見出し画像

「勝とうが負けようがあとに残したもの、それが重要なのだ」〜今も心に残っているヨハン・クライフの言葉。

 今から10年前のこと。
2011年のお正月にWOWOWで放送されたある対談番組の記憶が、いまだ色あせずに残っている。

 番組のタイトルは「頂上対談 岡田武史×ヨハン・クライフ ~フットボールの理想と現実」。

元・日本代表監督である岡田武史氏と、現代サッカーの基礎を作った人物とも言われるヨハン・クライフ氏の対談だった。

 対談と銘打ってはいたものの、岡田武史氏はスタンスとしては聞き手。そのため、対談というよりはほとんどクライフのインタビューで、彼の独自のサッカー哲学が満載の内容だったのである。クライフは5年後の2016年に亡くなっているので、いま振り返ると、やはり貴重な言葉たちだったと思う。

 クライフの紡ぐ言葉の一つ一つが、またこちらのハートに響くのである。
とりわけ印象に残った内容をあげるとすれば、ジョゼップ・グアルディオラとジョゼ・モウリーニョについて語った場面かもしれない。

2011年当時、グアルディオラはFCバルセロナの監督で、モウリーニョはレアル・マドリードの監督である。両者の監督対決は舞台をプレミアリーグに移した現在も続いているが、このときは世界中が注目する一戦「クラシコ」で対戦する間柄だった。当然ながら「指揮官としてどちらが優れているのか?」という議論も、度々起こっている。

 そんな両者の比較に対して、クライフは「どちらもすばらしい監督だが、私はグアルディオラを支持する」と断言し、モウリーニョを一刀両断。その後に続けた理由が、実にクライフらしかった。

「フットボールは勝つだけのものではないからだ。ファンのために、若者のために、教育のために、さらに振る舞いや話し方、フットボールの全てが子供の教育になる。表現の仕方、若い選手を教育する方法において、グアルディオラのやり方が好きなのだ。

 モウリーニョは勝利することだけを強迫観念に戦っている。しかし、私は勝つことは大事だが、もっと大切なものがあると思う。当然、誰しも勝利したい。しかし人生はそれだけではない。特に2つのビッグクラブには大きな責任があるのだ。

 仲間とプレーすること、勝利を受け入れ、敗北を受け入れること。上手くない子を助けること、そして自分の調子が悪いときは誰かが助けてくれる。それがスポーツだ 」

 クライフのこの言葉を聞いて、感銘を受けていた人物がいる。
目の前にいた岡田武史氏だ。その言葉を噛み締めながら、ため息をつくように「・・・・素晴らしいね」と一言。そしてこう感想を述べたのである。

「俺は、『チームが勝つ』ということだけに関してだけ言えば、モウリーニョというのは外にはすごく悪い印象を与えるのだけど、自分のチームの中には非常にうまいマネジメントをしていると思っていて、監督としては非常に認めている。でもいまクライフさんの話を聞いて、もっと大きな視点から見なければいけないと・・・ちょっと感じたな」

 岡田氏の感想を受けて、クライフはさらに言い切る。

「勝利に対する強迫観念だけではいけないのだ。私は74年のワールドカップで負けた。しかし我々の戦い方は今でも語り継がれている。36年前のことだ。負けたにもかかわらず。勝とうが負けようがあとに残したもの、それが重要なのだ」

 負けても語り継がれるチーム、いまだに語られるサッカーというのは、確かに存在する。事実、1974年W杯西ドイツ大会でクライフのオランダ代表が見せた「トータルフットボール」は、サッカーファンの間ではいまだに語り草だ。

 クライフの言葉は止まらない。

「昨シーズンに優勝したインテルの場合、残念ながら、フットボールとしての魅力はなかった。人々は、そんなインテルのフットボールをコピーしたがる。それで勝てると思うからだ。しかし私はその反対の立場にあるだろう。私のフットボールには喜びが必要だからだ。フットボールが好きならば、ボールを持ちたがる。ボールなしでプレーするならば、陸上でもやればいい」

「人々はアーティストを見るのを楽しみにしている。1週間ずっと働いて応援するクラブの試合に来て、1時間半にわたって試合を楽しみたいのだ。感動し笑って跳ねて。緊張して負けてしまうかもと考えていてはよくないのだ。私はいつも勝てるだろうかと不安になっているよりも楽しんでもらう方を望んでいる」

 あらためて噛み締めてみたけど、10年前の対談ながら、いま思い出しても色あせない言葉の数々だと思っている。

なおこの対談の翌日、岡田氏は現地でバルセロナ対レアル・マドリードのクラシコを観戦している。結果は5-0。グアルディオラの率いるバルセロナが、モウリーニョが率いるレアル・マドリード相手に、信じられない大勝劇をおさめたのである。歴史的な試合を目の当たりにした岡田氏は、クライフとの対談翌日ということもあり、試合後にも興奮が冷めやらない様子だった。

「あのレアルが何もできない・・・・あのレアルをものともしないバルサに、サッカーの常識を超えた何かを感じた。誰しも、サッカーの面白さ、醍醐味、遊び心を満たしたいというのはわかっているのだけど、実際、それで勝っていくのは並大抵のことじゃない。それを追求し続けたバルサ・・・その勇気と、何て言うのかな・・・理屈じゃない世界・・・マインドというか哲学を感じますよね。僕も54歳になってこういうものを見せられて、あと10年早く、これを見ていたらものすごくファイトが沸いてきたのかな(笑)。すごい衝撃だよ、これは」

 そしてクライフとの対談を終え、岡田氏は「日本で自分の進むべき道、やるべきことを感じた」と話していた。

「僕にとっての勝利というのは目的であって、そこにいくためにいろいろな道があるけれど、その道をわきまえながら、たどり着けばいいと思う。

でもその目的は、最終目標じゃない。その先にもっと大きな目標がないとサッカーは終わってしまう。それは人々に夢を与えたり、元気を与えたり、勇気を与えたり、そういうものでなくてならない。そのためには勝つだけではなく、そこに哲学であり、意志がなくてはならない。

 その意志や哲学はいろんな道がある。昨日のバルサを見て、そういう意志もあるのかと、強烈なインパクトを受けた。それに触れると、それにチャレンジするというか、探しにいかないといけないと気がしてしまよね(笑)。それはまた先の見えない道をいくので、すごく大変なことなのだけど・・・今まで頂上にいって全部見えたのかなと思ったら、またジャングルなのかわからないけど、何かが見えてきたような・・・どういう形かわからないけど、何かひとつ触れてしまったものがある感覚かな」

 このときのクライフとの対談がどれだけ影響があったのかはわからない。しかし岡田武史氏はその後、2014年に四国リーグのFC今治のオーナーに就任している。そして現在、FC今治はJ3のカテゴリーで戦うクラブにまで成長を遂げている。

岡田氏がFC今治というクラブでやっている挑戦というのは、もしかしたら、このときのクライフとの対談が少なくない刺激になっていたんじゃないのだろうか。そんな風に思うこともある。機会があったら、岡田氏に聞いてみたいものだ。

「勝とうが負けようがあとに残したもの、それが重要なのだ」

 東日本大震災から10年。そして昨年からのコロナ禍で、日常について向き合う機会はぐっと増え、その中で開催されているサッカーの意義について考えることも多くなった。

 そんなとき、故・ヨハン・クライフの語っていたあの言葉たちを、ふと思い出すのである。サッカーの忘れられないシーンとして、自分の中ではいまだに刻まれている。



ご覧いただきありがとうございます。いただいたサポートは、継続的な取材活動や、自己投資の費用に使わせてもらいます。