分の持論をネットで否定された程度では、大崩れしないでしょう。

 しかし、孤立して、なにもすがるものがない場合、それに誰も味方や理解してくれる存在がいない場合、なんとか勇気を振り絞って、頑張ってひねりだした自らの持論を、バカにされたり、全否定されると、すぐにいたたまれなくなってしまいます。

 時には、その瞬間、ブチ切れて大荒れすることもあります。

 また自分がすがるものが何もない状況で成長したとします。たまに、自分自身と、自分の属する集団の区別があまりつかなくなる現象が生じます。つまり、自分自身の現状がひきこもっていて、自信がないときに、自分自身が属する「国」や「民族」がバカにされたり、侮られたと感じると、自分自身が即否定されたような錯覚に陥るのです。

 だから、自分の属する「集団」や「国」や「民族」といったものは常に強くなければいけない、一番でなければいけない、敬意を払われなければいけない。そういうふうに、無意識のうちに思考してしまいます。

 例えば「日本」がすごいと海外で言われると、なぜか自分が誉められたような気になってしまいます。

 N君はもともと、中国や韓国が大嫌いなのですが、その理由は、中国や韓国が日本をおとしめたり、辱めたりするような言動をとっていると、信じてやまないからです。ネットを見ていると、なぜかN君の目には、そういう論調や情報しか目に入ってきません。(これは自分がふだん見ているサイトや、それに似通ったサイトばかりが、優先して表示されてしまうからですが)

 そうなると、中国人や韓国人にもいろいろな考えをする人がいる、日本製品や日本文化を好きな人もけっこういる、などのニュースや情報は目に入りません。ひたすら相手国や相手国民を全否定する思考や傾向に陥ってしまうのです。

 気づいてみたら、N君はネット右翼的になってしまっていました。

 そして、N君は反日とされる国へ旅行に出かけることに対しては、極端に恐怖していました。いったんそういった国へ行ったら、日本人であるN君は殺されてしまうのではないか、無事では済まないのではないかと、真剣に心配します。

「一方で、日本がほめられたり、評価されると、自分があたかもほめられたり、評価されたように感じて、それにともなって自分自身の評価やランクが上がったように感じることもあります」と、N君は言います。

 こんな偏狭にみえる性格のN君が、いざ中国や韓国へ実際に行ってみたら、どうなるでしょうか。そんな実験をしてみました(もちろん、本人の同意のうえです)。

<はしゃいで羽目をはずす!?>


 N君にとって、友達と一緒に海外旅行に行く機会はまずありません。なぜなら、ふだんは長期のひきこもり状態にあるからです。家からほとんど出ませんし、せいぜい近くのコンビニに夜間買い物に行くくらいです。

 そんなN君と一緒に韓国旅行へ行く機会ができました。

 当時は日韓関係は最悪でした。双方に反日や嫌韓の雰囲気があふれていました。N君としては、当然、嫌韓の鎧を全身にまとって、心も体も凝り固まりました。

「いわば、戦場に出向くようなものですから!」(N君)

 いや、さすがにそれは違うのだけれど。

 しかし、一方でめったにない海外旅行ということで、一部の心のうちは実はウキウキ、ワクワク気分だったそうです。

「正直、変な高揚感もあって、異様な気分でした」

 N君はトラベリングハイの状態にありました。日常常用している抗うつ薬については、旅行中はかえってハイになりすぎてしまうので、あえて服用する必要がないほどでした。(N君の自己判断でやっていましたが、もちろんこれは、本来なら勧められることではありません)

 N君は気分が高揚したこともあって、韓国へ着いた途端、はしゃぎだしました。

 まるで小さい子供のように。

 自分の心を守るために、日頃N君は自分の心を分厚い壁のようなものを作って守っています。そしてそんなN君の心の壁の奥には“本当の自分”のような存在があって、それはインナーチャイルドとか呼ばれるものでしょうか。そんな“本当の自分”がウキウキ楽しくなってしまったようなのです。

 ふだんはN君の“本当の自分”は自分の心の壁の奥底に潜んでブルブル震えて警戒しているはずなのに、それが心の表面の方にまで自分からでてきて、積極的に楽しもうとしていました。

