不動明王(さま)の(御)真言は水の前で唱えてもいいのか

(御)真言について全然よくわかっていないのだが、自分がいつもお参りしている天台宗の普賢寺さまのお護摩で何度も唱えるので、自分なりに味わうというか、感じるところがいろいろとある。

なにか辛いことがあったとき、心が乱れたとき、優しくなりたいときなどに、たまにお寺以外の場所でも唱えることがある。
あるとき、家で皿洗いをしながらふとある人の幸せを祈りたくなり、お不動さま(不動明王)の真言を唱えた。ちなみに、カタカナ表記すると数十文字、一回唱えるのに約10秒くらいかかる。
最初は真言を唱えることに没頭し、その人の幸せをしっかり祈れていた気がするのだが、途中で
「水がいっぱいある!」
ということがやけに気になり、唱え続けることができなくなった。

お護摩のときには火が焚かれているので、不動明王の真言と火は常にセットになっているためか、真言を唱える行為と水がフィットしない何らかの理由があるのではないかと感じたのだ。
というか、当たり前だがやはり単に真言を口にして祈ればいいというものではなく、仏さま(仏像など)に向かって合掌しながら、かつお坊さんに導かれながら一心に唱えることにとても大事なところがあるのだと思う。そんなことを感じ、それ以上唱えることができなくなった。

逆に、火には合わない真言やお経、水によく合うお経、木に囲まれて唱えるといい具合になるお経、暗闇の中で唱えるとよいお経などがあったりするのだろうか。そんな感じで、お経を唱える環境というものも気になった出来事だった。

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