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香港にて

「離陸の瞬間は何度経験しても緊張する」
少し前にも飛行機に乗ったのに、そう感じたのが久しぶりなのは、今回の搭乗が1人だからだろうか。

1年前、2023年の4月末に日本に帰ってから丸1年、本当にほぼきっかり1年。
その間に俺は沢山のモノを失い、あるいは手に入れ、その度に移り変わる自分の感情をなすすべもなく眺めてきた。

ゴールデンウィークを利用して久しぶりに1人で海外に行く。
その旅先に香港を選んだのは、ただ航空券が安かった(往復35,000円)からなのだが、出発前から不思議な縁を感じている。

例えば去年帰国してから読み始めた沢木耕太郎「深夜特急」では最初に訪れた外国であり、最も熱狂した街として描かれているし、Tinderで知り合った女の子に教えてもらい、さっきまで読んでいた江國香織の「抱擁、あるいはライスには塩を」では長女の望が住んだ街として描かれていた。

それはもしかすると航空券を取ったことによって香港という言葉に対して敏感になっていただけで、俺の耳や目を香港が通った回数が特別多かったわけじゃないのかもしれないのだけれど。


今回の香港旅はいわばセンチメンタル・ジャーニーである。

それは、なんだかとってもみっともない行為のような気もするし、実はとても高尚な行為なのではないかという気もしている。

いい歳になってからの恋愛は、受けるテストを選べる試験のようなもので、自分の持っている知識を正しく見極め、然るべきテストを受ければ必ず受かるようになっていると思っていた。

そう、つまり出会い、いい感じなら何度かご飯に行ったり遊びに行ったりして、更にいい感じなら分かりきっている答え合わせをするものだと。

でも今回の俺は、自分の持っているモノを顧みず、つまり身の程知らずにも「受かりたいテスト」というだけで、受かる見込みなしにそれを受けに行った。
その結果が今なのだ。

でも、それはそれは素晴らしい日々だった。
自分の求める目標に向かって一心不乱に生きている毎日は、その目標に達することと同等、あるいは部分的にはそれ以上に素晴らしい体験であった。

夏になると高校球児に想いを重ねて感動する人がいると思う。
ただ真っ直ぐに夢に向かって走る存在の眩しさに、自分にもあったかもしれない青春の1ページをついめくってしまう。

そういう意味で俺は、この歳で高校球児そのものになったのだ。
白球を追いかけるように、あの子の白い肌を追いかけていた。
後先考えずグラウンドを駆け抜けるように、全力疾走で生きていたのだ。

到着した香港の街は雨だった。
そこに特別に意味を見出すほど酔ってはいないけど、それでも、人生の全てに意味があることを既に俺は知ってるので、今日は少し雨に濡れてもいいかなと思う。
目的もなくブラブラと歩いても、いいんじゃないかと思っている。

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