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「MOMENTUM」(ACLE MD4・上海海港戦:3-1)

 試合開始、わずか35秒。
中盤のオスカルにボールが入った瞬間、前線の瀬川祐輔とボランチの橘田健人で猛烈な勢いでこの元ブラジル代表の8番を挟み込む。そして、そのこぼれ球をサイドハーフの遠野大弥が素早くカバーする。開始早々、このゲームにおける守備の狙いが垣間見れたワンシーンだ。

 相手は3日前に中国・スーパーリーグを連覇したばかりのチャンピオンチーム。
チームの中心にいるのがオスカルであり、いかに彼を自由にさせないか。それはこの試合における重要なテーマの一つだった。

 オスカル・ドス・サントス・エンボアバ・ジュニオール。
かつてはセレソンとして君臨し、自国開催だった2014年ブラジルW杯にも出場した。チェルシー時代には主力としてプレミアリーグ優勝にも貢献している。

 ただ全盛期を迎える25歳だった2016年12月、プレミアリーグ・チェルシーから中国・スーパーリーグの上海上港(現在の上海海港)に電撃移籍。移籍金や年俸が破格だったとはいえ、現役のブラジル代表が欧州の最前線からアジアの中国に移籍したことは驚きだった。ちなみに、これまでの7シーズン過ごした上海海港での総年俸は、約280億円だそうだ(一体、人生を何回遊んで暮らせるのだろうか)。

 そのオスカルをいかに自由にさせないか。
この試合、ボランチで起用されていた橘田健人は、10代の頃によく見ていた元セレソンとのマッチアップを熱望していたという。

「見てましたね。(ロンドン)オリンピックで(ブラジル代表の)10番でしたよね。(対戦が)楽しみでもあったので、ボランチで出たいなと思ってました」

 だからこそ、オスカル包囲網にも目を光らせていた。

「(オスカルが)落ちた時に誰がつくのか。誰がボールに行くのか。そこはハッキリしようとみんなで話していました。そこで自由を与えていたら、うまく攻撃をされてしまうので。コミュニケーションをとりながらやれていたと思います」

 真ん中の選手だけではない。オスカルの主戦場は中央だが、左に流れたりと、列落ちで起点を作るポジショニングも好んでいる。ただし、それもスカウティング済みだった。珍しく右サイドハーフで起用された遠野大弥が明かす。

「オスカルは左(サイドに)に落ちてくる傾向がある。そこの守備の部分を求めて、自分を右にしたのかなと思います」

 オスカルに気持ちよくプレーさせないこと。
その狙いが川崎フロンターレの選手たちにしっかりと共有されていた。そしてボールを持てば高いラインの背後を突き、そこを狙った動きで抜け出す。ゴール前に迫っていく狙いも共有されていた。

 開始2分40秒。
最終ラインでボールを持った佐々木旭が、右サイドにボールを運びながら、狙い澄ました対角のロングフィード。トップのエリソンを囮にしたギャップを使い、絶妙なランニングで背後に抜け出したのは瀬川祐輔だった。このチャンスはワン・シェンチャオに倒されてしまったが、早々にイエローカードを引き出すことに成功する。

 先制点の起点も含めて、鋭いフィードを展開した佐々木旭が胸を張る。

「今日は走れる選手が前にいたので、裏に落とせれば行ってくれる。また違ったサッカーというか、特徴を生かしてやれたのかなと思います」

 上海海港を率いるケヴィン・マスカット監督は、横浜F・マリノス時代と同様にハイラインとハイプレスを採用しており、この守備スタイルにはこうした斜めの揺さぶりが効果的なのである。

 ただ、こうした戦術的な要因はあくまで一部分でしかない。 
それ以上に、指揮官である鬼木達監督自身が、並々ならぬ思いでこの試合を迎えていたことを紹介したい。

 この試合の4日前、鬼木体制になってからの8年間、等々力では一度も負けたことのなかった鹿島アントラーズに前半だけで3失点を喫して敗れている。

 鬼木監督はどんな敗戦を喫しても、それを選手のせいにすることはなかった。しかし、この試合に関しては「擁護はできない」と選手に話をしたという。

 そこにあった思いを語り始める。

※試合翌日の公開練習後の囲み取材による、鬼木監督に関するコラムを二つ追記しました。一つは試合後の挨拶で、お互いに健闘を称え合うだけでなく、その場で長く話し込んでいたケヴィン・マスカット監督とのエピソード。もう一つは、自身の退任が決まったことを告げた際の、ご家族の反応についてです。貴重なお話を聞かせてもらったので、ぜひどうぞ。

→■(※追記)「『(就任)8年で4回のリーグタイトルは素晴らしい』と向こうがいろんな話をしてくれて」(鬼木監督)。試合後のケヴィン・マスカット監督から贈られた熱い祝福の言葉。勝負の世界で生きる監督にしか分かり合えないものがある。


→■(※追記2)「(息子に)『辞めることになったから』と話したら、涙ぐみながらご飯を食べていました。それで、こっちもグッと来てしまって。そこから、みんなでもらい泣きではないけれどね・・・」(鬼木監督)。指揮官が明かす、退任を告げた日の家族の反応。そして、鬼木家に流れていた8年の歳月に思うこと。


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