 ある日、N君と僕らはバスに乗って、韓国軍の武器や戦車、戦闘機などを陳列する博物館へ出かけました。N君は、軍隊のことがとても好きでした。そんなゲームも日頃していました。

 その博物館の入り口のホールのところに、大きな島の写真パネルがあつらえてありました。

 なんと、それは韓国では独島と称し、日本では竹島と呼ばれる、絶海の孤島の巨大パネルだったのです。日本と韓国の間で、領有をめぐって争いになっているエリアでした。

 「独島は韓国の領土です」というようなコリア語の言葉の大きな看板が掲示されており、その下の独島のパネル写真の正面で、韓国の国旗を持ったまま、記念写真を撮ることができます。一種の政治的なプロパガンダのコーナーでした。

 ふだんのN君のポリシーからすると、そんな独島のパネルの存在など、見たくもないはずでした。日本を冒涜しているし、ともすればそれは自分自身をも蔑むことです。許せないはずでした。

 しかし、この日のN君は全く違いました。

 子供のように無邪気で明るくはしゃぎたい気持ちが強かったのです。とにかくはしゃぎたいし、目立ちたい気持ちでいっぱいでした。N君はすっかり童心にかえっていました。

 そこで、N君は自らの意志で思わずパネルのところまで歩み寄って、スタッフからの誘いの言葉のままに韓国の国旗を受け取りました。そして、そのまま独島の巨大パネルの前で、韓国の国旗を手に持ったまま、あろうことか記念写真を撮ってしまったのです。

 満面の笑みを浮かべたまま。

 日本語を話しながらの記念撮影となったので、さすがに現地の人もN君が日本人と知って、ちょっと怪訝そうな顔というか、戸惑ったというか、そんな複雑な表情を浮かべていました。

 しかし、N君はそんな周囲の戸惑いを無視して、満面の笑みのまま、大声でこう僕に言いはなちました。

「石川さん、僕の勇姿を石川さんのカメラにもおさめてください!」(もちろん、日本語です)

 結局、僕も仕方なくN君の写真を撮ったのは言うまでもありません。とにもかくにも、N君は大満足でした。

 N君の心の中で、子供のように自分が目立ちたいという気持ちや、楽しみたいという気持ちが強くあって、それが自分のポリシーであるネット右翼的な思考に勝ってしまったようです。

 自己愛の強い人は、目立ちたい、注目されたい、という気持ちを心の奥底に強く抱いて、それを隠していることがあります。

 もしかしたら、この時のN君は、瞬間的に、自分の心の奥に潜んでいた、とにかくはしゃぎたい自己愛に支配されていた…のかもしれません。

<理知的で、優しいジェントルメン>


 N君は非常に知性的で、優しいジェントルメンの顔も持っています。

 N君は、もともととても知能が高く、頭はいいです。少なくとも、僕はそう感じています。頭の回転の速さに関しては、おそらく僕をはるかにしのぐでしょう。(でも、決して器用ではないのですが)

 優しいモードのときは、女性的と言ってもさしつかえないほど、優しい、こまやかな配慮を示すことがあります。

 例えば、ひきこもりの人が集まる会合に、ある人が初めて参加してモジモジしていたとします。優しいモードのときのN君は、そんな人を見過ごせません。

「初めて来られたんですか?」(N君)
「あ、はい…」(相手)
「緊張されなくていいですよ。お茶でも飲まれますか?」(N君)
「…どうもありがとう…」(相手)
「お礼なんていいですよ…どちらからいらしたんですか?」(N君)

 というようなやりとりを、よくします。

 相手が、リラックスして、その場に慣れるよう、一生懸命にもてなそうとします。

 ただし、このモードは長時間は続きません。ほんの10分ほどすると疲れてしまうようで、言葉をうまくつげなくなってしまいます。すると、いつのまにかN君は黙ってしまいます。笑顔は絶やさないのですが、心なしか全身に力が入って、硬直しています。

「自分も初めての場所へ行くと、緊張してしまうので、そういう他人を見ると、ほおっておけなくなっちゃうんです。だけど、相手をしていて、途中でどう話そうか、迷いはじめます。いったん迷い始めると、なんか全部、機能停止しちゃうというか、何もできなくなっちゃうというか、頭の中が真っ白になっちゃうんです」(N君)

