「CROSS ROAD」 (天皇杯2回戦・栃木シティFC戦:3-1)
もしかしたら、この日の対戦相手に、かつての自分の姿を重ねていたのかもしれない。
鮮やかな2ゴールでチームを勝利に導いた遠野大弥は、どこか懐かしそうな表情を浮かべて、「何かを思い出しました」と試合後に述べてくれた。
「勢いづかせてしまうと怖いので、自分が先制点を取ることを意識していました。でも、やってみても難しい試合でした。カテゴリーが違う中で、何かを思い出しました(苦笑)。怖いな、やりにくいなってのはありましたね」
思えば、遠野大弥にとって、アマチュアだった自分の人生を変えてくれたのは、天皇杯での活躍だった。
彼が最初にブレイクしたのは、2019年のこと。
J1、J2、J3の下に位置するJFLで、この年のベストイレブンに選出されている。所属していたのは、Honda FC。本田技研工業を母体とした社会人サッカークラブなのだが、その強さは折り紙つきだ。天皇杯ではアマチュアでありながら、Jクラブを破るジャイアントキリングを起こす常連としてサッカーファンにもお馴染みだろう。
2019年の天皇杯では、そのHonda FCが、北海道コンサドーレ札幌、徳島ヴォルティス、浦和レッズと、Jリーグクラブを次々と下して、ベスト8に進出する快挙を果たしている。
そのチームの中心にいたのが遠野大弥だった。札幌から2ゴール、徳島から1ゴールを記録。プロ相手に確かな実力を結果を示し、Jリーグでも通用できるんじゃないかと感じ始めたのもこの頃だと本人は話している。
なお、この天皇杯での活躍と彼のポテンシャルはJリーグのスカウト陣からも高く評価され、いくつかのクラブから獲得の打診を受けることとなった。最終的には、天皇杯の活躍よりも早くに接触していた川崎フロンターレの移籍を決断した。
ただし、その翌年(2020年)に旗手怜央、三笘薫といったアタッカータイプの大卒選手が内定していた。翌々年に遠野を獲得したかったクラブ側との思惑と、すぐにJリーグでプレーしたかった遠野本人は「1年は待てないです」と伝えた結果、着地点として移籍初年度はアビスパ福岡に期限付き移籍で在籍してプレーすることになった、という経緯がある。福岡ではJ1昇格の立役者となる活躍をし、21年からは川崎フロンターレでプレーし、現在に至っているというわけだ。
・・・なぜか遠野大弥のサッカーキャリアを振り返ってしまった。ただかつてはジャイアント・キリングを狙う側だった彼が、その経験を生かして、今では逆の立場で勝利に直結する仕事をしたと言うのは、なんとも不思議な光景でもある。
冒頭で彼が「何かを思い出しました」との言葉にあったものとは、ジャイアント・キリングを狙っていた自分の中にあったギラギラ感だろうか。詳しく聞いてみると、こんな風に言葉を続けてくれた。
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