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レッド・ツェッペリンの好きなところ

先週の日曜、前夜にDJをやってきた夫がかけたレッド・ツェッペリンの『聖なる館』を聴いて、

間(ま)がすごい!!!!!
 と感激してしまった。

たぶん5年ぶりくらいにツェッペリンをしっかり聴いたと思うのですが、ツェッペリンはリフとかメロディとかベースラインとか全体の音色が好きだと感じていたつもりだったけど、
そうか、自分はツェッペリンの間が好きだったのか!と新たな発見を得た。

そして、踊りが下手なのに自然と体が動き、体から湧き上がるままに謎の踊りをしていたら、むすこが「おかあさん、すごーい!」と喜んでくれて、なんだかその一連の流れに感動して涙を流しながら変な踊りを続けた。

自分はDJではないのでDJのことがまったくよくわかっていないのですが、たぶん単にかっこいい音楽をかけてみんなに聴いてもらうということではなく、
このようにDJがかけた曲が触媒となり、聴いた人に何かが起こる、
きっと、そこまでを含めた行為がDJなのだろうな、と少し思った。

ゴールデンウィーク中にむさぼるように読みまくっていた本がありまして、
曹洞宗の僧侶、藤田一照さんの『現代坐禅講義 只管打坐への道』という本なのですが、その中に

坐禅をするために会場まで移動する時間も坐禅に影響を与えるのだから、もはや坐禅はどこからが坐禅ということは言えなくなってくる、みたいな話があり(本当はもっと素晴らしい文章でどの文も読んでいるだけで心がブワーッと広がっていくような感じがするのですが)
DJもそれと同じなのかもしれないな、と思った。
DJの人がかけようと思った曲、その人がその曲に出会うまでの物語、その日の天気、DJの体調、会場に訪れた人、その人たちの飲んだお酒、などなどが絡み合って、
聴いた人にもDJにも必ずなにかが起こる。そしてそれはDJのかける曲なくしては起こらなかった。

これはなにかとても大事なことのような気がする。

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