徳を積むということ

徳を貯めようと思ったら貯めれないのは、なんだかつまらない、貯金ができるから貯徳もできるだろうって思っていて、徳を宇宙貯金っていう人もいたり、(徳をさしてるか定かではないですが)楽しく、それならやりたーい!って感じで貯めれる人が増えたらもっと素敵な世の中になりそうだなーとか思ったりはします。

前回の記事に書いたのが、なんだかつまらない、と言うところに対して分かるなぁという気持ちもあって、もうちょっと「つまらなくない」ように頑張ってみる次第です笑

明恵とか空海とかきっと徳が深いんだろうとか、徳が積まれるとしたら赤ちゃんのオムツ変えるとかだろうとか書いたわけですけど、「積もうと思ったら、積めない」って話が、ちょっと不評だったかなと苦笑

今回は僕なりに「こうしたら徳が積める」ってことも、改めて書いてみたいなと思います。

ところで。

なんで徳を積むのか、何のために徳を積むのかっていうことなんですけど、「徳を積む」ってのはたぶん仏教的概念だと思いますが、仏教では「後生大事」とか「西方浄土」とかいろんな概念があります。

それで、僕の理解で、基本的に仏教で「徳を積む」っていうことは、「あの世に徳を積み立てておくと、来世が、いい人生が送れるよ」っていうのが基本線かなと。

ここ、結構大事なラインで「現世利益」なのか「来世利益」なのか、っていうことが一つあります。「今日いいことしたから、明日いいこと返ってくるといいな」って話じゃないってことです。

だから「徳を積んだら、いい人生が送れる」って話じゃないんですよね。「徳を積んどくと、来世の人生が楽になるよ」って話。

そもそも、仏教的概念でいうと「(今回)いい人生を送るために」する行為じゃない、っていうことです。

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でもまぁ、やっぱりいい人生送りたくないですか?僕は、今生で報われたいなぁ、とか普通に思っちゃう在家の人間です。

そうだとしたら、僕は「7つの習慣」に出てくる、「信頼残高」みたい概念を持ちながら生きるのもいいんじゃないかな、と思います。

これは「残高」っていうくらいで、まさに貯金のように貯めておくことができる、という話です。信頼の残高が高いほど、周囲も自分の要望に応えてくれやすかったりする、と。

日頃から部下との関係を大事にして、約束を守って、1日1日、部下との「信頼残高」を貯めていると、例えばどうしても緊急な事態があって「おい、今日中に絶対Aをやってくれ」と命令し、部下が「なんでこんなことやらなきゃいけないんですか」と反論してくる。

そこで信頼残高が高い関係であれば「それを説明している暇が、今はない。信じてくれ」という説明で物事が進んでいく。

でも信頼残高が低い関係(日頃から、約束を破ったり、説明不足だったり)であれば「いいからやれ」と言っても「もう、やってられないよ」と止まってしまう。

そういうようなことは想像できると思います。だから、現世利益を考えるなら、僕は信頼残高みたいな言葉がしっくり来たりします。

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前回の記事で「徳を積もうと思ったら、徳は積めない」みたいに書いたわけですけど、「徳が積まれる行為」がない、と言っているわけじゃないんです。

それで、オムツの話とか、苺の話とかを書いたんですけどね。

「結果として徳が積まれる」というものがあるとして、僕なりに思うのは

・好きなことを楽しんでやっている行為

・愛から自然と発生する行為

・愛から、苦しみを引き受ける行為

みたいなことは「結果として徳が積まれてる可能性が高い」と思います。

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僕からすると「歌うのが好きな人が、楽しんで歌っている」とか「絵を描くのが好きな人が、楽しんで描いている」みたいなのは、徳が積まれていく行為です。「徳を積むために、絵を描こう」っていうより「さ、絵を描くぞ!」って方が、より多くの徳ポイントが積まれちゃう、みたいなところがミソなんだと思ってます。

「愛から自然と発生する行為」は、まさにオムツとか苺とかの行為です。

もう一つ「愛から、苦しみを引き受ける行為」も、徳が積まれる行為の一つに挙げていいのかな、と思います。

例えばですけど、”子供が悪いことして警察に捕まってる、頭を下げに署に行く”こういうのは徳ポイントが積まれてるんだろうなと。

徳が積まれるってのは基本的に「行為(Do)」によってだと思います。

例えば、子供の遠足のお弁当を早起きして作る。

そのとき、るんるん早起きして作るという意識(Be)なのと

眠い、めんどくさい、もう嫌だ、なんで私がとか思って作るという意識なのと、

違いはありそうなんですけど

でも「お弁当ができた」という結果は、やっぱりすごくて、これは徳が積まれちゃうんだと思います。

正直、どっちの方が「徳ポイント」が多く、ゲットできるのか、そこは僕にはちょっと分かりかねます。

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ただね、繰り返しになりますが、「徳を積む」ってのは、基本的に来世のための話です。「徳貯金」みたいなのをして「よーし、来月その貯金を使って遊ぶぞー」みたいなことを考えるのであれば、

「信頼残高」とか、あとは普通に、日本銀行券みたいなことの「貯金」をちゃんとすることを考えたらいいですよね、っていうのはそれはそれで思います。

「徳ポイント」が減っちゃう要素ってのはあって「ほら、こないだ徳積んだでしょ?あれでさ、返してよね」っていうようなときなんだと思ってます。「見返りが来るだろう」という予測をもとに、徳を積む行為(例えば、公衆便所を人知れず掃除する、とか)をしたとしても、徳ポイントの積まれ方はちょっと少ないのかなと。

トイレ掃除して「ああトイレがキレイで気持ちがいい!」って思ってやってるようなほうが、徳ポイントは多く積まれるなぁ、という感じはあります。

よく、自己啓発系の本とかでもトイレ掃除する社長みたいな話は出てきます。

トイレを掃除してたら、業績が回復した、みたいな話もちらほら出てきます。

それはやっぱり、どんな心持ちであれ「社長以外も使うトイレがキレイになった」という圧倒的事実があるから、だと思います。

でもやっぱり「徳ポイント」の多さ、みたいなことでいうと
「これだけ善いことしてるんだから、社員も頑張れよー、客もちゃんと来いよー」みたいな気持ちになっているのと、

「ああ、こんな大変ことを、毎日アルバイトがやってくれてたんだなぁ。。。」みたいな気もとになっているのと、

ちょっとポイント数には差がついてくるのかな、と。





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