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ブライアン・アダムス「Kick Ass」にぶちのめされて

 新曲ということでなんとなく聴いたこの曲。初っ端からガツンとやられた。なんなんだ、この生々しく、瑞々しく、とめどなく溢れ出る熱情の爆発は!

 ブライアン・アダムスは、そのキャリアが半世紀にもわたろうとする大ベテランのアーティストである。そんな彼がこんなにも若々しく、衝動的かつ気合いの入った曲を生み出せること、それ自体に驚異を感じる。曲そのものはオーソドックスなスタイルのもので、さらにアレンジもとてもシンプルだ。彼はそのキャリアのなかで、自身のロックをさまざまなかたちで提示してきたが、これほど無駄のない、まるでその骨格だけを押し出したようなネイキッドな曲を出したことはなかったのではないか。この曲が収録されている最新アルバム『So Happy It Hurts』全体からもそのサウンドアプローチは明らか。アルバムは、彼にしてはギターの鳴りがかなり控えめで、曲のコードをビートで強く押し出すタイプの作品で占められている。曲のなかでギターがメインキャストになることは少なく、その代わりに目立つのはブライアン自身が叩くドラムだ。このアルバムの主役は彼の初々しいドラムであるといってもいいくらいだ。 彼の音楽性の大きな柱となっている若々しくハードエッジなロック。それはこれまで、プロフェッショナルなサウンド・プロダクションがなされてきたけれども、「Kick Ass」での音作りは簡素なうえにアマチュアリズムもただよう。ブライアン自身がほとんどのパートを演奏していることもあって、彼の宅録デモ音源のようにも感じられるのがこのアルバムの大きな特徴だが、そのなかでも「Kick Ass」は彼のロック・スピリットが凝縮された曲だろう。コロナ禍の沈鬱とした世界に喝を入れるかのようなこの曲の激情は、彼がいまだ新人アーティストのような新鮮かつピュアな感性で音楽に向き合っていることをあらわしていると言えるのではないか。

 MVもユニークだ。曲を聴いただけではわからなかった冒頭のナレーションが実はモンティ・パイソンのジョン・クリーズによるものだったとは意外。仙人のような出で立ちでクリーズが登場し、その御言葉を発したところで、この曲がアイロニーを含んだコメディであろうことがふんわりとしめされる。どこか飄々としたクリーズの存在感と、そこからにじみ出るムードはこの曲のユーモラスな方向性を指し示す。掴みは完璧だ。(そういえばパイソンズは『ライフ・オブ・ブライアン』なんて作品も残しているし、クリーズはそのブライアン役を熱望しながらその役を演ずることができなかった、なんてことも思い起こされる) 
 天使となったブライアンが激しく咆哮しながらバンドを呼び出し、ロック・バンドの登場と相成る。天使バンドのメンバーは5人。全員が白一色の出で立ちで、窮屈なスペースで身を寄せながら演奏する。カメラは数台あり、そのアングルは何度も変わるが、映像自体はバンドが演奏するその姿を追っているだけだ。"もしkick assなロックを聴きたければ、おれたちがそのkick assなロック・バンドだ!"と歌いさけぶブライアンの姿はロックの精神性を叩きつける強烈な声明だ。 まさにブライアン・アダムス作品のなかでも痛快無比なロック・アンセムである。勢いをもって猛進するこの曲のエネルギーの凄まじさには圧倒されるばかり。曲を聴いてぶっとばされる、こんな衝撃は本当に久しぶりだ。


 そんな新作を引っ提げての武道館公演に行った。そのライヴのオープニングがこの曲。クリーズのナレーションがそのまま流され、ブライアンが叫ぶと、そこからは縦横無尽のロック・ショウだ。緩急をつけたセットリストとバンドの鉄壁の演奏。そのMCに加え、観客からのリクエストにもしっかり応えるサービス精神。衰え知らずの歌声。研ぎ澄まされたロック・スピリット。40年前の曲であっても、新曲と同じように、いまだ新鮮に響く。ブライアンとバンドの演奏は非の打ち所がなく、時空の壁を軽々と乗り越える。そんなブライアンらの演奏を楽しみながら熱くサポートするファンの存在も強く印象に残った。ふと周りを見渡すと、ブライアンとともにうたい、身体を揺すりながら、感極まって目を潤ませるファンが一人二人ではないことに気づく。武道館公演は今回で25回目とのことだが、そんな歴史をつくってきたのはブライアンとバンドのパフォーマンスだけでなく、ファンとの間にあるあたたかい絆もその大きな要素であることが実感できるライヴであった。kick assなバンドに完膚なきまでに打ちのめされた武道館。そこは純粋無垢なスピリットが集まった楽園であるように思えた。


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