HumanCentered徒然(たぶん其の一)
■Human Centered
ありがたいことに出版プロジェクト?が動いている。素晴らしい人たちに支えてもらいながら、筆を進めてたり、休めてたりする。本のタイトルは「Human Centered」にしたいなぁと今思っている。なかなか「出版物」というクオリティまで高まらずにいて申し訳ないんだけど、できることをやっていこうと思う。
Human Centered。
それを考えるにあたって、やっぱりB社時代のことを思い出す。あの数年は、その試行錯誤の日々だった。2011年から2017年くらいが一番試行錯誤していた時期だったかなと思う。
命令しない、管理しない、出社しない、自分の給料は自分で決める、なんでも話し合う、収支フルオープン、ルールは決めない(けどガイドラインは持つ)・・・とか、そういう試行錯誤をしていた。
自由と責任。会社員と自営業のいいとこどり。決めないけどガイドラインは持つ。社長の法的責任と権限。いろんなことが、試行錯誤のなかで浮かび上がってきて、そのたびに議論を重ねていた。
「社長の給料高くないか?」ってのが議題になったこともあった。あったなぁ。。。
あの試行錯誤の器を提供していた社長に、今あらためて深い感謝を感じる。それはそれで、いずれどこかで言葉にできたらなと思う。
あのとき僕らが?僕が?考えていたことや、やっていたことの一つは「個人ビジョンから始める」ということだった。それはまさにHuman Centered、ということだった。
■幸せに生きていたいものだよね
「一人一人の人間は、幸せに生きていたいものだよね」というのが共通認識だった。
それで僕らは「マネジメントの常識」から会社を運営せずに、「(個人の)幸せの法則」から会社を運営していっていた。
会社の方針として、たぶん一番みんなが深く共有していたのが「やりたいことをやる。やりたくないことはやらない」だった。
だってみんな、やりたくないことは、やりたくないでしょう?
これ、実践してみると「やりたいことをやる」以上に「やりたくないことをやらない」という文化が、とても大事だった。「やりたくないです」って言えることは、精神衛生上、とても大切だ。
あるプロジェクトで、内部メンバー4人、外部メンバー1人の5人で会議をしていた。「コンサルタント2名」「営業2名」「Web担当者1名」みたいな構成だった。
Webマーケティングをどう進めていくかの担当決めをしていて、ToDoがハッキリしてきたので「じゃー、これWeb担当者のMがやるね?」という流れになったけど、当人は「うーん、気が乗らない。やりたくない」と言った。
それで内部メンバー4人は「おお、そうかー。じゃー誰がやろうか?」と普通に話を続けていったんだけど、外部メンバーの一人がすごい驚いていたのが記憶に残っている。
「や、やりたくない?え?仕事でしょう??」
みたいな感じ。当時、僕らにとっては当たり前になり過ぎていて、普通のことだったんだけど、確かに「Webの作業を、Web担当者がやりたくないと宣言する」って、普通ではなかったかもしれない笑
でも僕らは「やりたくないことはやらない」をとても大事に思っていたから、それは当然のことだった。気が乗らない仕事とか、あるじゃないですか。「気が乗らない」ってだけで、断る理由としては十分で。
もしここで「担当なんだからやれよ」と多数決みたいなことをしたら、今度は自分がやりたくない仕事の時も「担当なんだからやれよ」と押し付けられるかもしれない。そんな組織はいやだ、とみんな思っていた。
だから、僕らは、一人一人の「やりたくない」をとても大切にしていた、と思う。
■役割分担
この図は、当時よく使っていた。
今思えば、これもHuman Centeredだなぁ。
「やりたくない」を尊重するとどんなことが起こるかと言うと「仕事として歯抜け」という状態が起こる。
僕らの場合は、ある100万円のコンサル案件の依頼がきたときに「営業はやりたい」「コンサルタントはやりたくない」みたいなことが起こる。でも、二人ともがやらないと仕事としては成立しない。
だから「成立しないから、断る(売上100万円減)」か、「やりたくないけど、100万円のためにちょっと無理して引き受ける」か、というのが選択肢として出てくる。
「営業は自社でやるけど、コンサルタントは外注を探すか」みたいなことも出てくる。
そういう選択肢が出てきて「合意としてどうする?」ということを話し合う。まぁ、とにかくよく話し合ったな、と思う。
「普段は、営業30、コンサル70で分配してるけど、営業20、コンサル80でいいならやるよ」「じゃーそれで」とかってなったりする。
これは裏側に「給料は自己責任」みたいなシステムがあって、給料も自分で決められるから話し合えるというのがあるけど、それはまたそのうち。
とにかく「やりたくない」と誰か個人が言うのを「いいからやれよ」とか「仕事だからやれよ」とか「お客さんが大事なんだからやれよ」とか、言われない会社だった。
やりたくない理由が、「気が乗らない」「忙しくなるのが嫌だ」とか、そういう理由で十分だった。「気が乗らないんておかしいでしょう」という話はしなかった。「どの辺が気が乗らないの?」「どこがクリアされたら、気が乗ってきそう?」みたいな対話はもちろんあったけど。
思うと、当時のメンバーは、命令されるのが嫌いな人たちの集まりだったなと思う。その個性も、組織運営に色濃く反映されていたように思う。「命令されるのが嫌い」なんだから、命令する、みたいなこともしないように、みんな気を付けていた。
まぁ、そもそも「評価者と被評価者」とか「上司と部下」といった上下関係の構造を持っていなかったから、命令しようにもできなかったんだけど。
■個人ビジョンから始める
今もやるけど、当時好んで使っていたのが「理想の1週間の時間割」を自分でつくる、というワーク。
僕らは出社義務がなかったから(週1回のMTGだけは参加しようね、となっていたけど)、自分の時間の使い方は、自分で決めるしかなかった。
労務管理とか法律を考えると色々難しくなるけども、当時は10人弱で、お互いの信頼関係でやっていた。
有給休暇という概念もなかった。やりたいことをやって、やりたくないことはやらないわけで、働きたいだけ働いて、働きたくないだけ働かない。(その分、自分の給料には自分で責任を持つ。自由と責任。)
ああ、そうだなぁ。懐かしい。赤字社員が出てくると、みんな仲間が「その人が、どうしたら、やりたいことをやる、かつ黒字(自分が欲しい給料だけ稼げるよう)になるか?)」を一生懸命考えていたなぁ。仲間が、好きだったんだなぁ。(ちなみに、赤字社員、というのは、自分で設定した月額給与額と、自分の月額売上のバランスで赤字になっているという状態のこと)
それで、理想の時間割を書くと、ホントに全然違うわけです。僕なんかは仕事大好きで、極端に言えば月曜日から日曜日まで仕事で埋まっているような時間割をよく作っていた。
でも他のメンバーは例えば「えっと、まず週休4日でー。」「お、この3日に集中して案件入れたら、回せるなー」とかってなっていた。年収は僕の半分以下とかだったと思うけど、それは自分で選んでいることだった。
「どんな1週間を過ごしたいか?」それを、自分で描いて、自分で創っていく。
まず、それがある。それを持ち寄って「組織全体としてどうするか」が編み出されていく。そういう順番だった。だって「一人一人が幸せに生きていたいものだよね」って思っていたから。
それを普通のこととしてやっている会社だった。