 サービス精神やボランティア精神は、本来、旺盛なのだが、長時間続かない。そして、いったん途中でミスすると、それは致命的な命に関わるほどの重みを持つ失敗=トラウマとなります。そう思えてしまって、しょうがなくなります。

 もうそうなると、急速に後悔の念が心の中を支配し始めます。

「なんてバカなことをしたんだろう」
「ああ、これでももうボクは嫌われてしまった」
「なんて自分はダメ人間なんだ」
「ボクのような人間は、世界最低なんだ」

 次々とそんな自虐的な考えや言葉が頭の中に巻き起こってしまい、最終的にはいたたまれなくなってしまいます。気づいてみると、ついにはN君はその場から立ち去ってしまいます。

 立ち去る時の表情は、たいてい固まった笑顔でした。

 しかし、家に帰ったら、そのまま脇目も振らずに自室のベッドに飛び込み、一人で布団の中で涙を流すのだそうです…。

<キレたら、止まらない>


 ある時、僕はN君を誘って1ヶ月ほどの海外旅行へ出かけました。N君と一緒に東南アジアのタイ東北部に出かけたのです。

 この時のN君は、当初は不安でトイレから離れることができない、極度のトイレ恐怖の状態でした。だから日本から大量の大人用紙おむつを持参しての旅でした。

 しかし、中国、ラオスと巡って、タイへいたると、もはやトイレ恐怖はほとんど克服していて、紙おむつもとっくの昔に、全部処分していました。

 そのN君と、タイ北部の少数民族の村へ出かけました。

 タイひが北部に住む山岳少数民族のカレン族の一部に、女性が首に多くの金属製のリングをはめて、首を長く見せる部族があります(よく首長族と言われていますが、こういう呼称は当然、よそ者の発する言葉で、当人たちは決して喜んではいません)。僕たちはその村を訪ねました。

 そこで、たまたま露店を営むカワイイ少女に出会いました。

 N君はたどたどしい英語を駆使して、一所懸命に彼女との会話を楽しんでいました。外国人観光客がよく訪れる村だけに、少女はけっこう流暢な英語を話せました。

 N君が必死に話している時に、途中、横から一眼レフカメラを首に下げた、金髪の若い男性が姿を現しました。フランスから来たというそのイケメンの青年は、流暢な英語でN君と少女の会話に割って入りました。

 たどたどしいN君との会話より、少女とフランス人青年との会話のほうが、当然盛り上がりました。N君は二人の会話についていけず、その後5分ほどで微笑を浮かべて黙りました。そして、おもむろに立ち上がって、こわばった笑顔の会釈をして、その場を立ち去りました。

 N君は穏やかではありませんでした。その目は血走っていました。

「このやろう、このやろう。俺はなんてダメな男なんだ!」

 N君は村はずれにある小さな崖のたもとへ一目散に走りよって、悪態をつきながら、ひたすら壁を拳で殴り始めました。何度も何度も。

 悪態の対象は、フランス人の青年であり、やがてはカレン族の少女であり、日本社会や西洋社会、ついには世界人類全体を呪い始めました。

 気づいてみたら、N君の両手拳に血がにじんでいました。

 さすがに僕はN君を止めました。すると、

「石川さん、なんで僕を止めるんですか。石川さんが急に遠い世界の遠い人のように思えます…」

 N君は寂しそうにそうつぶやいて、再び無言で崖を殴り始めました…。

<準備に没頭して、潰れかかる>


 N君は、かつて脱ひきこもりしつつある青年の一人として、時々講演をする機会がありました。

 N君は実は講演がかなりうまいのです。

 僕も年に何回か講演をする機会はありますが、観客に受けるという点では、おそらく僕以上でしょう。

 一定の時間を与えられたら、きちんとその時間の中に話をおさめて、しかも効果的なユーモアを途中に取り入れて笑いをちゃんととったり、難しい話もていねいに簡単な言葉で解説して、観衆を魅了します。

