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「そのスピードで」 (カタールW杯アジア最終予選:日本2-1オーストラリア)

 日本代表対オーストラリア代表戦前夜のこと。

吉田麻也が「W杯に出る、出ないというのは、サッカーに携わる全ての人にとって死活問題になる」と口にしているオンライン取材の映像がテレビニュースから流れていた。その表情は、悲壮な決意を感じさせるものだった。

 キャプテンとして勝敗の責任を負う、その気概は買いたい。
だが、それらの全責任は選手一人で背負うものでもないとも思った。過度のプレッシャーとなり、ピッチでのパフォーマンスに影響してしまっては元も子もないからだ。どちらかといえば、「選手たちには開き直ってやって欲しいな」というのが僕のスタンスだった。

 試合当日、中継はテレ朝の地上波とDAZNの配信の二つ。
仕事というよりは応援モードだったので、松木安太郎さんの応援解説で観たいと思ったのだけど、戦術的なポイントなどはDAZNの方が詳しくやってくれるので、試合前は両方とも流していた。

 DAZNの解説は岡田武史さんと戸田和幸さんだ。
試合前の岡田さんは「自分ができることをやるしかない」、「彼ら(代表選手)だけで日本のサッカーが成り立っているわけではない」と、選手たちが必要以上の責任と重圧を感じる必要はないという旨のコメントを口にしていた。いつものようにどこか朴訥とした口調だが、その言葉の響きは他の指導者にはない重みがある。

 日本がワールドカップに初めて出たのは、1998年のフランス大会だ。「ジョホールバルの歓喜」で知られる出場を決めた一戦は、アジア第3代表決定戦で相手はイラン代表だった。

当時の日本代表の熱はとにかく凄まじかった。勝つしかなかったUAE戦を引き分けた国立競技場の試合後、日本のサポーターからの怒号が飛び、チームバスに向かってパイプイスが飛んだというニュースも流れたほどだ。そんな修羅場を経験しながら、必死にたどり着いたアジア第3代表決定戦だった。

その試合前日、指揮を任された岡田武史監督は部屋の中でとてつもないプレッシャーを感じながら「もし負けたら、もう日本に帰れないな」と覚悟していたという。

 でも、ある瞬間に何か急に吹っ切れて開き直れたそうだ。どんなに頑張っても俺の持っている力以上のものは出ねぇよ、と。そんな境地に達したそうである。結果はご存知の通りで、劇的な展開の末、日本史上初となるワールドカップ出場権を掴んだ。

 あれから24年が過ぎた。

 この日の日本代表は、あのフランス大会予選以来というほど厳しい状況になっていた。そんな一戦のキックオフ直前、ワールドカップ予選を2度突破した指揮官でもある岡田武史さんは、独特の緊張感に包まれたピッチに向けてこんな言葉を述べた。

「選手たち、追い込まれて吹っ切れたところもあるんじゃないかと思います」

 試合においては戦術的なロジックもゲームプランも重要だけど、やるのは選手たち。そこでどんなメンタリティーを持ってピッチでプレーするのか。開き直ることで主体的にプレーしていく・・・・選手たちにはそんな期待を口にしていたのが、岡田さんらしいな、と思った。

試合が始まると、オーストラリアの守備配置は4-4-2システムが基本で、立ち上がりからそれほど前から強いプレッシャーはかけてこなかった。

 ただ右サイドバックの酒井宏樹が落ちた後ろ3枚でビルドアップしようとした時は、左サイドハーフのムーイが高い位置まで出てきて酒井を牽制しにくる。開始3分の出来事だ。

 相手のプレスのスイッチが入り、ビルドアップが少し詰まった結果、吉田麻也がロングボールで逃げるような形で大迫勇也に。ここでは大迫の巧みなポストワークから右ウイング・伊東純也の快速を生かした突破から最初のビッグチャンスが生まれるのだが、一方でチームの組み立てがやや難しくなりそうな印象も受けた。

 そんなことを思いながら迎えた、次のビルドアップの局面でのこと。そこにアクセントをもたらそうとする振る舞いをする選手が、この日のピッチにはいた。

 田中碧である。

 インサイドハーフの彼が、中盤の底から最終ラインまでスルスルと落ちて2枚のセンターバックと並び、後ろを3枚にした形でボールを回し始める。田中碧が落ちた位置は、先ほど酒井宏樹が顔を出していた場所でもある。

 オーストラリアの前線は2枚なので、田中碧がいる場所にはアプローチが届かない。先ほどは酒井宏樹に牽制していた左サイドハーフのムーイだが、自分が田中碧の位置まで出ていくと、サイドの高い位置に張る酒井宏樹をフリーにさせてしまうので、さすがに出て行かない。田中碧をケアするはずのオーストラリアの中盤も、インサイドハーフにこれだけ深い位置まで下がっていかれると、さすがに深追いをしてこなかった。

 相手のプレスが届かない場所に立った田中碧は、ボールを動かしながら、味方に身振り手振りで指示を出していた。それと同時に、オーストラリアの出方と陣形の変化を少し観察していたような感じだ。

 ごく何気ないプレーだが、こうやって相手の来ないエリアでボールをいったん落ち着かせるのは、かつて中村憲剛がよくやっていた「息継ぎ」でもある。

 現役時代の中村憲剛は、ハイプレスやマンマーク気味に守備をしてくる相手に対して、中央だけではなく、サイドバックやセンターバックの間などにポジションを取る動きを意図的にやってみる駆け引きをよく行っていた。その位置取りによって、相手の守備陣形がどう出るのかを観察して揺さぶっていくためだ。

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