「見えるところから変えること」。クラブ経営について語るとき、武田信平・前社長が語っていたこと。
どうも、いしかわごうです。
1月19日と20日の日本経済新聞に武田信平・前会長のインタビューが掲載されていました。
川崎がJ1初Vで証明した3つのこと(前編)
川崎がJ1初Vで証明した3つのこと(後編)
武田さんといえば、2000年12月に社長に就任してから2015年4月まで、約14年4ヶ月に渡って川崎フロンターレを牽引した人物です。サポーターからは「シンペーちゃん」と親しまれており、ファン感謝祭ではサイン待ちで選手をしのぐ長蛇の列ができるほどの名物社長でした。
社長に就任した2000年12月というのは、川崎フロンターレのJ2降格が決まっていた時期で、簡単に言えば、翌年からJ2を戦うことになったクラブの舵取りを任されることになったわけです。
フロンターレは 現在こそ「Jリーグ随一の地域密着型クラブ」と言われてますが、2000年当時は「富士通のフロンターレ」というのが周囲からの認識だったと聞きます。企業のサッカー部ではなく、川崎市民のためのクラブであるという姿勢を本気で見せていくこと。それが武田さんが社長として最初に取り組んだことだったと言えるかもしれません。
その後、チームは2004年にJ1復帰を決めて、その後はJ1で優勝争いを演じて強豪として定着。ピッチ内の成績もさることながら、フロンターレはピッチ外での活動も評価されることの多いクラブとなりました。その最大の功労者と言っても過言ではない存在だけに、武田さんの社長時代にタイトルを獲れなかったことを心残りに思っていたサポーターは、きっと少なくないはずです。
なので、優勝が決まったあの2017年の12月の等々力のピッチで、選手やスタッフの輪に加わり、優勝記念のTシャツを着ていた武田さんの姿を見て、みんな様々な思いが生まれたのではないかと思います。
川崎フロンターレは、チーム強化と地域密着を車の両輪にして前進してきたクラブですが、その車のドライバーを長年にわたって務めていたのは、武田信平さんでしたからね。
せっかくの機会なので、僕個人の武田さんの取材の思い出と当時の原稿を少し振り返りたいと思います。
・・・といっても、サッカークラブの社長にロングインタビューする機会というのは、めったなことがない限り実現しません。僕が武田さんにロングインタビューをしたのは、ただの一度だけです。
それは2015年2月。
とある雑誌のスポーツビジネスの経営を紹介する特集で、Jリーグで9年連続で黒字決算を続けている川崎フロンターレの経営哲学を社長に聞きたいというオーダーを受けて行った取材でした。
インタビュー記事が掲載されたのが3月で、その後の4月には社長職を退任されているので、「社長」としての肩書きでは、最後のロングインタビューだったと思います。そういう意味では、とても貴重なものと言えるかもしれません。
新体制発表やファン感での振る舞いからサポーターからは「シンペーちゃん」と親しまれてましたが、普段から親しみやすいキャラクターかと言われると、決してそんな性格ではありません(これは武田さん本人も認めています)。インタビュー取材もあまり好きではないらしく、勉強不足で取材にやってきたメディアには激怒することも多かったとも聞きます。
ただ僕自身は武田社長と面識はあったのでインタビューはスムーズにできました(もちろん、緊張はしましたよ)。本題を語るときの武田さんの顔は経営者そのものでしたが、インタビュー中に話が逸れてピッチの話題になると、「風間のサッカーは面白いねぇ」と熱く語り出したりと(現役時代はサイドバックだったそうです)、インタビュー自体はとても楽しかった思い出があります。
取材では、クラブ経営に関するポリシー、スポーツビジネスにおいて大切にしていること、地域密着型のクラブになるまでの紆余曲折の歴史、そしてビジネスの転機としてスタジアム改修(2015年は等々力のメインスタンド改修工事が終わって迎える初のシーズンだった)をどう捉えているのか、などを聞かせていただきました。
「スポーツビジネスの投資は、工場の生産設備のようにはいかない」、「ビッグネームを獲って来て、それで優勝しなさいと言われても現場は難しいのではないかと思います」、「プロ野球のことは古い話だから、なぜそうなったのかは私にはわかりません。ただ、みんなスポーツは嫌いじゃないでしょうから、プロスポーツが育たないとは思っていませんでした」などなど、いくつかのコメントだけを振り返っても、スポーツ経営における大切ことがたくさん詰まっている内容になりました。
掲載されたのがサッカーの媒体ではなかったため、読んだ方も少なかったかもしれません。当時のインタビュー原稿を振り返りつつ、優勝したからこそ書ける「あとがき」を少し加えて、書き残しておきたいと思います。武田さんの社長としての取り組みは、中村憲剛選手とは違う視点でのフロンターレの歴史でもあります。興味ある方は読んでみてください。
では、どうぞ!
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