 ある時、講演を終えたN君に聞いてみました。

「うまいね。今は30分の講演だったけれど、すごく好評だったじゃない。けっこう準備とかするの?」(石川)

 講演を終えたN君の顔をよく見ると、すっかり疲れ果てていたようでした。心なしかげっそりしています。そのままN君は静かにこう答えました。

「ええ、準備はしましたよ。たった一回の講演のために、1ヶ月前から毎日たっぷり5、6時間は準備をしました。睡眠時間は1日2、3時間ですよ。徹夜の日もけっこうありました。毎日、1日も欠かさずです。原稿をきっちり書いて、何度も修正して、笑いが必要そうなところにはちゃんとユーモアを入れました。そして、実際にストップウォッチではかりながら、おそらく百回以上は原稿を読んで、完璧に覚えましたよ。
 その代わり、今はもうヘトヘトです。でもホッとしました。これから一週間はずっと寝続けると思います。メールも、電話もできません…」

 N君はいつも魂を削りながら、講演の準備をしていたのです。

<N君、日系人をよそおう>


 N君はよく「自分が女の子に絶対、モテたりしない。モテるわけがない!」と言います。

 N君は、中肉中背。その容姿は、ちょっと彫りが深く、ジャニーズっぽく見えないわけでもありません。つまり、僕から見ると、むしろハンサムなほうです。しかし、

「ひきこもりだからもうダメで無理なんです。自分は最低なんです!」

と頑固に言いはってゆずりません。

 自己評価がとにかく低いです。自己肯定感のへったくれもありません。突き詰めれば、とにかく自信がないの一点張りです。

「自分でどんなに頑張っても、誰か通りすがりの人が、自分を嘲笑ったりすると、もうダメなんです。通りすがりの人がいきなり僕を嘲笑うはずがない、ですって? いや、そんなことはないでしょう。僕の目の前で笑顔を浮かべた人は、決まって僕を嘲笑っているんですよ。確信しています。僕の自信についてですか? 持っていないですよ。自信は、誰か他人に承認してもらわないと、なかなか身につきませんよね。一人で頑張っても無駄なんです…」

 ただ、そんなN君が一念発起。とにかく彼女をつくりたいと真剣になったことがあります。

 とにかく、いろいろ悩んで試行錯誤した挙句、驚くような、というか呆れるしかないというか、はちゃめちゃな方法を考えだして、トライしました。

 まずN君は国際空港がある、千葉県成田市の市街地まで出かけました。ハンバーガーショップに入ります。

 そこで片言の日本語しか話せない風を装って、女の子に声をかけました。

「ワタシ、キタばかりデス。ブラジル、ネ。ニホンゴも、ニホンのコトもよくワカラナイ。いろいろオシエテ、ネ」

 なんと日系のブラジル人のふりをして、女の子をナンパしはじめました。

「結果は意外と好評でした。外人さんのふりをすると、なぜか萎縮しないで女の子に声をかけられたんです…成果、ですか? さすがに今回はうまくいきませんでしたが、もう少しでした」

 今回は?? N君はどうもめげていないようです。このやり方で再びチャレンジする気満々でした。

 ある程度うまくいったとしても、N君は本来、生粋のコテコテの日本人です。いつか、でも相当早い時期に、いろいろ齟齬が生じて、うまくいかなくなってしまうかもしれません。

 まあ、でも今はまだ言わないでおきましょう。

<はかりごとが大好き>


 繰り返しになりますが、N君はいつも「自信がない」と言います。

 そして「他人や世間にどう思われているかが、一番大事です」と言います。

 少し昔にはよく、インターネット上などで、ちょっとした騒動を引き起こしていました。そのほとんどは、N君のしわざだとは気づかれていません。

 世間の人は、だいたいN君ではない、別の他人のせいと疑心暗鬼していたようでした。

 例えばこんなことがありました。僕が被害にあった件でもあるので、少しおおっぴらにしてもいいでしょう。

 僕の本業は物書きでもあるのですが、ある日、出版社の担当の編集者から「妙なことがあるんですけれど」という連絡を受けました。

 僕の引退届が出版社に届いたというのです。

 ようは「僕はもう仕事をやめて引退します。今までありがとうございました。これまで使ったメールアドレスはもう使わないので、以後は××@⚪︎⚪︎.ne.jpに連絡をください」というようなメールが、編集部の公開アドレスに届いたというのです。僕の住所、氏名、電話番号も書かれていました。

