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シェイン・マガウアンに最も近づけた日

1992年だったか93年だったか、冬にロンドンに行ったときのこと。当時はインターネットなどもなく、旅行前に知ることができる情報はとても限られていて、ライヴやイベントの情報は現地に着いて初めて知ることが多かった。ロンドンに着くと現地の情報誌“タイム・アウト”を買うことは渡英時のルーティンのようなものになっていたが、そのときタイム・アウトを調べていると、ロンドンでシェイン・マガウアンのライヴがあるという文字が目に入った。この情報には心躍った。


 ポーグスは大好きなバンドだった。にもかかわらず、自分はその来日公演をまったく見逃していた。ポーグスから追い出されるかたちで抜けたシェインがそれ以降に来日することはなく、もう彼の歌を直接聴く機会はないのかもしれないと思っていたところ、ひょんなタイミングで彼の歌声を聴くチャンスが飛び込んできたわけだ。しかもこのときのライヴはダブリナーズとの共演だという。ダブリナーズは日本ではまったくといっていいほど知られていないバンドだが、長年、アイリッシュ・トラッドを演奏してきたベテランバンドで、同じようなスタイルでトラッドを演奏してきたポーグスの大先輩にあたるバンドである。ポーグスとダブリナーズは何度も共演してきた間柄であり、その一部は音源化されてもいる。両者の共演をライヴハウスで目にできる機会はそうそうあることではない。


 会場を確認すると"ミーンフィドラー"とある。当時はロンドンの老舗クラブとして、日本でも知る人ぞ知るライヴハウスだったのではないか。自分もその名前は知ってはいたが、あまり治安のいいところではない地区にあるライヴハウスという認識以外の知識はなにもなかった。


 調べてみると、そこはウィルスデン・ジャンクションというところが最寄り駅らしい。情報誌にはロンドンの地下鉄を乗り継いで行くことが案内されていたけれど、地下鉄の路線図を見てもその駅は見つからない。が、よく調べていくと、そこは地下鉄の、ワンデイチケットで乗り降りできるゾーン外の駅であることがわかった。つまりそこは旅行者が行き来するような、観光するようなところではないということだ。地下鉄のゾーン外のロンドンはまったく未知の世界だった。さらに治安がよくないという知識は不安を増長させた。それでもライヴは翌日だ。チケットを買うため、行ったことはもちろん、事前に調べたこともない、なにがあるのかもわからないところへ向かった。


 ロンドン市街から離れていくと、車窓の印象はぼんやりとくすんでいった。その日は寒く、どんよりとした雲に覆われていたが、そのことも影響したのかもしれない。到着してみるとそこはどこか塞ぎ込んだ印象の街だった。住宅が建ち並び、人も多く行き交っているのに、街には活気がなく、陰鬱さも見え隠れしている。そこは移民が多く住む、ロンドンの裏町といえるようなところだった。

 さっそくライヴハウスを探し始めたが、なかなか見つからない。地図を持っているわけでもなく、おおよその位置さえわからない。どこかに案内のプレートでもあるのかと思っていたがそんなものも見当たらない。ただ、当て所なく徘徊するばかり。いま思うと効率的でなく、無駄足を踏んでいたけれども、ただそうしているうちに街の雰囲気はなんとなくわかってきた。特に怪しい人がいるわけでもなく、そこにいる人たちの生活感は自分が暮らす日常となんら変わりないものだった。危険な地域という先入観は徐々に薄らいでいった。

 会場がなかなか見つからないので仕方なく街を歩く人に聞いてみた。声をかけた御婦人はとても親切な方で、とても丁寧に場所を教えてくれた。たくさんの言葉をとめどなく早口で繰り出すので、聴き取れた言葉はほんの少しだけだったけれど。彼女が指し示してくれた場所はすぐ近くだった。しかも自分が一度通り過ぎたところ。ミーンフィドラーはひっそりと、周囲の建物に紛れ込むように、あまり目立たないところにあった。

 緊張しながら、受付のお兄さんに翌日のチケットについて尋ねてみる。お兄さんはチケットが売り切れていることを、同情するような表情で教えてくれた。それも当然といえば当然だろう。あとで調べてみると、ミーンフィドラーがある地域はアイルランドから移り住んできた人も多いところだそうで、そこでシェインとダブリナーズが共演するということは、いってみればアイリッシュ・コミュニティの祝祭のようなものなのかもしれない。ライヴ前日にチケットが買えるような催しではないことは容易に想像できる。

 そこでふと頭をよぎったのはきっとダフ屋が出るはず、といった思い。かなりふっかけられるだろうけれど、それでもこんな機会を諦めたくもない。不確実なダフ屋目当てで翌日来てみようかと思ったが、同時に帰りの足のことも考えた。開演は22時。ライヴが終わる時間は地下鉄の終電時間をとうに過ぎているはずで、タクシーをつかまえるにしても周辺にタクシープールのようなものはない。街を徘徊していて感じたのだが、そのあたりを走るタクシーはほとんどなく、深夜ともなると流しのタクシーも期待できそうになかった。この日、ようやくミーンフィドラーにたどり着いたのは夕暮れどきだったが、街の明かりは街道沿いのオレンジ色の薄暗い街灯のみで、場所によってはまったく闇のようなところもあった。深夜にはどんな雰囲気になってくるのだろうと思うと不安が頭をもたげてくる。

帰れないまま、夜中に知らない街を徘徊することの危なさ

旅行するうえで、目的に夢中になるばかりに退路を考えないのは愚行である。そんな自分への戒めを、このときばかりは本当に噛みしめ、思い悩んだ。

 結果として、このライヴを観ることはできなかった。いまにして思うといろいろな打開策もあったとは思うが、このとき観ない決断をしたのはいまも正しかったと思っている。けれども、先日シェインが亡くなってしまったことで、この決断には少しばかり複雑な気持ちも混じるようになった。これまでは、このときが自分がシェインに"最も近づいた日"という位置づけだった。観ることはかなわなかったが次の機会はいつか訪れる、と。が、次の機会がなくなったいまとなっては"最も近づけた日"となってしまった。ライヴを観ることができなかった事実はなんにも変わらない。けれども、彼の歌声を直接聴くことができなくなった現実を前にすると、その思い出には、なんとも言い表しようのない、感傷的な気持ちがじわじわとのしかかってくる。




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