 結論から言うと、それはN君のいたずらでした。

 ちょっと調べれば、すぐにわかるものです。N君はネットカフェからフリーアドレス(僕のメールアドレスと1字しか違わないまぎらわしいアドレスを作って使っていました)を使って、そのメールを送っていたのです。

 僕はN君との付き合いは長く、いろいろ支援してきました。

 N君もふだんから感謝の意を表してくれています。自立するにあたって、恩人と言えなくもありません。なのに、N君はなぜそんなことをしたのでしょう。

 N君はこう言ってくれました。

「石川さんだからです…」

 さらっと説明すると、N君がこういうことをした理由は3つあったそうです。

 一つ目は僕のことを好きで感謝していたから。

 二つ目は最近、ストレスがたまって、むしゃくしゃすることがあったから。

 三つ目は、僕が他の人に関心を向けてほしくないから、です。

 さらにもう一つ加えれば、僕が親切で優しい人だったからだそうです。

 N君はとても臆病なところがあります。対人関係でストレスを抱えても、それをストレスを加えた相手に直に返すことなど、怖くてとてもできません。

 だから、N君が攻撃する相手は、いつも自分に優しく接してくれて、N君自身に危害を加えることのない数少ない他人です。だから僕しかいないというわけです。

 自分に優しくしてくれる人を攻撃してしまう、そんな性癖がN君にはありました。

 これは、少なからぬひきこもり気質の人にあてはまるし、実はそれ以上に実社会で何食わぬ顔をして、ちゃんと仕事をしていたり、家庭を持っていたりする人にも多くいたりします。

 N君は日々の暮らしの中で、よくストレスを抱えていました。しかし、そのストレスのはけ口というか、八つ当たりしてぶつける相手は、自分の肉親か僕くらいしかいないそうです。

 N君は泣きながら打ち明けました。

 またN君は、最近は調子がいいので、僕の関心がよりたいへんな状態のひきこもりの若者(N君とは別人)に向いて、あまり自分に向き合ってくれない、と感じてもいたようです。それで、僕の仕事量が減ったり、評価が下がれば、また僕はN君とより仲良く付き合ってくれると考えたようです。

 これを読んだ人は、N君はなんてひどい人なんだろう、と思うかもしれません。そもそもこれはれっきとした犯罪行為でもあります。

 僕がその後、N君との関係を断ち切ってはいませんが、決して単純に許したりしていません。

 ただ、これらはN君のある種の心理的な病気が巻き起こしたもので、その後数年かけて、N君はそれなりに改善し、今は一人暮らしを立派にしています。僕はそれでよしとしています。

 ただ、いつ悪い癖がぶりっかえしはしないか、心配もしています。

 好きだからこそ、攻撃してしまう…。もしかしたら、DV(ドメスティック・バイオレンス=家庭内暴力)の心理も、こんなものなのかもしれません。

 いずれにしろ、N君の胸の内の様々なパラドックスや葛藤の存在を、なんとなくでも感じ取ってもらえたら幸いです。だからこそ、こういった問題は、なんらかの解決や改善が必要です。

 僕はそんな仕事をしてもいます。

 もしこの文章を読んで、「そんな怖いやつらは、厳しく取り締まらなければいけない」と思った人がいたとしたら、もしかしたら、そんなあなたの胸のうちには、小さなN君が宿っているかもしれません。

 ご注意を…。

《注》最後に本書で紹介したN君は必ずしも一人の特定の人物ではありません。同じような性癖を抱えた、複数のN君の知り合いがます。彼らとの付き合いで起きたちょっとした出来事を連続して書き連ねました。特定の人物に迷惑がかかってはいけない配慮をしただけなので、ご容赦いただければ幸いです。

サポートしていただければ幸いです。長期ひきこもりの訪問支援では公的な補助や助成にできるだけ頼らずに活動したいと考えています。サポート資金は若者との交流や治癒活動に使わせてもらいます。